世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

『マリア・テレジアとマリー・アントワネット展』

2005年10月23日 22時10分09秒 | Weblog
毎日、母親に電話をしている。
一日のホウレンソウをするために。

ドラえもんの登場人物、スネ夫がジャイアンにいじめられ、すぐに「ママ~!」と鳴き叫ぶのを…実は笑えない私なのである。佐野史郎扮する冬彦さんにしても然り。

そう、私はマザコンである。

経済的に自立はしているが、精神面では母親がいないと生きていけない…。
洋服も髪型もアクセサリーも、いまだに「こんな格好をしたらママはどう思うだろう」という思考の末に購入しているフシがある。

すぐ下に妹と弟がいたから、甘えの反動が今まさに熟している最中であり、
母親に気に入られたい思いが、27歳の今でも昇華しきっていないのかもしれない。

母と娘って、どの時代も不思議な絆で繋がっている。
母と娘の数ほどそのカタチはあり、また共通した「想い」がある。

『マリア・テレジアとマリー・アントワネット展』
(「池袋西武本店イルムス館2階」10/21~31)
を鑑賞して、そう思った。

(情報提供してくださったyumimbowさん、ありがとうございました♪)

聡明な母マリアテレジアと奔放なアントアネット。
マリアテレジアの肖像画は書類を握っているのも見受けられ、「政治も頑張っていますよ、私は。」という選挙ポスター宛らなのだが、アントワネットの肖像画はただ「…ふふふ」とニッコリしている肖像画ばっかりである。

秘密の往復書簡には、そんな二人の絆がたくさん詰まっていた。
政略結婚で娘をフランスに嫁がせるも、マリアテレジアは奔放な娘が心配でならない。
嫁がせる朝も「郷に入ったら郷に従えよ!!」と訴えているのだが、果たしてアントワネットに届いていたのだろうか。

やがてアントアネットは、フランスのマダムの間でお洒落カリスマとして君臨する。

…で、何を思ったか、髪を船の形に結い上げた!

ひぃ~!

船だぜ、船。
しかも、プラモデルのようなリアルな帆船。
(再現した鬘が入ったガラスケースの前で、みんな笑っていた。)

欽ちゃんの仮装大賞に出たら絶対に満点の評価を受け、
審査員の笑いの中、「ど~しちゃったの、アナタ!?」と突っ込まれそうな頭。
当然マリアテレジアからも「何やってるの!」と書簡にてお叱りを受ける。
が、奔放娘は「そう?イケてるじゃん」と言って聞かない。

そういうのって、私にも身に覚えがある。
常日頃、母親に忠実に生きている私であるが、母親に対して
「るっせーなー…」
と思うこともある(「こんな娘でごめんなさい」参照)。
どの時代も同じなのだなぁ…。

結局、アントワネットは首チョンパになるのだが、けっこう幸せな人生だったんじゃないかしら、と思う。

五年前にベルサイユ宮殿にある、アントワネットのお気に入りの場所(鏡の回廊の端で庭が見渡せる所、日当たり良好)に立った時も、私はそう思った。

母親からの無償の愛情を受け、
毎日バブルに生き、
公開出産だったけど子供も授かり、
ぼんやり庭も眺められて…。

数々の贅を尽くした品々を見てウットリしたのと同時に、改めて母親と自分の関係について考えさせられた。

2005年の日本。
母の教えに忠実に生きる私は、目に見えない首チョンパを恐れながら生きているのかもしれない…。

コメント (3)