上越市東部山懐の浦川原区に法定寺と言う寒村が有り、おそらくその地名の元となった古刹「法定寺」に一種独特な古石仏が集められている。
集落外れの法定寺は無住に成って何年経つのか??杉木立の山間、夏草に埋もれる様に建ち、まったくの手付かずで今にも山林に飲み込まれそうな有様でした。
草茫茫の境内には敗れ果てた庫裡と本堂、その脇には蔵のような建物と鐘楼・・・・・、石仏群はこの蔵のような建物の中、見るも無残な放ったらかし状態で置かれて居ました。
正面はアルミサッシのガラス戸、格子は無いもののしっかり施錠されガラス越しの撮影しかできません。
長らく誰ひとり足を踏み入れた形跡もなく、その荒れ様には目を覆うばかりです。
頭部だけのものが5~6体、あとはずんぐりむっくりの丸掘り石仏が10体程、まるで打ち捨てられたように板床に転がっていました。
この地域では平安の昔から存続してきたといわれる「雨降り地蔵信仰」が有り、この石仏もその雨乞い石仏達だと言われています。
板の間中央一番奥にあるのが石仏群の本尊とされる阿弥陀石仏、像高約1.3m、肩先から下部に断裂しているように見えるのは寄木工法で造られているからだそうです。
因に定印を持つ阿弥陀如来で妙高関山のものと同様、胴から下部は有りません。
首だけを別石の台石に置かれた如来形頭部・・・・素朴で童顔、平安末期の造立だとされる。
やけに丸味をを帯びた丸掘り石仏が多いのですが、右下部の様な妙ちくりんな石仏も見えます。
単に石仏と言うよりもっと土俗臭いものを感じさせられます。
一方こちらは集落入口近くで見かけた沖見地蔵尊と書かれた石仏。
ふっくらまん丸ボディーの丸彫り石仏・・・・真っ赤な涎掛けに雪国独特の真っ赤な巾着帽??おまけに胴には太いロープが巻かれています。
左脇には同じような小石仏と右手には石柱に乗せられた如来形仏頭石。
最早目鼻立ちもはっきりしませんが両手は膝の上で定印を組む阿弥陀石仏のようです。
達磨さんに縄でも掛けたようなその姿は「雨降り地蔵」の名残でしょうか??それとも現在でも続けられているのでしょうか?
因に「雨降り地蔵」とは旱魃になると石仏を荒縄でしばり、何度も池へ投込んでは引き上げ、雨乞いのお祈りをする農耕儀礼に使われた石仏の事でこの地域には多く残っている。
撮影2012.9.13