世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

海よ 宇宙よ 神よ 命よ このまま永遠に夕凪を

2009年01月21日 22時44分08秒 | Weblog
紅白で久々に「島唄」(THE BOOM)を聴いた。
この曲との出会いは、高校一年生の夏。
初めてグアム島に行った、あの夏。
ラジオから流れてきたこの曲を聴きながら
「この曲を聴くとグアム島を思い出すんだよな」
と呟いた私に、洗濯物を干していた母は
「何言ってるの。これ、沖縄の曲じゃん」
と言った。
今から思えば、完全に沖縄特有の旋律だ。
でも当時の私の中で「島唄=南の島=グアム島」という方程式は普遍だった。

先日、ブログを徘徊していた時、この曲の意味を初めて知った。
沖縄戦を唄ったものだった。
そして、南国を愛する郷土愛を唄ったものだと思っていた無知な自分を知った。

私の母方の祖父は沖縄戦開始1週間前に沖縄を脱出した。
祖父が沖縄戦で亡くなっていたら、母も私も生まれてこなかった。
だから沖縄戦で亡くなった多くの犠牲者のことを思うと、私は他人事だと思えないんである。

でいごの花が咲き (1945年4月1日 春が訪れ)
風を呼び 嵐が来た (沖縄本島に米軍が上陸した)
でいごが咲き乱れ (4月から6月)
風を呼び 嵐が来た (米軍の侵攻が続いた)
繰り返す 哀しみは (米軍の残酷な殺戮は)
島わたる 波のよう (寄せては引く波の様に繰り返された)
 
ウージの森で (サトウキビ畑で)
あなたと出会い (出会った、あなた)
ウージの下で (ガマ=鍾乳穴=防空壕の中で)
千代にさよなら (永遠のお別れをした)
 
島唄よ 風にのり (島唄よ 海の向こうの本土まで届けておくれ)
鳥と共に 海を渡れ (亡くなった人々の魂を、沖縄の悲しみを)
島唄よ 風にのり届けておくれ (島唄よ 海の向こうのニライカナイまで届けておくれ)
わたしぬ涙 (亡くなった人々の魂を、私の思いを)
 
でいごの花も散り (1945年夏 たくさんの尊い命が散った)
さざ波がゆれるだけ (今はあの悪夢が嘘のように静かだ)
ささやかな幸せは (幸せな日々の生活は)
うたかたぬ波の花 (はかなく消え去った)
 
ウージの森で (サトウキビ畑で)
歌った友よ (一緒に歌い遊んだ、あなた)
ウージの下で (防空壕で自決する前に)
八千代に別れ (泣きながら故郷を歌った)
 
島唄よ 風に乗り (島唄よ 風に乗って)
鳥とともに 海を渡れ (魂と共に 海を越えて)
島唄よ 風に乗り (あの人の居るニライカナイへ)
届けておくれ (私の愛を届けておくれ)
私の愛を
 
海よ
宇宙よ
神よ
命よ
このまま永遠に夕凪を(今、あなたを思い、永遠の平和を祈る)



民族衣装に身を包み、音楽を奏でて暮らしていた沖縄の人々。
そんな暮らしが戦争によって粉々にされてしまった。
そればかりか、多くの人々の命をも奪われた。
戦禍に消えた多くの人々の「声」が、悲しく私の心に寄せては返す。

波のように。

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チゲうどんができるまでに…

2009年01月21日 22時41分50秒 | Weblog
いつもの夕食はたいてい外食で済ましている。
会社から家までの帰路にワンクッション置くことがもうすっかり習慣となっている。

今日は珍しく家で夕御飯を食べた。
アルミの鍋に入っているチゲうどん。
電気コンロに掛ければできるやつ。
調理している間に、着替えや手洗いと嗽を済ませ、煙草を2本吸った。

今日も一見、変哲のない一日だった。
たぶん、10年後に「2009年1月22日、どんな日だったか?」と訊かれたら即答できないだろう。
人間の記憶なんてそんなもんである。
特別な日でない限り。

・オバマ氏、大統領に就任。
→サブプライム住宅ローン問題に端を発した世界経済の混乱。アメリカ経済をどのように是正していくのか、彼の今後に期待している。

・小室哲哉氏初公判。
→久々に見る小室さん。元気そうで安心した。自らの職業を「音楽家です」と言ったそうだ。よかった。まだ音楽家としてのアイディンティティを保てていて。
借金返済のために実家も競売に出したらしい。彼や彼の家族の胸中を考えると、胸が痛む。住み慣れた家を売るだなんて、さぞかし辛かっただろう。罪を償って、また素晴らしい音楽を紡ぎだして欲しい。いつまでも待っている。

・仕事
→突発的な事が起こり、一瞬唖然とした。
そう言えば、来週から後輩女子が他部署に期間限定で異動する。月末の負担を考慮して前倒しで仕事を進めないと…。

チゲうどんができるまでの数分間。
今日一日を振り返ってみたら、けっこう色々あったことに気付く。

そして、チゲうどん。
グツグツに煮え立ったそれを、私は汗だくになりながら食べた。
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