Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

生涯最高の恋人

2006-10-22 11:01:53 | Weblog
気晴らしに読んでみた柴門ふみのエッセイ集『四十雀の恋もステキ』だが,はっとさせられる箇所が多い。売れっ子漫画家にして40代・子あり・兼業主婦の視点は鋭く,かつ暖かい。著者は,10歳以上年齢の若い恋人を持つ女友達について語りながら,次のように書く:

「私は、今度恋をするなら、息子以上に私を愛してくれる男じゃなきゃ嫌だ、と思っている。つまり一日のでき事を細かく報告し、電話をする私にぴたりと張りつき、こたつの正方形の天板の同じ一辺に座って身体を寄せてくる男じゃなきゃ嫌なのだ。」

あるいは別の箇所で:

「私が羨ましいもの、私が今一番ほしいものは十歳未満の子供なのだ。私が失ってしまったもの。そしてもう永遠に手に入らないであろうもの。二千万のダイヤよりも、私はそれを求めている。/いや、待てよ。孫がいるではないか。」

子育てが終わりかけ,あるいは終わってしまった女性にはこういう感覚があるのか・・・いや,男性もそうじゃないか。孫を待てばよい,といっても晩婚化・少子化の今日,あまり期待できない。かといって,よそ様の子どもを勝手に抱き上げたりしたら,逮捕されるのが落ちである。孫が持てない中高年のための市場・・・なんてものをふと想像した。

柴門さんが老人介護の研修に行ったときのエピソードも印象に残る。汚れたオムツの臭いに「ああ,この臭いは,確か昔ウチにもあった」と彼女は感じる。老人と赤ん坊の類似性を感じながら,老人から罵声を浴びたり,つねられたりした苦労も書かれている。

子どもとのふれあいが消えたあと,「家庭」は次第に別のフェーズに入っていく。自分が老いていく以上に,すでに老いてしまった親の問題が出てくる。何とか元気に自立している場合はいいが,誰もそんなことが保証されていない。痴呆の老人は赤ん坊のように無邪気だとしても,子どもような未来に向けた希望がない(もちろんそれは本人以外が勝手に思うことだが)。過去に楽しい想い出があっても,それが現実の前で風化していく日々である。こうした重みも,さりげなく登場するエッセイであった。