晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

天童荒太 『悼む人』

2012-03-19 | 日本人作家 た
3~4年前でしたか、天童荒太『悼む人』が直木賞を受賞した
というのがけっこう大きなニュースになって、もうすでに作家
としての地位を確立していたところに、新人の登竜門でお馴染
みの賞ということで「え、今さら?」なんて思ったものでした
(その後に北村薫も受賞して、さらに思いましたけど)。

そして、NHKの「クローズアップ現代」だったと記憶してるん
ですが、『悼む人』に影響を受けて、登場人物のように、全国各地
で、知らない人の亡くなった現場に赴き、追悼をする若い人たち
が当時けっこういたそうです。

蒔野というフリーの記者が、北海道で死後かなり経過した死体が
出てきたという事件の取材をするのですが、この第一発見者は、
千葉で野宿をしていたときに浮浪者から、北海道の山中に女性が
埋められてると聞いて、実際に行って、掘り返してみると白骨死体
が出てきた、という奇妙なもの。

第一発見者の静人という青年は、生前に面識の無かった死者を
(悼む)旅をしているというのです。それも全国各地、お金の
節約のために基本は歩きで、そして基本は野宿。
気になった蒔野は、宗教の類か何か?と聞きますが、静人は、
そうではない、ただ(悼ませていただく)だけだ、と。

亡くなった人は、どういう人生を送ったのか、人に感謝される
一生だったか、などを生前を知る人に聞いたりして、それらの
情報とともに(悼む)のですが、時には怪しまれたり迷惑がら
れたりもします。
しかし、静人は、新聞や雑誌、テレビで情報を得て、現場へ赴き、
(悼む)ことを続けます。

こんなのは偽善だ、あるいは頭がアレなのでは、と蒔野は思い
つつも、東京に戻ってから、静人のことが気になります。そして
ネットで「全国各地の歩き回って、死亡現場で追悼をしている
青年を知っている、見たことがある人がいたら情報を求む」という
書き込みをします。

ところで、静人は、この長旅の費用は、それまで働いていたときの
貯金をはたいているのですが、はじめの(悼む)旅は、年末には家に
帰ってきていたのですが、ここ数年は戻ってこず、家族は怒りという
か、呆れているというか。
静人の母親、巡子は、末期のがんで、在宅での治療を選び退院します。
自分が生きている間に息子に会えるかが気がかり。

この旅に、夫の殺害の罪で、出所したばかりの倖世という女性が同行
することに。倖世は、まるで仏のように心優しい寺の住職である夫を
殺したのですが、倖世は前夫からの暴力から逃れるために、駆け込み寺
(シェルター)に入り、そこで働かせてもらい、住職と結ばれます。
しかし、そんな夫をなぜ殺すに至ったのか・・・

この世の中で辛いことは、「死」が忘れ去られていくことだ、と静人は
思い、せめて自分が(悼む)ことで、忘れない「努力」をし続けるのです。
この行動には矛盾、葛藤もあり、たとえば、「死んだほうがまし」といった
人も(悼む)のか、事故で大人数が亡くなったりしたら、一人一人に対して
(悼む)ことができるのか、など。

(悼む)旅と交互に父、妹、従兄弟など静人の家族関係が描かれます。
なぜ、静人はこんなことをするようになったのか、そして、家族は彼を
どう思っているのか。

たぶん、蒔野や倖世のように、はじめは懐疑的な見方をしていた人と同じ
スタンスで読みはじめるのと、純粋に静人という人物をバイアス抜きで見
られるスタンスで読みはじめるのとでは、全体的(途中~ラストちょっと前)
の印象がずいぶん違ってくるでしょう。
どちらにしても「心が洗われた」帰結にはなりますね。

「号泣」「感動の嵐」といったキャッチフレーズは意外と心に残らなかったり
します。
『悼む人』は、そこまで思い切り心を揺さぶられるようなことはありませんが、
良い本というのはこういう作品のことをいうんだよと、後世に残したいですね。

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