『三人吉三廓初買』(さんにんきちさくるわのはつがひ)
河竹黙阿弥の自信作であり、また、代表作のひとつです。
1860年(安政7年)初演。
黙阿弥45歳。
明治まであと6年(根っからの座付き作者たる黙阿弥は、明治に入ると、押し黙ったやうに、その筆を休めてしまひ、何とか出来上がった幾つかの作品も、冴えもテンポもなくなってしまふ。一作を除いてー)。
騒然としてゐた幕末に、この生世話物の名作は生まれた。
歌舞伎の公演は、ずゐぶんなカットや、あるひは一幕だけだったりするのも多いのですが、小生が初めて見た歌舞伎がこの『三人吉三廓初買』であり、殆んどカットの少ない、通しに近いものでした。
東京の歌舞伎座、でした。
黙阿弥独特の、見事に計算された(座付き作者として、役者への配慮や観客への配慮)、そして、散りばめられた”言葉”の彩の美しさ!
文章で読むと、その七五調のリズムに、ほれぼれとしてしまひます。
なんと云っても有名なこの部分ー。
月も朧に白魚の
篝(かがり)も霞む春の空、
つめてえ風もほろ酔ひに
心持よくうかうかと、
浮かれ烏(からす)のただ一羽
塒(ねぐら)へ帰(けえ)る川端で、
棹の雫が濡れ手で泡、
思ひがけなく手に入る百両、
…………
…………
ほんに今夜は節分か、
西の海より川のなか
落ちた夜鷹は厄落とし、
豆沢山に一文の
銭と違って金包み、
こいつあ春から延喜がいいわえ。
序幕、お嬢吉三が夜鷹から百両を取るところから、物語は、入り組んだ設定の人間関係の”宿命”を解きほぐし、やがて、破滅してゆく様を軽快なテンポで進ませてゆきます。
大切(ラスト・シーン)の、一面の雪景色のなか、捕らはれた兄貴分の和尚吉三を牢から出し、けれど、追ひ詰められた捕手たちのなかで三人が見得をきって刺し違へるシーンは、カタストロフィー一歩手前の独特の美しさに満ちてゐました。
公演上、幕府の制限があり、悪者が悪者として生き残れない設定が殆んどですが、職人黙阿弥はそれを逆手にとって、ピカレスクな面白さを充分に詰め込んでゐます。
(写真とせりふは、名作歌舞伎全集10/東京創元社、より)