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早春の瀧山
千年の昔、瀧山の中腹に、この地一帯に大きな信仰勢力を持った、大伽藍と数百の宿坊を従へた瀧山信仰の拠点がありました。
時の権力(北条氏)との対立に破れ、その施設は跡形もなく徹底的に破壊され、今は、そのよすがを偲ぶものは殆んどなく、跡地とされる付近には、毎年紅色の鮮やかな大山桜が咲くばかりです。
山形市南部には、その瀧山信仰をひも解く幾つかの史跡があります。
随時、それを訊ねてゆくつもりです。
瀧山の名を冠した「瀧山寺」と「瀧山神社」。
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閉山により追はれた僧達が、山を下り、桜田の地に小さな寺を起こしたのがその起源とされる寺ですが、子細は不明なところが多い。
千年の後の今、その地は、数十倍の競争倍率があった区画整理地の住宅街に、その史実と伝説を埋めるやうに、ひっそりと存在してゐます。
ずゐぶんと久しぶりに一帯を車で走ったら、満艦飾のやうに住宅が立ち並び、茅葺きの寺は、まるで息絶え絶えとしてゐるやうでした。