今朝の日経の「経済論壇から」に「自己実現系ワーカーホリック」なる概念が紹介されていた。原論文が載った『世界』3月号が地元の本屋で見つからず,正確には確認していないが,仕事にやりがいを感じるが故に,低賃金でも働きすぎてしまう若者のことを指しているようだ。それを企業側が意図的に仕組んでいるとしたら問題だと。
クリエイティブな仕事に就く人々は一般に,自発的ワーカホリックである。そのなかでもトップに位置する人々は,高給を得ているので,「充実した余暇」や「健康」をある程度はカネで買うことができる。他方,クリエイティブな仕事の底辺ないし裾野にいる人々は,報酬が低い,あるいはなきに等しいにもかかわらず,トップ層と同じように朝昼なく働いている。
日本のクリエイティブ産業の内部に大きな格差,二重構造があるのは確かだろう。それが恣意的に作られた「搾取」構造だとしたら,それは改革すべきだし,そうできるはずである。しかし,クリエイティブな仕事において,少数の個人のみが圧倒的に高い能力を持つのだとしたら,この構造は変えられない。どちらが正しいのだろうか・・・。
よく考えると,産業資本主義の時代にも大きな経済的不平等はあったわけで(「華麗なる一族」!),クリエイティブ産業だけ特別とはいえないと思う。個人の才能や能力にはいつの時代も格差はあるが,富や権力の格差はそれ以上に拡大する。つまり,ポジティブ・フィードバックが働くのではなかろうか。
クリエイティブ・ワーカーたらんとする人々が増えても,使えるクリエイティビティを持つ人間は少数だから,経済的格差は拡大するのだという主張には,以前から疑問を感じている。だが,それをどう立証するか? 正直,その方法論は見えていない。まずはケーススタディだろうか・・・。
ちなみに,大学の研究者にも「自己実現系ワーカホリック」は少なくないが,彼らは搾取されているのだろうか? 本来富を生むであろう研究を無料で公開している本当に稀有な方を除けば,むしろ搾取する側かもしれない。
クリエイティブな仕事に就く人々は一般に,自発的ワーカホリックである。そのなかでもトップに位置する人々は,高給を得ているので,「充実した余暇」や「健康」をある程度はカネで買うことができる。他方,クリエイティブな仕事の底辺ないし裾野にいる人々は,報酬が低い,あるいはなきに等しいにもかかわらず,トップ層と同じように朝昼なく働いている。
日本のクリエイティブ産業の内部に大きな格差,二重構造があるのは確かだろう。それが恣意的に作られた「搾取」構造だとしたら,それは改革すべきだし,そうできるはずである。しかし,クリエイティブな仕事において,少数の個人のみが圧倒的に高い能力を持つのだとしたら,この構造は変えられない。どちらが正しいのだろうか・・・。
よく考えると,産業資本主義の時代にも大きな経済的不平等はあったわけで(「華麗なる一族」!),クリエイティブ産業だけ特別とはいえないと思う。個人の才能や能力にはいつの時代も格差はあるが,富や権力の格差はそれ以上に拡大する。つまり,ポジティブ・フィードバックが働くのではなかろうか。
クリエイティブ・ワーカーたらんとする人々が増えても,使えるクリエイティビティを持つ人間は少数だから,経済的格差は拡大するのだという主張には,以前から疑問を感じている。だが,それをどう立証するか? 正直,その方法論は見えていない。まずはケーススタディだろうか・・・。
ちなみに,大学の研究者にも「自己実現系ワーカホリック」は少なくないが,彼らは搾取されているのだろうか? 本来富を生むであろう研究を無料で公開している本当に稀有な方を除けば,むしろ搾取する側かもしれない。