やまがた好日抄

低く暮らし、高く想ふ(byワーズワース)! 
山形の魅力や、日々の関心事を勝手気まま?に…。

輪の先 2

2006-11-14 | 神丘 晨、の短篇
        
      


 波留子は、ペットボトルのお茶を飲み干すと、小さくため息をついた。
 コンビニで買った時にはよく冷えていたのに、お客からの電話を受けている間に温くなってしまっていた。ダッシュボードの上になど置かなければ、こんなに温くもならなかったはずだった。些細なことを悔んだ。
 長袖が苦にならないままで夏が終わったと思ったら、九月の中旬になって酷い暑さがぶり返してきた。農家の知人は、天候に翻弄される毎日に半ば呆れたように空を見上げていた。
 すべてがこんな調子だ。いいことなんて、ひとつも起こる気配もない。
 波留子は、耳元にまだ残っているお客の声を掻き消すように車のドアを開けた。契約するつもりだったがやめるわ、と電話口であっさりと云われた。ランスの会へ収めるお布施が、波留子の生活に影響を与えはじめていた。すでにお布施ではなく、要求に近いものになっていた。スーパーのパートを止め、生命保険の営業を始めたが、生来の口数の少なさが災いしてうまくはゆかなかった。
 昼休み時間を過ぎた公園は、駐車している車もまばらだった。波留子は所在無げに駐車場を歩いた。
 公園を囲むように山並が見えていた。夏をやり過ごした木々は、一様に葉を茂らせ、今年の生育を充分に終わらせたように見えた。
 春先には、山の斜面に山桜が見えていたはずだったが、今はその木が何処にあるのかもわからなかった。あの木を見つけるには、来年まで待たなければならないのか。あの山桜は、それで充分満足している。誰に見つけられるでもなく、誰に愛でてもらえるわけでもなく、自らに与えられた周期を繰り返す。
 ベンチの横に枯れかかったような椿の木が二本見えた。共に大きな木だが、揃えたように中央の幹が枯れていた。
 今の生活は、何の意味も無い…。
 宗教に頼るには、それに身を任せるには、自分自身にそれなりの覚悟と決意がなければ入ってゆけない。
 ランスの会がどうという問題ではない。私の問題なのだ。私が、何と向かうかの問題なのだ。
 覚悟と決意…。
 そういえば、そんなことを云っていた人がいた。波留子は、枯れかけたような椿を見つめながら記憶を整理した。
 あのマンションの人だ。
 急いで車に戻ると、波留子は携帯電話で番号案内を呼んだ。確か、しまもとこうぼう、というのですが、と尋ねる電話口の先で、嶋本工房をお知らせします、という間延びした声が流れていた。
 数回の呼び出し音の後、嶋本ですが、と落ち着いた声がした。
「あのー、いつかそちらへお邪魔したランスの会の瓜生といいますが」
 波留子は、台本を読むように一息に云った。
「やあ、暫くです。元気でー」
「一日で結構ですから、お休みの日にお付き合いをしていただけませんか?」
 波留子は、嶋本の声を遮るようにひと息に云い切った。

 
「狙いすましたように、何もない季節に来てしまいましたね」
 嶋本孝次郎は、笑いながら、わびるように云った。中尊寺の境内は観光客もまばらだった。あと一週間で師走にはいる、十一月の末だった。
 雪なら雪でよかった。勿論花の季節であれば、申し分もなかった。確かに何もない季節だった。北上川から吹き上げてくる冷たい風を避けるように、波留子は薄手のコートの襟を立てた。
 嶋本は時おり立ち止まって、杉の根元を写真に収めていた。
「何を撮っているんですか?」
 波留子は、すこし手持ち無沙汰に聞いた。
「いや、花も何も無いから杉の根でもと思ってー。しかし、この雪で捻じ曲げられた杉の根は凄い。生きるって事は、こんなに周りにいじめられるものだ、と云っているような曲がり具合だな」
 嶋本は、ひとしきり写真を撮ると「仏像を見に行きましょう」といって先を歩き出した。
 中尊寺へ来るまでの車中で、嶋本は世間話に終始した。現在の自分の仕事の状態、山形の商店街の景気の具合―。
 波留子は、時折あいづちを打ちながら、もどかしい思いをしていた。山形の商店街の物の売れ行き具合なんて、自分にはどうでもよかった。
 九月の末、やっとの思いで嶋本へ連絡をとったのだ。その時、嶋本はこころよく波留子の願いを聞いたが、現場の仕事が忙しく、結局十一月の中旬になって「中尊寺へ行きましょうか」という連絡がきた。
 波留子が、疲れ果てる寸前だった。
 嶋本は、入場券を波留子に渡すと建物に入っていった。
 薄暗い通路の先が人ごみになっていた。嶋本の姿は無かった。波留子はその集団のなかにまぎれていった。
 大きな展示室に入ると、柔らかな照明の中に像があった。阿弥陀如来像だった。
 その三体の姿を目の前にしながら、いく人もの観光客の口からため息のような声が場内に漏れていた。波留子も、何の説明も無いままにその像と対峙して、小さく声をあげた。二、三歩下がると三体の像が一堂に見られた。波留子と像との間を関西弁を話す一団が通りすぎていった。
 金箔ははがれて黒い生地が露出していたが、像全体を形つくっているゆるやかな曲線が場内の喧騒を消していた。穏やかな姿だった。 
 波留子は、場内の隅で、小さく手を合わせた。

「いい能舞台でしょう」
 嶋本は、杉の切り株に腰を下ろすとそう云った。胸元からタバコを口にくわえ、「ああ、この一帯は禁煙だったんだ」と慌てて胸元に仕舞った。
 波留子は、目の前の古びた建物のどこが素晴らしいというのか、見当も付かないでいた。
「宝物館の阿弥陀如来像は有無をいわさず素晴らしいが、金色堂は興醒め以外の何ものでもないな。それに比べると、これは建物としてはあちこちに傷みはあるが、北上川を望むこんな崖っぷちで能を見たいと我儘を云った当時の人間のしゃれっ気に感服するな」
 能舞台の横には小さな社があった。その前に二メートル程の大きさの草で編んだ輪が立っていた。
「嶋本さん、あの草で出来ている輪はなんですか?」
「ああ。確か、茅の輪だと思うけれどー」
「ちのわ?」
「神事のひとつで、夏に行う行事なんだけれどもー。正月から六月までの罪や穢れを夏に祓って、残りの半年を無事に過ごせますようにと、あの輪をくぐるんです。忘れているのか、観光用に残してあるのか」
 二人の前を、老夫婦が低い声で話しながら通り過ぎた。
「あの、嶋本さんはお独りなんですか?」
 言葉の継ぎ穂を失って、波留子は急に聞いた。
「わたしですか?」
 嶋本は、波留子の顔を見ずに、茅の輪をくぐっている老父婦の姿を見ながら返事をした。手を添えながらゆっくりとくぐり抜ける姿を、眩しそうに見ていた。
「確かに、独りになってしまいました。いずれは皆一人になるのでしょうが、自分でもこんなに早く独りになるとは思わなかった」
 嶋本は十年前に起きた交通事故の話をはじめた。
 何の変哲も無い、梅雨明け間近の日曜日だった。
久しぶりに福島の爺ちゃんの所へゆくか、と前日に嶋本が話すと、妻の妙子は、そうね、しばらく実家にも行ってなかったわね、父さんも喜ぶわ、と笑った。三年前に妻に先立たれた義理父の、気弱な話し振りが気にかかっていた。
福島市内の実家で半日を過ごし、妙子が仙台で買い物をして帰りたいと言うので高速道路に入った。少し疲れた? という妙子の問いかけに、嶋本は、ああ、と言った。パーキングエリアで飲み物を買ったときに、運転は妙子に代わった。
 白石を過ぎたあたりで、突然横殴りの雨になった。大丈夫か? と嶋本は心配したが、あと少しだから、と妙子はハンドルを握り締めて前を見ていた。2人の子供は、後部座席で気持ちよさそうに寝ていた。
 前を走る車が少し左に寄ったな、と思ったときにその車はガードレールに接触した。妙子は、反射的にハンドルを右に切った。その時、追い越し車線を走っていた車が嶋本の車を弾き飛ばした。嶋本には、叩きつける雨の中を裸で転がってゆくような感触だけが残っていた。
 妻の泣き叫ぶ声と救急車のサイレンが錯綜した。
 一ヶ月後、私は二人の子供を殺してしまった、と妙子は蔵王山の谷に身を投じて命を絶った。嶋本も、二ヶ月の入院ののちに職場の建設会社へ戻ったが、左手と足に後遺症が残り、それまでの部署だった営業が急にうまくゆかなくなっていた。上司が他の部署への配置換えをしたが、すでに新しいことをはじめる気力は無かった。
「本当に、何もかも嫌になりました。自暴自棄になっても、何も得るものはないと頭ではわかっていても、それを抑える気持ちがおこってこない。結局、会社は辞めました。食べていくだけならと、自分で仕事を始めたんです」
 能舞台を見つめながら、嶋本は淡々と話した。その話し振りは、十年前の事故と、その後の他人には云えない苦しみを昇華し終えたから話せるような穏やかな話し方だった。
「まるで、ユダのようだ、と思いましたよ」
「ゆだ?」
「事故は仕方がない。あのときの雨や、後続の車を責めても何も帰らない。幾度も、幾度も何故運転を代わってしまったのかと自分を責めたときもありました。それらがひと段落したら、手元に金があったんです、保険金です。その時、そう思ったんです。何に使える金でもない。もし神というものがあるとすれば、人間をどこまで弱くさせれば気が済むものか、まるで私への踏み絵のように保険会社から金が振り込まれたんです」
 そこまで自分をせめなくても、と波留子は穏やかに話す嶋本の横顔を見ながら思った。
 裏手の竹林が、通り過ぎる風に鳴いていた。軋むような音も聞こえた。
 私は、この人を好きになろうとしている。
 波留子は、久しくなかった自分の中に起こっている意志を感じた。
「そう云えば、会の活動は?」
 嶋本が顔を向けて聞いた。波留子は、その目線から逃げるように、社から帰る老夫婦の後姿を追った。
「止めたんです、私」
「そうですか。それで、良かったのかも知れません。詳しいことは分からないけれど、信仰というものを押し付けるのは、いや、布教というのだろうが、ろくなものを生まない。そうですか、止めましたか。ウム。それで、良かったのかもしれません」
 さて、と声を出して嶋本が腰をあげた。
「私、くぐって来てもいいですか?」
 波留子は、立ち上がった嶋本に云った。
「何をですか?」
「あの輪です。季節外れでも、まだご利益が少しでも残っているような気がしますから」
 波留子は、嶋本が少し頭をかしげる姿を残して小走りで社へ向かった。
 茅の輪の横に簡単な由来を書いた板が立っていた。嶋本が云っていたのと同じだった。そして、くぐり方が書かれてあった。
 波留子は、「いいですよね」と社に向かって云うと、輪の下の方から茅を数本抜き取った。それを胸のあたりで大事そうに持つと、ゆっくりと輪の中に入った。最初は左にまわり、戻ると今度は右に回った。そして、再び輪をくぐると、左へと回った。
 回り終えると、社に向かってゆっくりとお辞儀をした。そして、振り返ると嶋本の姿を探した。
 嶋本は、能舞台をカメラに収めていた。舞台の背に描かれた青松は、色がはがれ、老木のようになっていた。
「さあ、行きましょうか」
 嶋本は、近づいてくる波留子に向かって云った。

「ガイドさん! 何でこの坂は、月見坂と言うんやろね? こんな大きな杉の木だらけの坂では、月どころか、空も見えないと思うがね」
 波留子たちの前を、観光客の一団が道をふさいでいた。
 ガイドの女性は、待ってましたとばかりに振り向くと説明を始めた。
「皆さん! 藤原の時代は何年前のことだかわかりますか? そう、かれこれ八百年以上も前のことです、この地が京都に匹敵するほどに栄えていたのはー。はっきりとした年代はわかりませんが、この参道にある杉の木は、樹齢約三百年。つまり、中尊寺が栄えていた時にはこれらの杉は苗にもなっていなかった、という訳です」
「ガイドさん、まるで得意満面やな」
 嶋本は、観光客の反応を可笑しそうに聞いていた。そして、その団体客の最後尾にまぎれるように坂を下っていた。関西方面から来たのだろう、言葉に特徴があった。
 波留子は、手にしていた幾筋かの茅を見つめていた。そして、急に公園の椿の樹を思い出した。
 あの二本の椿の木は、もう枯れてしまっただろうか。
 残っているとしたら、枯れた枝は、かろうじて若葉をつけた枝を道連れにしようとしているのか。
 何とか新芽を出していた枝は、枯れた枝を見殺しにしようとしているのか。
 気がつくと、あたりが静かになっていた。波留子は、ひとりで坂を下っていた。
 嶋本は、十メートルほど先を歩いていた。観光客にまぎれて話しながら歩いていた。嶋本と観光客たちの笑い声が杉の梢に消えていった。 
 聴いてみようか、と波留子は思った。
 嶋本が云っていた、受難曲を聴いてみようか、と思った。音楽のCDなんて、ここ何年も買ってはいなかった。どの演奏がいいのか、嶋本に尋ねてみよう。そう決めると、波留子は嶋本の後姿をまっすぐに見つめて坂をくだり始めた。

(完)


輪の先 1

2006-11-13 | 神丘 晨、の短篇
       
  

 九時から始まった支部長の話は五分前に終わった。いつも十時には教会を出なければならなかった。
 梅雨が明けたというのに、八月になっても上着が必要だった。肌寒さすら感じるような雨が降り続いていた。
「瓜生兄弟、今日も一日しっかりと業に励みましょう。貴方を拒絶する人は、すべて、イエス様を拒絶する人だと思って歩いてください。すべて、マリア様を拒絶する人だと思ってください。見も知らず、名前も知らない人の拒絶の一言が、貴方を強くする一言だと思って歩いてください」
 教会の車返しで、空を恨めしそうに見上げていた瓜生波留子の背中を押しながら、今本君恵が云った。
 教会というには、余りにも粗末な建物だった。ランスの会の山形支部長が自宅の敷地の一角に立てたプレファブだった。二階建てで三十坪の大きさだ、と波留子は聞かされていた。建物とは不釣合いに大きい車返しの屋根が付いていた。錆付いた鉄骨の外階段を上がると教会があった。
 ランスの会はイコンをその信仰の対象にしていた。雑誌程の大きさの、イエスとマリアの像が正面にかかっていた。説教台は木製だったが、信者用の椅子は細いパイプの椅子だった。
 入会して日の浅い波留子は、山形支部に何人の信者が属しているのか、まだよくは知らなかった。二十人くらいは顔を合わせた気がした。
 一階はサロンのように使われていた。その横には、瓦屋根が反りかえった大きな家があった。支部長の自宅だった。別棟になっている駐車場には、ドイツ車が二台納まっていた。雨よけの為に囲ってある階段の波板が、可笑しいくらいに貧しく見えた。
「瓜生兄弟! 朝からそんなくらい顔ではいけませんね」
 今本の弾んだ声が聞こえていた。波留子は、その声に急かされるように朝の打合せ会で決まった車に乗り込んだ。
 教会は山形市西部の山裾にあった。辺りは水田と、山の斜面には
葡萄棚が続いているだけだった。時雨を思わせる雨を突いて、波留子は他の信者と共に今本君恵の車に乗り込んだ。

 波留子がランスの会に入ったのは、半年前だった。
自分で考えても苦笑するような、信心とは無縁の四十数年だった。県北の商業高校を卒業し、山形市内の信用金庫に就職し、叔母の家で結婚までの月日を過ごした。無口だけれど、真面目そうだからという叔母の勧めで瓜生雄治と結婚した。結婚と同時に信用金庫は辞めた。二十五の時だった。自動車の部品工場に勤めていた夫とは、十五年の生活の後に別れた。
 今にして思えば、離婚するほどの理由でもなかったのかもしれない。夫の雄治は山形の飲み屋街の女に入れあげて、すでに三年ほど前から家には寄り付かなかった。月末にアパートの扉の小窓に汚れた茶封筒が入っていた。生活費だった。そんな行為が三年近く続いていたが、結局、波留子が雄治の姿を見ることはなかった。波留子が一度実家に戻ってからはそれも無くなった。
 実家の母親は何とかしてよりを戻せと云っていたが、波留子にはそんな気力は残っていなかった。子供が出来なかったことが、あるいはそれが夫を他の女に走らせた一因だったのかもしれないが、波留子の気持ちに余計な揺れを作らせなかった。
 その後に、付き合った男もいたが、長続きはしなかった。
八ヶ月前に分かれた男は、波留子を抱いた後に、いつも「粗末な胸だな」と云って煙草を吸っていた。暫くすると、連絡が取れなくなった。結局、生活を切り詰めて貯めた銀行の金は、そのほとんどが無くなっていた。
 その時、小さな胸を両手で抱えて、波留子は粗末な人生だな、と思った。
このまま、全てが終わるような気がした。いく通りもの、幾十かの選択肢があったはずなのに、自分は何故こんな粗末な人生しか歩くことが出来ないのか。
この先、自分の回りで変化するものがないような気がした。
 このまま終わってしまうのか?
 不安が恐怖心に近づいたときに、パート先の今本から会の話を聞かされた。「何でも話し合える会だから」と、ランスの会への誘いを受けた。波留子は見たことも、聞いたこともない会だった。
二度目に足を運んだときに、波留子は「入りたいと思います」と小声で云った。
「大丈夫ですよ。貴方が変わりたいと思う気持ちを持ち続けていれば、それをイエス様が見放すはずがない。ただし、その気持ちが無くなったときには、その怒りは途方もない力で貴方を襲うと思ってください。もうそれは、私の力では抑えようもない位のちからになりますからー」
 支部長の富長は、励ます言葉とは裏腹に、肩を落として座っている波留子の足元を嘗め回すように見ていた。

 そのマンションは、今本と二度ほど回ったところだった。確か、一軒も話が出来なかった覚えがあった。
「聖書についてー」と話し出すと、「今は忙しいから」と、にべも無く玄関のドアを閉められた。
 管理人の目を盗むようにしてエレベーターに乗り込むと、最上階のボタンを押した。
 エレベーターの扉が開くと、激しい雷雨になっていた。横殴りの雨が廊下のコンクリートを叩いていた。波留子は、その雨を浴びたように気落ちしながら廊下の端へ向かった。
 ドアに、〈工房しまもと〉とプレートが掛けてあった。以前に回ったときには無かったような気がした。
 チャイムを押すと、直ぐ隣で声がした。待つ間も無くドアが開いた。
「あの、聖書についてお話をー」
 云い終わって目を上げると、男が頭を傾けて立っていた。波留子は慌ててバックの中から聖書の冊子を取り出した。
「そうですか、こんなひどい天気の中を大変だ」
 男は、三角定規で肩をたたきながら、真直ぐに波留子の顔を見た。
 左手が、かすかに震えていた。
「ランスの会の方ですよね? そう云えば、円山さんはお元気ですか?」
 男は、玄関横にあるキッチンの換気扇を回しながらタバコを吸っていた。コーヒーの香りが漂っていた。
「円山? 円山兄弟をご存知ですか?」
「ああ。以前に改造の工事をさせてもらったことがあります。とても立派な方でした。いつも家族で回っていたな」
 十帖ほどのフローリングの部屋に、大きなテーブルが置かれていた。奥の部屋には、カタログが整然と並べられた棚がいくつも見えた。
「工事が終ったときに、無事に終わらせてくれた、ささやかだが、と言って聖書を貰いました。
その時はちょっと面食らいましたが、今でも大事にとってありますよ」
 不思議な人だ、と波留子は思った。
会の人たちがいつも云っている、むやみに自分を拒むような様子が少しもない。円山さんのことも知っているという。歳は自分よりは五、六歳上だろうか。三角定規を持っているから、図面を描く仕事なのだろうか。
「時間があれば、コーヒーでも飲んでいきませんか? アイディアが出なくて一息つこうかなと思っていたところなんです。この空模様の下を休み無く歩くのでは、身体も冷え切ってしまうでしょう」
 「それが私たちの使命ですからー」
 ええ、と小さく云った波留子の声は、後ろにいた今本の声にかき消された。むやみに中に入ってはいけない、という決まりもあった。
「そうですか。まあ、時間でもあるときにまた寄ってください。その時にでも、ご馳走しましょう」
 男の声が、波留子の中に入ってきていた。
 何の抵抗も無く、入ってきていた。
今本が、波留子の背中を二度押した。
「あの、聖書についての説明をー」
「ああ、それは結構です。貴方や、貴方の会に何かあるということではないのですが、自分なりの考えがありますから」
「自分なりの?」
 今本は、後ろでいらいらしているようだった。その気配を無視するように波留子は聞いた。
「マタイ受難曲を聴いたことがありますか?」
 男は、コーヒードリップが落ち終わるのを確認すると唐突に云った。
「マタイ受難曲? マタイって、あのイエス様に従っていた弟子のマタイのことですか?」
「そうです。色々な人が作曲していますが、バッハが作曲したマタイ受難曲のことですが、聴いたことは?」
「いえ、私はー」
 波留子は横目で今本の顔を見た。すきにしなさい、という顔つきで横殴りの雨を見ていた。
「私も貴方も、いや他の人を一緒にしてはまずいか、いずれにしてもあと百年も生きられるわけでない。変な男に騙されたと思って、そのうち三時間を作って聞いてみてください。
この曲には、聞く者に対して、一種の覚悟を求めるような凄さがあります。それまで生きてきてしまった人生を自ら悔やみ、これから生きてゆかなければならない人生に対して、覚悟を求めるようなー」
 波留子は、狭い玄関先で男の声を聞いていた。低いが、よく通る声だった。その声は、山形支部長の声よりは波留子の中に何の抵抗も無く入ってきた。
「いくら回るのが修行とはいっても、休みの日はあるのでしょう?
神様だって、週に一度は休みなさい、といって日曜日を作ってくれたくらいなのだからー。そのうち、時間をとって聞いてみてください」
男の話を聞き終えると、今本が波留子の背中をつついた。戻る、という合図だった。
 ありがとうございました、と云うと、波留子と今本は隣りのドアへ向かった。 


(続く)



桜を見に行く

2006-11-12 | やまがた抄




予定がキャンセルになって、しかし外を見れば、そぼ降る時雨。
急に、冬桜を見たくなり、西蔵王にある山形市の野草園へ出向きました。

一応事前に確認したところ、
「雪が降るまでは咲いてゐますよ」
との親切な対応で、カメラだけ持って車を向かはせる。

園の入口付近を見ると、来園してゐる人もまばら、
すでに雪囲ひの作業を慌しくしてゐる最中で、
遅かったか! と思ひ、車をUターンさせると、
車返しの一角で、寒風に身をさらす冬桜が数本花をつけてゐました。
(おかげで、タダで見ることができましたがー)














園の案内には、十月桜、とありましたが、
四季桜、二期桜、師走桜、等の一群のものでせう。

写真を撮り始めてゐると、
冷たかった雨は、みぞれから雪に変はり、
雪月花の2/3の風情です。

しかし、何を好んで、吹きさらす冷たい風の中で、
小さな花を咲かすのか…。
春にも咲くさうですから、その華奢な花に似合はず、
樹としての強靭な意志と生命力をもってゐるに違ひありません。


あたりは、すでに秋の終りを告げてゐて、
残された色は、白い色を待ってゐるだけでした。




























いただき物

2006-11-11 | 大岡山界隈

      

近隣の農家の方から、ラ・フランスを頂きました。
LLくらゐの大きさでせうか、
一週間ほど置いて、食しました。
独特の甘さと、かほりが、秋の深まりと、冬の近さを知らせます。

それにしても、やはり、かうして見ると、
ゴツイ果実です。



カサドシュのモーツァルト

2006-11-10 | 音楽を

      

ここずっと、車の中のテープは、
ロベール・カサドシュによるモーツァルトのピアノ協奏曲26番と27番です。

旧い車なので、CDもMDもありません。
(好みとして、当世の車のスタイルがどれも好きではなく、
 勿論、買ひ換える余力もないのですが (´ヘ`;)とほほ・・)

暫らく聞いていなかったのですが、やはり、とてもよい演奏です。
何しろ、バックがセルの指揮。
(オーケストラはコロンビア交響楽団となってゐますが、実態は、手兵のクリーブランド管弦楽団、らしい)

26番の、出だしのテンポのいち音が素晴しい。
これに、この演奏のよさがすべてでてゐる。
妙な思ひ入れやテンポの動かしを排し、
カサドシュのピアノも、ケレン味のない、正攻法での演奏になってゐます。

モーツァルトが、当時のどの街のオーケストラでも演奏できるやうにと、
弦を主体にし、管の出番を抑へた曲想が深みを少なくしてゐる、
といふ今日の評価のある26番ですが、前へ前へと進むその演奏に、
モーツァルトの、ある意味、起死回生を願ふやうな気持ちが感じられます。


27番も、勁く突き進んでゆく演奏です。
1791年、モーツァルト死の年の作品ですが、
曲自体の大まかな部分はすでに数年前に出来てゐた、といふ事実を思ひおこさせます。
山紫水明のやうに描いたカーゾンの演奏も、また好きですが(まさに、死の年の作品であることを思はせます)、
演奏会の予約が日に日にとれなくなっていったといふ状況下、
それでも、まだ、最後の数曲の交響曲を果敢に作曲してゐた時です。

生活のため、自らの存在価値のため、
生きゆくこと、を感じさせる演奏、です。






天童でも…

2006-11-09 | やまがた抄

天童で、久しぶりに会った友人と昼食をとり、
食後の散歩がてら、格知学舎(ちかくがくしゃ)といふところへ足を伸ばしました。
明治の初期、寺の僧が開いた私塾だとのことで、紅葉の名所として有名なところのやうでした。

小生は、数日前の新聞で紅葉のライトアップをしてゐると読んでゐたところで、
友人は一度訪ねたことがあったとのこと。

なるほど、京都から運ばれてきたといふタカオカエデの繊細な紅葉が、
午後のあたたかなひかりに包まれて、
山里の一角を、趣きのある雰囲気にしてゐました。
カメラを忘れてしまったので、携帯での写真です。




















あたりの山々にも、すっかり紅葉が降りてゐました。









訪問先でも…

2006-11-08 | やまがた抄

下調べに伺った山形市西部の街でも、すっかり、晩秋の色です。




冬に備へて、茅葺き屋根の補修をしてゐた近隣の家ー。
雨で、その手を休めたやうでした。
ここの集落には、まだ10軒ほどの茅葺きが残ってゐるとか。



伺った家の玄関先で、
いつものやうに、マユミの木の実を写真におさめてゐたら、
「持ってゆくか?」
の家長の言葉でしたが、流石に、マユミは大きくなりますので、
遠慮して帰ってきました。



山では、雪の便りが聞かれてゐます。


我が家では…

2006-11-07 | 大岡山界隈
     

我が家では、道路沿ひの小さな庭が、紅葉の盛りです。

客先へ出かけた今日の朝、あたりはすっかりの霧でした。
秋も深まってくると、朝のうち、盆地の山形は深い霧に包まれます。

この霧が出始めると、まう、雪の季節は間近です。
慌しく、冬支度を始めなければなりません。



茶の木、を頂く

2006-11-06 | やまがた抄


お客様の所へ現場調査に出かけ、
帰りがけに玄関先に咲く茶の木の白い花が目に止まり、携帯で写真に収めてゐると、
「何だ、欲しいのか? 今、掘ってやるからもって行け」との家長の言葉。

「いやあ…、さうですかあ!」
と、今日の小生は何のためらひもなく、ひと株頂いてきました。

すでに奥様も13年前に亡くされ、
今は、息子さんとのふたり暮らしとのこと。

幼年期に右腕を病で失ひ、
その後の70年以上の日々を、残された左腕で生きてこられた、
それでも、笑顔の素晴しいお客様に送られながら、
小生などは、本当にまだまだ若輩者、
生きてゆくことに、生きながらへてゆくことに、
いささかのためらひもあってはならない、と
深く自戒しながらのひと時でした。



内田光子のモーツァルト

2006-11-05 | 音楽を

            


納骨をすませてきました。
10年ほど前、区画整理により改葬になった墓地です。

久しぶりに訪ねたその墓地の周辺は、開発が激しく進み、
小生が学校へと通った雑木山の小道の面影もまるでなく、
人の記憶といふものも悲しいもので、思ひ出す糸口もつかめないまま、
粛々と骨を収めてきました。


前日は妹宅に世話になり、
翌日の四十九日への四方山話のかたはら、テレビでモーツァルトの特集をしてゐました。
決してきれい事だけでは済まされない居間のテーブルでの話を包み隠すやうに、
繰り返し流れるモーツァルトの曲に、時として、耳を奪はれます。

番組自体はさして面白いものではありませんでしたが、
その中で、内田光子のコメントが心に残りました。

「許すことの美しさの音楽」

非常に観念的な解釈だとは思ひますが、
(といふよりも、当時、消費音楽に近かったモーツァルトの音楽に対して、
 余りにも、余計な価値をつけすぎるきらひがあります)
それでも妙に、なるほどー、と納得してしまひました。


急な用事が入り、法事をすませてとんぼ帰りで山形に戻り、
まずしたことは、内田光子のモーツァルトを聴いたことです。

ピアノ協奏曲の26番、27番のディスク。
20年ほど前、内田の30代最後の年の録音。
バックは、ジェフリー・テイト指揮のイギリス室内管弦楽団。

内田光子のモーツァルトの協奏曲は、中期から後期にかけてのディスクはすべてあったやうに思ひますが、
結局、一番に手がでるもの、にはならなかった気がします。

当時、イギリスや日本での、協奏曲連続演奏会は絶賛を浴びてゐましたが、
この録音でも、すでにその技量は完璧を期してゐますが、
小生にとっては、いまひとつ、こころに沁みてくるものではありませんでした。
バックのせゐかしらん、と思ひました。
弦のひと弾き、管のひと吹きに、こころ奪はれるものが少なかったやうです。


それでも、内田の云ってゐた、彼女なりのモーツァルトへの解釈は、
小生にとって、しばらく、大きなキーワードになったのは間違ひのないことでした。


(写真は、ジャケット)