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世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

映画「夕凪の街 桜の国」

2007年07月28日 | Weblog
本日公開の映画「夕凪の街 桜の国」を観に行った。
最近、休日をまったりと過ごしているせいか、観たい映画があっても、あれよあれよという間に終ってしまう。
しかし、今日は違う。
あの映画の公開日だから…。

この原作は、大好きな、…というか、私の中で特別な漫画である。
2005年夏、広島にある平和資料館を訪れた時、売店コーナーでこの本に出会った。
「装丁が綺麗だなあ」という単純な理由で購入。
その夜、尾道に行く電車内で読んだ。
淡い装丁とは裏腹なほど悲惨な物語。
それまでの私の感情を総動員させても言葉にできない、…言葉にならない残酷な物語が苦しく、涙が溢れた。
(http://blog.goo.ne.jp/ryoko-davidoff/e/f8f0b6750c87dfacb49cf35e6baa512c)

さて、映画。
どんなふうに映画化されているのか、ドキドキした。作者でもないのに、ちょっとした親心が宿ってしまうぐらい、この作品は特別なのだ。本当に。

以下ネタバレあり。

過去と現在の時代を背景に、二人の女性にスポットを当てたふたつの物語が描かれている。
ひとつは原爆投下から13年後の広島を舞台に、いつ原爆症が発病するかもしれない恐怖を抱えながら生きる女性・平野皆実(麻生久美子)が、同僚の打越(吉沢悠)から愛を打ち明けられたときに、幸せの一方で被爆した心の傷が再び痛み出していく『夕凪の街』
もうひとつの時代は現代。ある日、皆実の弟・旭(堺正章)が家族に内緒で東京から広島へと向い、娘の石川七波(田中麗奈)が彼の後をつけていくうちに、七波が自分の家族のルーツを見つめなおしていく『桜の国』。
(パンフレットの解説より)

「夕凪の街」
罪悪感を持って生きる皆実の心情が印象的だった。
「私は幸せになってはいけない」
原爆で肉親を亡くし、その罪悪感から幸せを遠ざけようとする心情は「父と暮らせば」の宮沢りえと似ている。

密かに想っていた同僚の打越に
「生きとってくれて、ありがとうな」
と、愛の告白を受けるシーンが好き。
そんな愛に包まれて、ようやく罪悪感から解放されつつあった皆実だが、結局、原爆症によって死んでしまう。

原爆投下から13年後、急に発症した原爆症。
その恐ろしさを感じると共に、彼女の人生はいったい何だったんだろうか?という思いが押し寄せてくる。

「嬉しい?
 13年経ったけど
 原爆を落とした人は私を見て
 『やった! またひとり殺せた』
 とちゃんと思うてくれとる?」

という皆実の最期の独白は、生きたくても生きられなかった彼女の無念さが凝縮されている。そして、せめて自分が死ななくてはいけない意味や理由を教えて欲しいという、想像を絶するような願い…。
また、その言葉は原爆を落とした…(そう、原爆は落ちたのではなく、落とされたのである)…人への皆実から送られた皮肉でもある。
作品のはじめの方、会社から自宅までの途中、「死んだはずだよ、お富さん~♪」と呑気に歌いながら裸足で川べりを歩く、そんな穏やかな皆実からはリンクしがたいほど強烈な皮肉。
それは、平和を訴える声でもある。
小さい声だけれど、後世を生きる者へのメッセージでもあると感じた。

皆実の姪・七波が自分のルーツを直視しながら、そのメッセージを受け継ぐ「桜の国」への繋ぎ方も良かった。遺伝子に組み込まれた核兵器の恐怖が静かに描かれていた。

去年、私が広島を訪れたちょうどその時期に、この映画の撮影があったそうだ。
そんな意味でも、この映画には運命を感じてしまう。

上映中、予想を遥かに越える量の涙が私の目から零れた。
原作を裏切らない映画化であった。
最高に素晴らしかった。

…今年の夏もまた、私はあの夕凪の街へ行く。
皆実のような犠牲者の声を、この心で感じてこようと思う。

「夕凪の街 桜の国」ホームページ
http://www.yunagi-sakura.jp/
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