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愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

京都府八幡市浜上津屋(やわたしはまこうづや) 伊佐家住宅

2013年05月02日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)京都府

京都「八幡市(やわた)」の木津川傍にある重文民家の伊佐家住宅。

何回か紹介している京田辺市から木津川下流域にある八幡市は、平城京の裏鬼門(南西)を守護する神社として宇佐八幡から勧請された「岩清水八幡宮」でその名を知られている。

正面外部から見るだけでもその豪壮さはよく伝わって来ます。

屋敷前の空き地の凹みは往時の濠の跡だとか・・・・、屋敷の周囲には濠をめぐらせ、防禦と水利を兼ねた環濠住居でだったようで、木津川から直接船で乗り付けることが出来たそうです。

伊佐家は伊佐家は上津屋地域にあって幕府領の庄屋を代々務めた名家、屋敷は周囲の竹藪を含めると約3000坪もあるそうです。

正面からは大きな長屋蔵が邪魔に成って全く内部の様子は伺えません。

近づいて正面から見る主屋はこれ・・・・・、棟札から享保19年(1734)の建築だそうです。

これはピーンポーンと声をかけ入口近くまで入ってバシャした一枚。

因にこれ以上奥はダメですよと言われましたが・・・、圧倒されるような茅葺き屋根です。

仕方なく横に周り塀越しに撮った写真・・・・横から見るととても複雑な造りの様に見えます。

気に成り、帰ってグーグルアースで確認、茅葺きは表側半分、裏は棧瓦葺き・・・・表からだけでは全く想像も出来ない複雑さです。

伊佐家住宅は普段の一般見学は不能、団体嫌いの僕には無理な、団体のみの予約で可能なようです。

撮影2013.3.12


京田辺市 宮津の茅葺き民家

2013年05月01日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)京都府

京田辺市の市街地に近い宮津の旧在所に、二軒の茅葺き屋根の民家が軒を並べるように残っている。

この辺りは旧在所と言っても交通のアクセスも良く、すぐそばに幹線道路や近鉄京都線も走り、すぐそばまで新興住宅が迫っている。

集落の南外れ、大きな屋敷の立ち並ぶ中に一際目立つ大和棟の一軒。

山城で何件か見かけるスタンダードなスタイル、落棟四周の庇を棧瓦葺きで始末している。

建物自体もそう古くなさそうですが、やっぱり大和棟茅葺き屋根には特別な趣が有る。

しかしこの屋根も裏に廻るとこのようにトタンが懸けられて居る。

これも結構良く見かける姿です。

かたや隣家の茅葺き屋根は入母屋造り・・・、右奥に上記の大和棟が見える。

大きな屋敷をブロック塀と立木で囲んでいて外部からでは見渡せない。

表門は閉ざされ、留守の様だったので写真はこれだけ。

古い集落でも中々残っていない茅葺き屋根が隣同士に二軒も残っているのは稀有なことです。

撮影2013.3.3


京都府京田辺市 打田(うった)茅葺き民家

2013年04月28日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)京都府

京田辺市から奈良県生駒市へ最短距離で抜ける府道65号線沿い、打田(うった)集落にたった一軒残った茅葺き屋根民家。

京田辺市の最南西端、天王集落と尾根続きの集落で茶筅の主産地として知られた生駒市高山町と接している

集落は斜面に広がる棚田上の尾根台地に100軒足らずの民家が軒を連ねる。

トタン懸け茅葺き民家も10軒ばかり残り、懐かしい景観を残している。

打田集落を切り裂く様に突き抜ける府道65号線、集落中程辻に面して茅葺き屋根が残っている。

天王集落で見た茅葺き大和棟に瓜二つ・・、両袖落棟その下方には四方廻りの棧瓦庇。

棟頂部には棧瓦葺きの箱棟を乗せて居る。

ちょうど家の主人が居られ、今は「茶さじ」造る仕事をしていると言う事だった。

一昔前までは農家だったようだが・・・・・・、庭先はもう農家の佇まいを残して居なかった

母屋の屋根は裏に廻るとトタン掛け屋根となっていた。

撮影2013.2.22


京都府京田辺市 天王の古民家(トタン懸茅葺き屋根)

2013年04月27日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)京都府

前回、前々回と紹介した天王集落は、長屋門土塀の立派な屋敷がいたる処に有り、一昔前まではそれこそ茅葺き屋根の民家がその大部分を占めていただろうと思うほど茅葺き屋根にトタンを懸けた民家が目立つ。

もちろん茅葺き屋根には遥かにに及ばないが、経済的理由や諸事情によりトタン懸け屋根も致し方なく・・・、それはそれでまたひとつの美しい景観として記録していく意味が有ると思う。

南面斜面に密集して民家が軒を並べ、集落内斜面に軽トラックでも入らないような細く急傾斜の在所道が縦横無尽に走っている。

ここで育った人はさぞかし足腰が丈夫だろうと思ったり・・・・。

集落最上部、朱智(シュチ)神社への参道付近の民家

大きな大和棟の豪壮な造り、新築を建てるほどの資金をつぎ込み補修したのだろう???

見事な棧瓦葺き大和棟にも見える金属屋根が懸けられ。頂部には幅広い棧瓦葺きの箱棟が載せられている。

全面補修され、古びた良さは伺えなくなって居るが、茅葺き屋根の時はさぞかし風情が有ったことだろう・・・・。

独特な味がある大和棟にトタンを被せた民家・・・、屋敷に主屋と蔵が密集している。

集落上段で見かけた民家。

桁行の長い大きな入母屋茅葺き屋根に棧瓦風金属板が懸けられている。

入母屋の茅葺き屋根もこれだけ大きいと、さぞかし立派だったのだろう・・・・。

集落道が軒をかすめて通るトタン屋根の民家。

この規模が通常農家の入母屋茅葺き屋根・・・・、これだとトタン屋根と云う範疇

集落下段、在所道、角で見かけたトタン屋根民家。

小さいながら中々手の込んだトタン屋根を載せている。

しかし洩早温もりが消えた民家は荒れるに任されている。

街からそう遠くない距離でも・・・・・こうして見捨てられる民家も見かける。

景観だ風情だと言ってもそれは現実に生活する人にとって、其れ程重要では無いのだろう・・・・。

撮影2013.2.13


京田辺市 天王(てんのう)の茅葺き屋根民家-2

2013年04月26日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)京都府

天王集落に有るもう一軒の茅葺き民家。

朱智神社に続く在所道、集落上段を突き抜ける山手側に大きな屋敷が集中していて、その中にもう一軒の茅葺き民家も残っている。

やっぱり棧瓦葺きの落屋根を持つ大和棟の民家。

この家は全く留守で門戸固く閉ざしていたの門内に入っての写真は撮れません。

鋭角にも見える屋根の傾斜と白壁妻部の意匠が素晴らしい。

撮影2013.2.14


京田辺市 天王(てんのう)の茅葺き屋根民家-1

2013年04月25日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)京都府

南山城の山上集落、奈良生駒と大阪北河内と境を接する歴史的由緒有る古い集落。

集落の最頂部には朱智(シュチ)神社と呼ぶ古社が有り、「息長(オキナガ)氏」の祖「迦爾米雷王(カニメイカヅチノミコ)」を主祭神に・・・後桓武天皇の御代(781--806)に素盞鳴命(スサノオノミコト)を祀り朱智天王と称した事がこの地の地名として残っている。

歴史的にも地理的にも奈良生駒地方と強い繋がりを持つこの集落には相当な数の大和棟野茅葺き民家が残って居るがその殆どがトタン屋根に変わってしまったが、現在でも二軒の茅葺き屋根が見られる。

その一軒目、棧瓦の箱棟を載せた大和棟

外部からは納屋袖をもつ長屋門と腰板塗り壁塀に囲まれ、本体の茅葺き屋根は殆ど見渡せない。

門の前でそれと声をかけ立木の多い庭まで入らせてもらってバシャ・・・農家の佇まいを残した豊かな山村の民家です。

天王集落最上段に位置して、眼下一望に集落を見渡せます。

撮影201.3.2.14


京田辺市 大住(おおすみ)の茅葺き民家

2013年04月24日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)京都府

前日紹介の澤井家住宅の有る岡村の西隣村、大住東村で見かけた茅葺き屋根。

集落のちょうど中程、在所道の辻に面してこの茅葺き屋根の民家が建って居た。

元は農家だった様だが・・・・現在、敷地や庭先を見ていると農家では無い佇まい。

40~50年前、山城での茅葺き屋根は、これがスタンダード・・・。

入母屋茅葺き屋根に棧瓦葺きの庇。

棟が相等傷んで居るので、このまま茅葺き屋根で残るかどうかは?かなり危うい。

撮影2013.2.9


京都府京田辺市 澤井家住宅

2013年04月23日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)京都府

我が山城の民家で初めて重文指定を受けた澤井家住宅。

山城の中央部、木津川左岸域の京田辺市大住地区にあり、僕も遠い昔、二十代の頃に訪れ、今回の再訪でその変わりように暫し呆然自失の感を覚えた。

あの頃、建物は傷んでいたが、しっかり民家として機能しており、まだこの建物で生活されておられ、気軽に声をかけ案内してもらった。

現在、家人は屋敷内の小さな別建物で生活されて居り重文建築はすっかりセミの抜け殻、一見真新しく見える豪壮な茅葺き建築が記念館よろしく建っていて、昔感じた温もりは全く感じられ無かった・・・・・・、ちょっと哀しい現実。

2007年大解体修理を終えた澤井家住宅は、NPO法人「オフィス アマティ」として地域文化発信基地としての役割を担っており、どことなく敷居が高く成ってしまった。

澤井家住宅は京奈和道、田辺北IC近くの府道251号線、岡村集落の中心を占める位置にあり、ここを通る人は誰でも目の当たりにする。

集落内を突き抜ける府道がちょうど直角に曲がりくねる内側に広い屋敷を構える澤井家の独特な黒門と豪壮な茅葺き屋根が見える。

大名の赤門に対して、黒門は宮家の門とされ、澤井家と宮家の関係深さが偲ばれる。

門は二箇所とも固く閉ざされ、土塀と生垣で囲まれ外部からはL字型入母屋造(いりもやづくり)の茅葺屋根が見えるだけ。

澤井家は近江源氏の流れをくむ佐々木義賢の家臣であったが、戦国末期、慶長年間に大住に帰農、六代正清の時、「尼門跡曇華院」所領地の代官を務めた家柄であり、一般の農家とは異なり、皇族とのかかわりに由来する洗練された造りの住宅です。

黒門に正面を向け東向きに建つ主屋は江戸時代中期の元文六年(1741)建築。

外壁や外部材、庇瓦まですっかり真新しくなり古さ故の風情は無くなり・・・、ちょっとあっけに取られてしまいますが・・・。

こうして外部から、山城ではここでしか見ることの出来ないL字型入母屋茅葺き屋根を見ていると・・・、もう何十年も昔の澤井家そのまま。

又時間を重ねて古色を帯びる時期も来るのだろうが??

撮影2013.3.10


茅葺き屋根に泳ぐ鯉

2013年04月15日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)京都府

もう都会の近くでは殆ど見られなくなった鯉のぼり。

ましてや茅葺き屋根に泳ぐ鯉幟など滅多に見ることはない。

こんな景観がつい30~40年前までは、どこの田舎でも当たり前に見れた。

撮影2010.5.3


京都府城陽市  冨田家住宅/茅葺き屋根の葺き替え-2

2013年04月02日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)京都府

冨田家住宅、茅葺き屋根の葺き替え工事のパート2

年は明けて2011年・・・、その年の早い蝋梅の花がほころび出した1月8日。

棟木はすっかり丸裸・・・、いよいよ新しい妻飾り、大きく「水」の字くり抜いた三角形の妻板煙り出し?の取り付け。

葺き替え工事のハイライトでしょうか・・・・かなり慎重です。

歪みの無い事を何度も何度も遠目に近目に確認してから固定。

明けて翌日1月9日・・・・足場に登って、東北方向から

こちら東南方向から・・・・・棟にも新しい茅が積み重ねられ、それらしい形になって来ました。

逆側、西南方向依り・・・

これは西北方向から・・・・ここまで来たらもう少し。

富田家母家は南面して建ち、正面に大きな「かど」を持ち、母屋を挟んで東に納屋、西に土蔵を配する旧庄屋さん。

子供の頃の景観とは随分変わったが・・・・。

棟もすっかり覆われいよいよクライマックスも近い。

<撮影2011.1.19>

いよいよクライマックス、棟を檜皮で覆いその上に筒状の枕??

枕の上、中央にはには太い孟宗竹??・・。

いよいよ最後の仕上げ整形・・・。

見事な切れ味のハサミで素晴らしい整形。

正面から見てもバッチリ決まって居ます。

<撮影2011.1.24>

すっかり完成なった富田家住宅・・・庭の蝋梅が色を添えています。

素晴らしく刈揃えられ、見事な美しさを見せて居ます。

嘗て、南山城の茅葺き民家にはこんな入母屋の家が多かった。

<撮影2011.2.14>

屋根が葺き上がって暫くすると南山城では滅多に降らないない雪が積もった。

こちらでは滅多に見れない雪景色の茅葺き屋根。


京都府城陽市  冨田家住宅/茅葺き屋根の葺き替え

2013年04月01日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)京都府

<撮影2007.5.4>

我が家の近くにたった一軒残った茅葺き民家。

茅葺き屋根に鯉のぼりが泳ぐ景色はそう見られないかも???

<撮影2008.1.15>

この南山城近在でも昭和30年近くまで、僕が子供の頃は周りの家が殆ど茅葺き屋根だったのに、あの日本列島改造論の煽りか?あっという間に茅葺き屋根の民家は姿を消し、周りの田畑には新興住宅のマッチ箱の様な小さな家が建ち並んだ。

<撮影2010.3.14>

現在この南山城全体で数えても10指程の茅葺き屋根が残るだけ・・・そのうちの3軒は文化財指定を受けており、このように無指定の茅葺き屋根が健在なのは貴重です。

<撮影2010.12.27>

そんな折り、もう二年以上前になるが、この富田家茅葺き屋根の葺き替え工事が行われた。

大晦日をそこに控え、下方から葺き上げて来た屋根はいよいよ棟部へ・・・・・。

それにしても職人さんはみんな若者。

これならかやぶきやねもまだまだ健在、大丈夫か?と聞くと・・・、原材料に成る茅そのものが手に容れにくいとか??

使えるところには古いものも使うそうだが・・・・・。

2010年はこの状態でブルーシートをかけての年越し。

写真が多く成り過ぎるので続きは明日・・・・。


京都府京田辺市 東(ひがし)の「大徳寺茅葺き屋根」

2013年03月04日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)京都府

昨日紹介した京田辺市東、同集落内にある真言宗大徳寺の茅葺き屋根本堂。

列島改造以後急速に都市化が進み、僕の子供の頃には集落内横断する幹線道路が一本有るだけの小さな集落、都市化が進んでやがてバイパスが集落の西端を横切るように新設され、それでも交通量の増大のため、更に集落の東端をかすめる様に新しい国道が増設された。

現在旧集落は新興住宅や都市化した建物に飲み込まれてしまったように息を潜めている。

集落の西端バイパス沿いに、唯一、竹藪雑木林に囲まれた「真言宗智山派」東福山大徳寺の風情豊かな茅葺き屋根の本堂が建っている。

大徳寺は元、此処よりもっと木津川に近い地に村の大日堂として存在してたようですが・・・・木津川の氾濫により流失、その後時を置き、安政三年(1856)現在の本堂に再建された。

寺の本堂としては珍しい民家風大和棟茅葺き屋根を持ち、間口正面庇を「廻り庇」より一段高く上げ、それらしく突き出し幅も多くしていて、その分、茅屋根母屋部に独特な切り込み部を見せている。

この建物は再築の折り新築されたものではなく、そう遠くない現在の八幡市辺りに在った建物を移築したものだそうです。

落ち棟袖部はかなり大きく突き出し庫裡として利用されて居たのだろう。

南面して建つ本堂を東側より見る。

破風板には切り抜きの「丸に橘」紋・・・・、この寺は橘氏とゆかりの有る寺なのだろうか??

こちら側妻部は入母屋造りになっている。

西側から見ると間違いなしの大和棟、下り瓦棟には鳩瓦が載せられていた。

こうして見ると・・・・、寺院というよりは民家そのもの様です。

撮影2013.2.16


京都府京田辺市 東(ひがし)の茅葺き屋根民家

2013年03月03日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)京都府

この家はお袋の実家の近くの名家、子供の頃から良く知っていたが、昭和の後期、これと良く似た以前からの大和棟を取り壊し、以前と同じような大和棟茅葺き屋根を新築した。

まだ若かった僕には驚きだったが、今は亡きこの家の当主が大和棟茅葺き屋根の良さを誰以上に良く知って居たのかも??

山城盆地を東西に切り裂く様に流れる木津川西岸域、木津川に架かる山城大橋を国道307号線で西側に渡り切り、道成に進めば真正面のこんな景色にぶち当たる。

車窓から右手を見れば鋭角を成す妻部、棧瓦葺きの落ち棟には煙り出し舘。

裕福な経済力の証か、長屋門の奥に切り立つ茅葺き大和棟。

現代建築とは思わせない程の景観を醸し出してる。

もう築後30年以上、屋根の傷みも目立ち、そろそろ葺替え時・・・

まさかカラートタンで覆ってしまうことは有るまいが・・・。

下り瓦の棟に付けた鳩の縁起瓦は子孫繁栄の呪物だとか・・・。

山城の大和棟民家には其れ程の高塀は見られない。

撮影2013.2.16


京都府南丹市美山町 北村かやぶきの里

2013年03月01日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)京都府

関西では、五箇山の合掌造りや会津大内宿並みに良く知れ渡った茅葺き屋根の集落、もう観光地化され久しく、観光シーズンには観光バスやマイカーが列を成す。

もう随分前の蔵出しになりますが・・・人並みにこれを機会にUPしておきます。

この地は有名だから現地前説は省かせてもらいます・・・・同じ京都とは言え我が山城からはちょっと遠い。

駐車場から集落への道はこんな塩梅、まあ多分シーズン中の土曜日だったかも・・・。

さすがに観光地化されるだけの事は有ってずらりと茅葺き屋根がひしめいてます。

先ずは定点スポットから・・・・お決まり、あの赤い大きな筒型ポストと土提道の簡素な地蔵堂・・・。

逆帆立貝型の茅葺き屋根が整列している。

江戸時代に建てられた18戸はいずれも北山型の入母屋造りの民家です。

僕の集落でも、嘗て僕がまだハナタレ小僧だった頃にはこんな風だった・・・

確かに瓦屋根の家より「くずや(葛屋)」の家の方が多かった・・・・、因に我が家は裏も左右隣も葛屋で前は田圃でした。

平成5年、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定。

茅葺き屋根を検索すれば、うじゃうじゃこの集落が出て来るのでうんざりする程・・・・。

もうこれ以上・・・

くどくど説明はしません。

撮影2007.10.28


京都市嵯峨 鳥居本の茅葺き屋根

2013年02月28日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)京都府

京都に来る人の多くがこの景観にも出逢いたくて来るのだろう・・・、其れ程有名で京都を代表する「絵になる茅葺き屋根」です。

余りにも整い過ぎ、ちょっと太宰治の富士山のようですが・・・・

嵯峨の奥、京都では火伏せの神として絶大な信仰を集める愛宕神社、京都人なら誰しも二度や三度は登った事のある愛宕山、その参道へ続く街道筋に建つ茅葺き屋根。

深い山懐の緑と真っ赤な朱の鳥居、それと見事のマッチした茅葺き屋根の「平野屋」さん。

入母屋主屋に棧瓦の庇、、べんがら格子に紙障子、折りたたみ床几に真っ赤な毛氈・・・・、この絵はそのまま良くカレンダーにも使われています。

このあたり土日や観光シーズンにはとても近づけないほどの人気スポット、人混みの嫌いな僕等、人並み途絶えた真冬・・・・、それも、もう何年も前に出かけたきり。

鳥居を前にしてもう一軒、茅葺き屋根の鮎料理屋さん。

こちらも同じような佇まいだがちょっと小ぶりな「つた屋」さん。

すっかり観光地化され、鄙びた良さは影失せている。

撮影2008.1.4