やまがた好日抄

低く暮らし、高く想ふ(byワーズワース)! 
山形の魅力や、日々の関心事を勝手気まま?に…。

『萌の朱雀』、を見る

2006-11-24 | 映画雑感


Gyaoにて、『萌の朱雀』を見ました。

十年ほど前、これを撮った女性監督の感性が高く評価され、
確か、色々な賞ももらった
映画でした。
いい作品です。

奈良県の山深い村で、成長し、離散してゆく小さな家族の姿を、
驚喜することもなく、叫ぶこともなく、号泣することもなく、
まさに、淡々と写してゆく。

夫は、死んでしまったのか、失踪してしまったのかー。
その姉は、何故男の子を残して姿を消したのかー。
成長したその男の子と、残された妻との関係は何だったのかー。

たくさんある、人物設定の不明な点に、この映画は一切答えない。
いや、一切を伏せてゐる。

けれども、あたり前のことですが、
現在の、いはゆる普通の家族構成(夫婦、子供二人のやうなー)だけが家族でもなんでもなく、
その家その家に、他人には話すことも出来ない、
できたら伏せてでもおきたい家族構成で、それでも、
日々の生活を送ってゆかなければならない家族、家庭もあまたあるはずです。

確かに、現地の方が多く出演してゐるやうで、
いはゆる素人的な演技もありますが、
その朴訥とした運びの中に、
肉親もまた、集ひ、そして、別れてゆくことの、
楽しく、幸せな時間は、ほんのひと時しかないのだ、といふ確信にみちた視線が見るものの心をうちます。

この映画を見てゐて、
人間(じんかん)至る所に青山(せいざん)あり、
といふ言葉を思ひだしました。
「青山」とは、墓のことで、
人は、たとへどこで野垂れ死んでも、骨を埋める場所くらいはあるものだ、といふ意味
(だからこそ、積極的に世に出て活躍を、といふことでせう)
らしいですが、
ひとの世の、会っては別れることの繰り返しの中で、
やはり、どこへ自らの骨を埋めるのか、
小生にとっても、身近な命題になりつつあります。