合唱団は「復活」公演より声量があった「スーパー・コーラス・トーキョー」だったが
年に1回、「織姫と彦星が出会う七夕」のように10月に「だけ」公演する、と言う摩訶不思議な活動をする「プロ合唱団」を称する「スーパー・コーラス・トーキョー」の今年はマーラー「嘆きの歌」。発足からこれまで2年、毎回聴きに行っているので、今年も聴きに行った。第1~3部全てを「最終稿」で通す、と言う「現在では珍しい形態」公演。前プロのワーグナー「ジークフリート牧歌」は合唱が無いので批評しない。
前月9月29日に聴いたマーラー「復活」公演よりも女声が2名多い「女声46名+男声36名」。メンバーは、二期会、藤原歌劇団、元新国立劇場合唱団員など、オペラ合唱のプロが多い。(私高本は、オペラ合唱系以外の名前は見ることがほとんど無いので分からない>< )
「スーパー・コーラス・トーキョー」は合唱指揮者 = ガッビアーニ を招聘しての指導が「売り」だが、同人数の時の新国立劇場合唱団 に「はっきり聴き劣り」するが3年連続
指導者の問題なのか? メンバー1人1人の問題なのか? 練習時間不足なのか? 1年に1回しか演奏しないのでノウハウが蓄積しないからなのか? は不明。
1週以内に同じ インバル+都響のマーラー 同士で比較すると
スーパー・コーラス・トーキョー の方が声量は大きい
二期会合唱団 の方が「柔らかな音色」が出せる
の違い。曲の出来が圧倒的に「復活」の方が良いので、スーパー・コーラス・トーキョー メンバーからすれば、(他の条件が同じであれば)感情移入が難しいかもしれないが。
正直なところ、高いギャラを ガッビアーニ に払って、「何か良い特徴が出ているのか?」についてほとんど感じることが出来ないのは不思議。
日本人指揮者 三澤洋史 指導の 新国立劇場合唱団 の方がはっきり上
だからだ。やはり 国 > 都 なのだろうか?
インバル+都響 の演奏について。「開放的なマーラー」方向は同じ。但し、曲の出来自体が、「巨人」以降の マーラー交響曲 の域に全く達していないので、「鳴らしようが無い」のも事実。フレーズ自身も「マーラーらしい長々」になっていないので、インバル が未消化のように聴こえた。インバルは「手の内の曲」のみがはっきり個性が打ち出せる指揮者のように感じた次第である。
ソリスト4名は充分に役割を果たしたが、一貫した役柄が無いので、感情移入が多くは無かった感触だった。
スーパー・コーラス・トーキョー 次回公演は未発表。インバル+都響「マーラー」次は第3番。「インバル手の内のマーラー」なので、大いに期待している。
【附論】
非「名曲」では、「演奏家最善の演奏」を聴くことは難しい
私高本は「マーラー好き」である。歌曲と第4番以前の交響曲と「千人」が異様に好きだが、他の器楽交響曲も(演奏さえ期待出来れば)もちろん聴く。今年度は「都響」「東響(← 「マーラー歌曲」ツィクルス実行中!)「読響」でガンガン聴いている。この中で、
「曲が2流」とはっきり感じているのは「嘆きの歌」、他人の編曲がどうなの? と感じているのが「オーケストラ版 若き日の歌」
私高本は「マーラー好き」なので、どちらも聴きに行くが、インバル+都響「嘆きの歌」を聴いた限りでは、曲が充分な水準に達していないと、演奏家も力が発揮できないようだ。
飯森範親 + 東響「若き日の歌」オケ版演奏会の出来がどのようになるか?
は来月の楽しみの1つである!