晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

半村良 『すべて辛抱』

2014-04-22 | 日本人作家 は
半村良の作品は、直木賞受賞作の「雨やどり」と続編の「たそがれ酒場」、
そしてマンションが舞台の「湯呑茶碗」の3作しか読んだことはなく、
一般的に有名なSFは、まだ読んでいません。

それよりも、以前何かで読んだのが、宮部みゆきが時代小説を書くときに
参考にしているだか影響を受けただかに4人の作家の名前をあげていて、
その中の一人が半村良で、ちょっと驚いたのを覚えています。

といっても、映画にもなった「戦国自衛隊」もある意味時代小説ですけど。

というわけで、ガッツリ時代小説が読んでみたいなあと思って本屋に行って
探して買ってきたのが『すべて辛抱』。

時代は江戸の後期、下野(現在の栃木県)の鹿沼に、亥吉と千造というふたりの
少年がいました。亥吉に父はなく、母親のおよしは未亡人、隣近所の畑仕事や
田植えの手伝いでかろうじて生活しています。千造は両親がいない孤児で、
およしが引き受けて、亥吉と千造は幼い頃から兄弟同然の暮らし。

ある日のこと、村の廃寺にどこかからお坊さんがやってきて住み着きます。
妙粋と名乗るお坊さんのもとに、およしは亥吉と千造に教育を受けさせて
やってくれと頼みに行きます。

村には他にも子供たちはいるのですが、彼らはもっとちゃんとした寺子屋で
学び、紙も筆もない妙粋は、地面に字を書いて亥吉と千造に教えます。

やがて、十一歳になった亥吉と千造は江戸に旅立つことに。亥吉は下野屋
という薬種問屋へ、千造は佐野屋という麻問屋へそれぞれ奉公に。

亥吉は、熱心に働き、五年で小僧から手代控えに出世します。仕事おぼえが
早いことと、何より田舎で妙粋に文字と子とばぢかいを教わっていたのが
奉公仕事にだいぶ役立ちます。

そのうち、亥吉の働きぶりが若旦那の目に止まります。大旦那は薬種問屋
の他に米相場や材木市場といった金融で金儲けをしていて、大旦那の死後、
若旦那の幸太郎が店主になると、幸太郎は金融の場の付き添いに亥吉を
連れていくことに。

そして、洒落着屋という呉服屋を買い取った幸太郎は、そこの経営を亥吉と
弥吉という先輩手代とふたりに任せます。

亥吉の先見の明で、洒落着屋は大繁盛。しかし、亥吉はクールというかリアリスト
で、この流行商売はいつか廃ると見切っています。今後の洒落着屋の方向性を
弥吉と話し合った数日後、亥吉は下野屋に戻ることに。

そこに、亥吉を尋ねて客が。なんとその客とは千造で、話をきくと、佐野屋に
奉公に上がろうとしたら主人はそんな話は聞いてないと言い、番頭に違う奉公先
を紹介してもらうとそこは湯屋で、すぐに辞めてしまい、それからどうにか
こうにか生きてきたようです。

さて、ふたたび薬種問屋で働くことになった亥吉ですが、旦那に呼ばれ、今度は
溜池の料理屋を手伝って欲しいと言われます。
じつは、世間では洒落着屋を繁盛させたのは弥吉だという評価になっていますが、
弥吉は亥吉の的確なアドバイスに沿って経営していて、旦那はそれを知って、他
の店を任せたいと考えていたのです。

そして、三蔵という男を紹介されて、亥吉は「溜池屋」という料理屋の下働きを
はじめることに。

しかし時代は老中松平定信が定めた寛政の改革の真っ只中、奢侈禁令で溜池屋の
経営にも徐々に影響が出始めます。お武家商売の溜池屋はここらが潮時だと三蔵は
店を畳みます。しかし三蔵は江戸のあちこちで茶店を経営していて、亥吉は代理と
して任されます。
亥吉は仕事をまじめにこなし、いく先々で高く評価されますが、自分の中では
「これじゃない」という気持ちが膨らんでいきます。

三蔵が死んで店を受け継いだ亥吉は、新しい商売をはじめ、それが軌道に乗って
きたら他人に任せるといった「新店開き」と呼ばれるようになります。

ある日のこと、ひょっこり現れた千造と話をしているうちに、ふたりで商売を
はじめてみようとなり・・・

亥吉と千造というふたりの人生を描いている部分と、当時の江戸の政治感、経済感
、そして江戸後期から幕末に向けて時代が変わっていく空気感が描かれていて
とても興味深く読むことができました。

あとはなによりも感じたのは、やっぱりこの人は文章が上手だなあ、と。

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