Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

「自作の詩」を超える詩を求めて「子供の不思議な角笛」に辿り着いたマーラー 中編(No.2151)

2012-10-21 23:47:04 | 歌曲作曲家・マーラー(1860-1911
 マーラーが「子供の不思議な角笛」を見付けた年代については様々な説が飛び交っている。だが、「さすらう若人の歌」第1曲「ぼくの好きだった人が結婚式をあげるとき Wenn mein Schatz Hochzeit macht」が、「子供の不思議な角笛」の「Wann mein Schatz(ぼくの好きだったひとが)」を下敷きにしていたことは、ほぼ間違いが無い事実。これに「頰被」している「音楽学者」「音楽評論家」はいるが、「反論した」ヤツは皆無である。詳細 は、藤井宏行 のホームページにリンクを貼っておいたので、ご覧頂きたい。もし、「さすらう若人の歌」以前だとすれば、1884年以前である!


1887年以前のマーラーは「自作の詩」に極めて高い自信があり、「ワーグナーも超える!」と信じ込んでいた可能性大


をここに記す。「嘆きの歌」は自信作だったが、徐々に自信が剥げて行き、結局、「短縮縮小版」での出版となった。今月の「インバル + 都響」の演奏を聴いても、「マーラー自身が成熟していない感」がありあり。規模の違いもあり「ハンスとグレーテ」よりも人気は出ないだろう、と感じる。
 マーラーが、「ハンスとグレーテ」「嘆きの歌」「さすらう若人の歌」の3作で通していたモノは次のようだった可能性が極めて高い。

  1. ワーグナーの「レシタティーヴォ」は無用! 長過ぎる!!


  2. 「楽劇」形式よりも「交響詩」または「交響曲」または「カンタータ」の方が普遍的



 これが「音楽史的に実証」されれば、満足だったのだろうが、実際には(後に交響曲第1番「巨人」となる)交響詩「巨人」は「流浪の民」となり、(後に交響曲第2番「復活」第1楽章となる)「葬礼」も続く楽章が滞っていた。こんな状態が(「葬礼」が完成した1888年から数えれば)4年も続いていた。しかも、交響詩「巨人」の演奏は決して高い評価が(それまでには)得られていなかった。第1楽章冒頭からバンダで、吹かせたりしたのが「当時のルール違反」だからなあ(爆
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