Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

劇化していそうな月曜日

2023-02-14 | 生活
週明け一番からバタバタした。先ずは電動歯磨きの充電池が駄目になっていた。調べると2017年夏に購入したフィリップスのソニックケアーで40ユーロと手頃な価格だと思った。既にフィリップス本社が家電を止めていたのでその価格は驚きだった。五年使用だから年間8ユーロ先のブラシ5ユーロ程を合わせてもまずまずの価格だった。前夜に突然切れていることで気が付いたのだが、その前に掃除をしたのがよくなかったか。

そして急いで探すと後継機は安売りで64ユーロになっていた。高くなって電気髭剃り器のような市場になっている。つまりなくてはならないものになっている人は可也多い。巨大市場である。性能は良かったので満足していたが、後継機でも今迄のブラシが使えるので運転経費は抑えられる。早速アマゾンで注文して配送は木曜日の予定だが、水曜日ぐらいに届くと嬉しい。

週末からひょんなことでビットコインを使ってみることにした。コインも100ドルほど購入したのだが、最終的に使用を断念した。ネットで調べて様々な方法の内でペイパルで買えるようになったイトローに口座を開いて扱おうとしたのだが、買い物をする時に使うアプリに移すのがネックになった。現金化も出来て、出金も可能なのに、ビットコインを使う為に更なる特定化を求めて来た。使えないコインがあっても仕方がない。

本人確認の為に身分証明書からヴィデオまで、それが嫌なら自身のメインバンクの中に手を突っ込める情報を出せというのだ。中にスイスの業者が入っているようで、口座の中に入り込んで、形式だけの送金をするというのである。上のペイパルの時も形だけ送金してきたというのがあったが、これは危ない。ビデオも危ないが、これはとんでもない。マルタに本拠地があるようだがやくざ者の組織だろう。

それ以前に誤って入金のボタンを押して、更なる確認無しに最適金額を二回分取られた。48ユーロなら授業代であるが96ユーロは大きい。工夫して取り返すようにするが、手数料を既に取られていて70ユーロ返金されたら御の字である。

そしてスイスの業者がメインバンクの口座に入るこもうとしたので、ドイツ銀行の方は安全な照会に使える機能を勧めて来た。自動的に対処するようなアルゴリズムになっているのだろう。流石にこのような連中とは付き合えない。

証券の市場もいい加減な世界だと思うが、仮想通貨市場となると更にである。嘗ても銀行勤めならなんだけど証券会社はとか語られていたが、今や公的な有価証券ならばなんだけどとなるのだろう。その世界の匂いが違うというのはネット操作で色々とやっているとやはり感じる。

一種の煽られた射幸心ただようそれであり、昨年の復活祭の「スペードの女王」の舞台も其れであったのだが、演出では背景にあった同性愛的な根源的な欲求の方が耳に聞こえるようになっていたのでその匂いは少なかった。そういう芸術だからである。金融も、同性愛もまた政治も自殺者比率の多い世界であろうが、やはり日常が劇化しているというのは共通しているだろうか。



参照:
最も人間工学的な考察 2006-04-24 | 雑感
つい手が出るお得感 2021-07-23 | 生活
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬眠から啓蟄へ向けて

2023-02-13 | 生活
週末も終わってしまいそうである。そしてヴァレンタインデイもやってくる。なんていうことはないがそれなりに血が騒ぐ。啓蟄は三月六日の様であるが、来週ぐらいには気温が摂氏二桁台となるのでワイン街道にも花が咲きそうである。そこからが謝肉祭を越えて長い。しかし、二十日の薔薇の月曜日で冬は終わる筈だ。

暖房は当分は必要になるが、場合によれば陽射しを利用して無しでも過ごせるようになる。篭り部屋での生活もこの冬は短かったのだが、この日曜部以降は暫く晴天となりそうなので、殆ど最後になるかもしれない。既に暖房を強く入れると結構汗を掻きそうになる。同時に風邪もひきそうで怖い。

ここのところ夕方に一っ走りするとやはり零下になることも多くて陽射しがないと放射冷却で谷筋も冷えている。流石に二週間ほど前の雪は低いところには残っていないのだが、獣の大きな糞などは凍ったように其の儘残っている。

先日見かけたのは可也大きくて、通常のバムビの物ではなかった。丸い形状でコロコロしているのだが、相撲取りの握り飯程の大きさなので、奴らの肛門の太さではない。考えられるのは、馬とか牛とかになるが、そこで乗馬は出来ないようになっているのか見たことがない。牛や馬にしては量感も少ない。消去法で行くと大きな鹿であろうか。他所ではバムビよりも多い鹿であるが、なぜかその辺では見たことがないのである。水場に向かうにしても態々林道で垂らしているのも含めて不思議である。結構黄味も掛かっていて食生活が違うのだろう。

兎も角今年の春は通常の春ではない。コロナ明けの息吹を感じる。少なくとも個人的には、気持ちが全然違う。ただの解放感だけでもなくて、平常化という事か。何年か続く戦禍のような非常事態の生活がどのようなものであるかが分かったような気がする。

土曜日に坂を走り下りて来て計量すると久しぶりに大台を割っていた。100グラムでも割れることはなかったので喜ばしい。これで筋力さえ強化すればベストとなる。前夜は早めの夕食として、ベットの中で少々空腹気味を我慢して就寝したおかげか。先ずは身体が軽くて動きやすいことが先決である。

三月に出かける準備でエンジンオイルをチェックした。前回のミュンヘン往復で多めに入れた。其れからはフランクフルトとシュトッツガルトぐらいにしか出かけていない。調べると大分減っていて、警告はそれ程出ていなかったが、フィルターを替えていないために直ぐに汚れが酷くなって、粘度が大分上がっていたようだ。早めに入れる方がいいので必要最小限までは足しておいた。これでミュンヘンに出かける前に多めに入れておけばなんとかなるだろう。

予定通り、フロントグラス掃除の水もこれで足りるだろうから、ミュンヘンで宿泊するときに薄まっていなければなんとかなる筈だ。三月になれば雪は振ってもそんなには冷えない。その他では散髪ぐらいを考えておかないといけない。前回が待降節だったので週明けに予約しておくべきだろうか。



参照:
半糞有色黒人」の総譜 2022-09-27 | 音
若干残る未知の要素 2022-12-16 | 雑感
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

目を通す書類や記事類

2023-02-12 | 生活
夕食後も昼の続きで仕事机に座っていた。昼の陽の温まり故か、寒くはなかった。そしてラムプが点かなくなった。とても問題のあるLED電球で厨房で使っていたのだが点滅するようになって他所で誤魔化して使ったりしているものだ。今回一ダースのLED電球を発注したことから、何処でどれを使うか整理している中で7Wととても明るく若干白っぽいそれが仕事机に辿り着いた。それが点かない、ねじ込みを外したりねじ込んだりしているとソケットの金具が折れた。これは最早修理する必要がないと観念した。それ迄もねじ込んであるシェードが落ちたりで如何にも安物という代物だった。どこかの音楽学生が置いて行ったもので、廃物利用していたものだ。25年程使い続けた。

机に光がないと何もできないので、応急のものを探した。クリップで嵌めるスポットラムプが使わずにどこかにある筈だ。記憶にあったWCの棚の下に押し込んであった。早速件のLED電球を捻じ込むと上手く点灯した。それを応急的に使うことにした。設置場所の関係から間接照明的な使い方になるが、それはそれで使える。特別光度の必要な修理仕事や書籍を読むのでなければ間に合う。しかし、案の定そのLEDも点かなくなったので応急の応急で47W電球を配送予定の火曜日までは使おうかと思う。長い時間使うつもりはないので電気代の問題ないだろう。

流石にそれでは本格的使用は無理なので早速デスクラムプを探した。初めて購入するLED灯となる。先ず感じたのは想定したよりも安い価格からあって、先ずは大きさもデザイン的にも使えそうなものを探した。なによりもある程度の高さがないと、モニターの上から照らすことが出来ないので、40cm以上のものを探した。L字型の出来るだけスリムなものがいい。アームが伸びるのでそれを支える足がごつかったりすると場所を取るので嫌だ。そこで充電するものが多いようだが必要ない。光量、光色調整の出来るものが主力になっていて、電球を交換できないならばそうなるのだろう。それ程色々な雰囲気で使えるとは思っていないのだが、これは試して見ないと駄目だ。アマゾンで31ユーロならば送料無料で先ずは安売り物を試して見る。今後四半世紀壊れずに使えるとは期待しないが、先ずは使えればそれでよい。

今まで使っていた大きな玩具のクレーンのようなア―ムを外したので、机の横の部屋の角が広がった感じがする。その奥のスピーカー類も目障りなく見えて気持ちが良い。今更ながら視覚的な影響は大きいと思う。すっきりした感じがいい。陽が明るくなると室内の埃なども目につくようになるので、掃除してあるとまたこれは気持ちが良い。書類を片付けたり、まだまだ室内生活が快適な時に片付けておくべきものがある。

手元にまだ目を通していない書類や記事などを読む前に整理する。時間の追われているものの方が早く片付けられるのでよい。その一つが「戦争と平和」である。三週間もすればプロコフィエフ作品の新制作初日となる。それらに関して情報がぼつぼつと出てきている。



参照:
球切れで一先ず終了 2023-02-03 | 雑感
PC周りの整理整頓 2023-01-18 | 生活
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

友人ゲルギーエフへ

2023-02-11 | 雑感
文化欄に指揮者のエサペッカサロネンへのパリでのインタヴューが載っている。作曲家としての其れらしいが、小見出しに友人ゲルギーエフへのと書いてあったので、目を通さずにはいられない。

友好関係があって、その才能も尊重している関係らしいが、一人の大人として、プーティンを擁護したならばロシアに留まり今後とも西側に出てくると事は不可能だと、その責任を明白にすると同時に、若い才能ある人々が叩かれるのが嫌で出て来れない状況は決して良くないとして警告している。正論を吐いている。

その作曲に関しては、オヴァートンの重要視での調性へと何ら目新しいことは語ってはいない。ただ想定していたよりも多作傾向は加速しているようで、結構売れっ子になっているのが分かる。その中で興味深いのは、嘗ての曲との似かよりを辞さずの態度で、所謂独創的な作曲として将来へという事を考えていないのだろう。もう一つサンフランシスコの交響楽団と来月の欧州ツアーがあるのだが、そこのシリコンヴァレーで電子音楽関係者との共同プロジェクトがあり、その中の作品を持ってくるというのだ。早速最寄りの座席などを調べたが、安いところは出て仕舞っていて残念だった。こちらも知らない作曲家のその様な作品にまでは目が届かなかった。

そのサロネンが指揮者として大成果を上げたのがロスアンジェルスの管弦楽団で、その作曲が示すようにハリウッドのよく似合う指揮者であった。現在はボルヴィア人のデュダメルがシェフであるが、ニューヨークと同時にそこを退任して2026年からニューヨークの管弦楽団に変わることになった。世界で最も歴史のある交響管弦楽団であるが、ここ暫くはまともな指揮者がその任についていなかった。そこで将来的にもアメリカの音楽文化をの担い手としての管弦楽団を再興するためにもの人事となった。確かに現職や前職に比較すれば可能性はある。コロナ期間の欧州ツアーが取り止めとなったので、昨今の実力は知らないのだが、頂点に至る楽団であるだけに気になる。

その一方西海岸の方では後任人事へと動く。世界で最も高給取りの楽団でありながら芸術的には到底ビッグファイヴには届かないとされているのだが、同じラテン系でオロスコを推薦しておいた。斎藤流の指揮技術で、ヴィーンでは交響楽団とぶつかりサドンデスの関係解消となっているのだが、先日のボストンでのデビューは手応えがあった。欧州で学んだとしても決して欧州風ではないのだが、腕のある奏者を集めた交響楽団で建設的に仕事を据えば嘗てのメーター時代には至らなくても、サロネン指揮の時代の栄光は再び取り返されるのではなかろうか。

恐らく両管弦楽団も新体制になる前に再び欧州公演がある筈だ。特にニューヨークフィルの方は誰かいい指揮者が代わって指揮して呉れれば喜ばしい。ズビンメーターが健在な内に両方ともその指揮で聴くのも悪くはないだろう。



参照:
Der Klassik-Mann fürs Silicon Valley, MARC ZITZMANN, FAZ vom 9.2.2023
2G規制になったバーデン州 2021-11-18 | 雑感
老朽化したイェーテボリ 2019-10-06 | 女

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二つのプログラム企画

2023-02-10 | 文化一般
11月のベルリナーフィルハーモニカー日本公演のプログラムが発表された。キリル・ペトレンコ就任お披露目公演である。昨年の米国公演に続く。

第一印象からするといつものツアー公演の手際を守って、三種プログラムにせずに二種に縛ったのが印象的だ。夏のツアーのプログラムを海外ツアーで繰り返すのは昨年と同様で、既にベルリン、ザルツブルク、ルツェルン等で少なくとも三晩以上は演奏しているプログラムとなる。繰り返せば繰り返すほど完成度は高くなる。

しかし、一月にベルリンの定期公演で演奏されたシェーンベルクの変奏曲プログラムは外れている。これは最も意外であった。なぜならば、当初予定されていた復活祭での演奏も取り止めて、夏のツアーのみで演奏されるからだ。恐らくるルツェルンからパリぐらいに飛ぶのだろうが、演奏回数としては少ない。

反対に「英雄の生涯」は現在のペトレンコ指揮フィルハーモニカーにとってはやりたい放題に演奏できる自家薬篭中の曲であり、往時のカラヤン指揮の演奏に劣ることは絶対にありえない。演奏技術的にもその描き方からしても比較にならないだろう。前半のレーガーの曲も同様に演奏して、更にフランクルトの壮行演奏会で演奏すれば完璧に熟せると思う。そして、もう一つの変奏曲プログラムとのコンセプトも完璧なのだろう。

しかし、11月定期で演奏して極東旅行に持って行くもう一つのプログラムが、レーガーが主題を使ったモーツァルトのイ長調交響曲で、日本では晩年のベーム指揮で名演を聴かせていた曲で、そこにベルクの三つの小品が続く。

モーツァルトは昨年米国ツアーにも持って行ったが、さて日本のような大ホールでどれ程の効果があるものか。そして、そこに無調の作品6が音楽的にはモーツァルトと合わせてあるのだろうが、まさに戦争前の曲だ。しかし音響的に後半のブラームスとの変化が大変になる。

勿論、ペトレンコがミュンヘンで試みたように徹底的にシュタインバッハの初演の演奏実践に拘れば取り分け興味深いプログラムとなる。しかし不幸なことに既に2020年にベルリンとザルツブルクだけで二晩のみ演奏されている。コロナ配置の奏者間に大きな間隔を開けた演奏で、とても条件の悪いところで、既にカラヤン時代から継承しているフィルハーモニカーのブラームス演奏実践との折衷が計られた。

そのことをペトレンコ自身もインタヴューで語っているのだが、その後のブラームス実戦もそれが踏襲された。その背景には、ベルリンの劇場時代にモーツァルトの演奏実践様式を作品間で変えたことで混乱が起こり、それを離任時に反省としていた事実がある。要するに今ここでブラームスの演奏様式を変更することはないだろう。寧ろ分厚い響きが求められる状況となるかもしれない。

変奏曲プログラムでの「ハイドンの主題」によるもカラヤン指揮のその主題の歌い方には到底及ばなかったことから、コンセプト的には素晴らしいものを提供できるのだろうが、聴衆の満足度としてはそこ迄至らないのではないかと想像する。



参照:
衝突する伝統からの確立 2020-09-04 | 音
職業倫理の音楽性 2022-02-12 | マスメディア批評
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

光が射したコンロ

2023-02-09 | 生活
厨房に光が射した。寝室と客室は北側にあるが、厨房はなぜか南側と東側に窓が開いている。暖かい地域ではありえないのかもしれないが、それによってなにか物が痛んだり、ゴミが破裂したりという経験はない。なるほど夏の冷蔵庫の保冷力には影響を与えるかもしれないが、それ以上にカビが生えたり、腐ったりするような事がないので気持ちがいい。それ以上に陽射しを活かすことで、暖房を入れることがないので助かる。そこで食事をしようと思えば少し入れれば足りる。要するに煮炊きのエネルギーを活かすことでなんとかなる。

年が明けてからコンロの一つがシュートした。スイッチのところが溶解して起きたことは想像できるのだが、四つの内の生きている一口を使うか二口目を誤魔化して弱く使うかにしておいた。しかし、弱くでは沸騰せずに暖めておくことしかならないので、修理に必要を感じていた。

今週になって陽射しが強くなったので、陽射しがコンロに射し込むのを待っていた。時間が合わなかったのだが、もう一時間以内にと傾きが近づいて来たので修理を決行した。電気がなくても奥まで目視出来て、何よりも暖かい。この機会を逃せない。

安全対策に余分目にブレーカーを落として、目視すると、懸案の四つ目の穴が溶けていた。そしてプラグの棒がぐらぐらしていた。ショートした原因は分かった。既に壊れて外してあるプラグのプラスティックのターミナルを交換して利用することにした。幸い二つは未だ綺麗だったので、序に大口のもう一つの方も付け替えた。これで二口は完全に使える筈だ。そして三つめも付け替えたものを応急的に使えることが分かった。これで一挙に三口コンロになった。アパートメントの完全リニューアルまではこれで使えそうだ。

6月のミュンヘンでの演奏会をズビン・メータが早くもキャンセルした。理由はスケデュールの都合らしいが、初めから分かっていた筈だ。恐らく仕事量を落とすという事だろう。ミュンヘンでの楽団創立500周年式典枠でのブルックナーと新曲の評判は良く、力強い第七交響曲という事であった。

それは結構なのだが、ミュンヒナーフィルハーモニカーの指揮でと思ったものがキャンセルされて再び券が無駄になりそうだ。57ユーロと高価だったので痛い。しかし、代わりのミルガが振るというので行くだけ無駄だと思う。さてアパートメントも予約して、前日からと考えていたのだが、キャンセルする前に、代替案を考えなばいけない。

結構に面倒なのだ、理由はそこから帰りにシュトッツガルトに宿泊する予定だったからで、前をどのように埋めるか。一つはベルリンに出かけても考えたのだが、土曜日までそこに滞在すると日曜日が余裕がなくなり、またいい席が既に出て仕舞っていて態々出かける意味もなくなってしまった。それ以外にチューリッヒなども見るのだが今一つで、オーストリアも近場では見つからない。全旅程とその地理的な位置関係や、出かけるだけの催し物やその距離感と費用などを考えれば、その間家に閉じ籠るというのも一つなのだが、されどうしたものだろうか。



参照:
左の肩まで激しく感じる 2023-01-14 | 生活
大蝦米とは何のこと? 2018-06-05 | 雑感
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

永過ぎた春だろうか

2023-02-08 | 文化一般
各地での新人事は一定期間を待って為される。特に大歌劇場や大管弦楽団の新任監督任命となればキャリア指揮者やスター指揮者が任命されることになって、現行の契約期間が終わるのを待たなければいけない。その前者の一人がミュンヒナーフィルハーモニカーのシャニであり、後者の一人が同地の放送交響楽団で待たれているラトルである。

そのラトルが、ヴァ―クナーの楽劇「ジークフリート」をコンサート形式で振った。勿論名歌手を集めての催し物であるが散々に批判されている。そこで歌っている英国系人とドイツ人の歌を比較などできないという事であるが、たとえそのテノール歌手がどれほどヴァ―クナーを得意としていて同地の劇場で歌っていたとしても、子音が全く発声出来ておらず、母音に関してはそれは異なる。要するにそれ以上は外交辞令として言うまいとしている。その流れで同様にラトル指揮を切っている。ドイツ国籍云々などは全く関係ないのである。

そのことそのものがラトル批判となっていて、未だ就任していないポストを救うとは、共演者に配慮しようとするのかと、特にオペラ指揮等で全く指揮が出来ていないラトルの致命傷を指摘している。例えば、放送交響楽団の自慢の金管や打楽器が喜び勇んで腕を振るうところで全く抑えることもっ出来ずに、声が全く聞こえないようなことにしているというのである。それに対抗して吠えられるのはゼーリックぐらいで、カムぺのように主導権を持って歌わないと駄目というのは、まさしく復活祭で周知の事実となっていた。

そしてそもそも「ヴァルキューレ」で示したように、凝りもせずに甲斐の無い指揮しようというのは、四部作「指環」で脱ミトスでも示そうとしているのか、今回もさっぱり理解できなかったと。

ここで謂わんとしていることは、一つは上述に続いて、真面にヴァ―クナーを指揮出来るほどの中欧の音楽が特に独墺音楽を発音できない事、そして歌劇の経験を積んでいないことから、歌手を指揮することが出来ない事、そして放送交響楽団を指揮するのに態々楽劇を演奏会形式で指揮する事への認識が示されている。

これはBR放送協会の批評では言葉を変えて、その最後の点に視点を移している。つまり、演奏会形式でこのような楽劇を演奏する価値は何処にあるのかの疑問である。筆者は、書棚の2メートルに及ぶプログラムの並びを前にして、あの演出は恥知らずだったとか思い出しながら、その意味に思い当たる。

演出の助けが無ければ屡一世紀以上を超える歴史の中での物語の意味合いが分からない。だから演奏会形式は少なくとも何回かは舞台を経験してこそ、その演奏の意味を知ることが出来るものだと結論している。

オペラとが楽劇とかはその様に作曲されていて、さもなければ意味がないことを示している。要するに分からないのは聴衆であり、婉曲的乍上述のラトルがこうした作品からその音楽的な意味を引き出そうとしても徒労にしか終らないことを示唆している。

ラトルファンを止めようかというほど批判されていて、ヤンソンスザールで派手に興行的成功をと考えていた人事も意味無く、2030年まではバックヤードも無い貸しホールで演奏会を続ける。



参照:
Ungebremst loslegen, Michael Bastian Weiß, AZ vom 6.2.2023
WARUM OPER AUCH OHNE BÜHNENBILD GROSS SEIN KANN, Michael Atzinger, BR vom 3.2.2023
永過ぎた春だろうか 2023-01-26 | 雑感
声楽付き楽劇「トリスタン」 2016-03-22 | 音
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クライマックスのトランス

2023-02-07 | 
承前)週が明けてもネットには未だ批評が掲載されていない。今回の初演演奏会で最も喝采が大きかったのはヘヴィーメタルの二曲目のピアノ協奏曲の後である。しかしクライマックスは明らかに三曲目のシュテファン・ケラー作「エレクトラの踊り」にあった。

実況放送では、ここでは「エレクトラ」の物語が扱われているが「サロメ」を想起させるとなって、インタヴューで指揮者エンゲルが昨年の「サロメ」の指揮での経験からその最後の十六分音符までの流れの見事さを語っていて、このケラーの曲も同様なのだがそれは偶然で作曲者は考えていなかったというのだ。その本人はプログラムで、その踊りの意味を親殺しの特別な重い環境での無重力感の然るべき運動だとしている。

そして指揮者は、タブラ奏者でもあるケラーにおけるインド音楽の変化するリズムパターンによるトランスはメシアンに於ける様な独自の音楽言語になっていて、ここでは長短のアコードがグリッサンドで新たな効果を生じていて、複雑性と同時に分かり易い音楽となっているとしている。印象からも、武満のそれを思い起こすかもしれない、しかしそこにあるフォームは武満の樹木のフラクタルなものではない。

まさしく頂点はそのリズムが怪しくなってアコードへと崩れるところであった。勿論そこが鳴る訳でもあるが、同時にグルーヴこの場合はトランスとなる。それは昨年のベルリンの音楽祭でのエンゲル指揮ミンガスの演奏にも共通するところがあり、前曲ガンダー作の意匠の手直しよりも本質的な影響を感じさせた。

ケラーの音楽語法は安定したものだが、大編成曲は書いていなかったということのようでガンダーのような慣れはないのだが、少なくとも大編成を使い切っていたのではないだろうか。同時にエンゲル指揮が聴かせた息の長いクライマックス作りは「サロメ」での後半のそれを思い浮かばせて、これはこれで聴きものだった。

そして、作曲者が舞台に呼ばれると思いの外スイス人としては長身で驚いた。YouTubeでその些か固いタブラーの手首の返しを感じていたのだが、その参考にするところが北インドの音楽ということである。なるほどインド音楽も北と南では大分異なっている様なので、南というとテリー・ライリーなどを思い浮かべてしまうが、どうなのだろうか。スイスの作曲家も色々と知っているが、それらしくない作曲家だと思う。

会場には州立劇場の支配人でエンゲルとの共著のあるシヨーナーも当然の事ながら顔を見せていて、これまた6月からのメシアンの大作「アシジの聖フランソワ」上演への大きな期待が膨らむ。

今迄あまり気が付かなかったのはSWRのコンツェルトマイスタリンで、ブルガリアの人らしいがジュリアードでドロシー・デュレイなどにも習っているようで、悪くはなかった。大フィル演奏会にも登場したらしい。その他の面々もあまり知らない人が多かったのでどちらかというと以前からシュトッツガルト在住のSDR系の楽員が多く入っていたのだろうか。合弁後に聴いたこの楽団の中では一番良かった。新指揮者になってからもそれ程期待はできないのだが、今回のような演奏が出来るならば、ドナウエッシンゲンでの演奏もそこそこなんとかなるのではないだろうか。

エンゲル指揮でこれだけの大編成を聴くのは初めてで、六月にはまたこれに続く感じとなる。客演の限られた時間でなんだかんだと良く纏めているなと感心した。



参照:
「半糞有色黒人」の総譜 2022-09-27 | 音
ユートピア解説の抽象性 2022-05-31 | 音
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北から入って南から出る

2023-02-06 | 雑感
懸案のLED電球を発注した。結構時間が掛かった。理由は形状が従来の灼熱電球よりも様々で、確認する必要があった。R27 のソケットにねじ込めてもシェードのついているスポットなどにはある程度合わせないと使い難い。スポット自体も高価になるので、使い方で誤魔化したいからだ。結局40W相当半ダース、60W相当半ダースで一ダースである。序の接着剤を発注して30ユーロ程である。

初めて電球をアマゾンに発注したことになるが、従来よりも振動に強く扱いやすくなったのだろう。だからアマゾンベーシックモデルとして出している。製品自体はスーパーで売っている汎用品と同じような感じだ。価格は1球2ユーロしないのでお得である。

平均的な使い方で月2ユーロ以上の電気代が節約できるとなっているが、12球合わせて平均数十セント安くなればいい。全部で1ユーロ安くなれば御の字だ。その料金でも一昨年の水準に迫る筈だ。最低前掛け金が上がらなければいいので、貢献すると思っている。

金曜日にシュトッツガルトのテアターハウスという初めての会場に出かけた。メモをしておかないといけない。通常はワイン街道からはカールツルーヘ経由でアウトバーンを走れば、片道135kmほどで市街地に迄至れる。しかし今回は市内の少し離れた場所であり、最寄りのアウトバーンへのアクセスが若干北側となっている。そこでハイルブロンを経由してネッカーと並行したアウトバーンを通っても距離は10kmしか延びない。更にカールツルーヘ経由でシュヴァルトヴァルト北部で工事現場があるためにどうしてもアウトバーンが渋滞しやすい。特に金曜日の引け時は交通量が多いので、ハイルブロン経由で出かけた。北から入るので音楽祭で有名なルートヴィヒスブルクの次の所でアウトバーンを折りて市内交通に入った。幸い大きな渋滞もなくすんなりと会場前の道に出た。

15時に出て、16時45分過ぎだったので、18時から開くという隣のMB銀行の駐車場に入れてみた。どうも前の女性もそうだったようなので、話しているのを聞いて、それに続いた。結局停めて貰えないということで其の儘無料で出車させて貰って、会場の裏道に二時間迄の路上駐車を見つけた。18時過ぎには無料になるので30分無料となる17時30分まで社内で待った。無駄な待ち時間であったが、寒くもなく快適に無料で20時2分までの券が出た。結果演奏会が終わって車に戻ったのは19時40分頃だった。

帰路は渋滞がないのでシュヴァルツヴァルト経由の南回りとしたが、アウトバーンのミュンヘンカールツルーヘ幹線を走る頃には先ほどまで聴いていた演奏の時差中継放送が始まった。自宅で留守録音にしてあるのだが、設置から6時間経過で自動的に落ちてしまうので、出来れば三曲目が始まる前に帰宅するように急いだ。一部急いで、駐車場に入れる前にPCへと戻って21時過ぎだった。念のために一度放送を開き直して録音を継続。

往復距離は291kmで殆ど遠回り無し。プログラムが1ユーロ、エスプレッソ3ユーロで、合わせて4ユーロ。往復燃料費を入れて総経費七十数ユーロぐらいであったろうか。フランクフルトよりは遠いのだが、先ず先ずではなかったろうか。秋からバーゼルへも出かけようかと思うとその程度では済まない。



参照:
文化芸術のデスメタル 2023-02-05 | 音
支援者としての心付け 2023-01-06 | 文化一般
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

文化芸術のデスメタル

2023-02-05 | 
承前)初演された三曲の中で一番ウケたのはメタルオヤジのガンダー作品だった。「ピアノ協奏曲」とクラシックな浪漫派の形態となっていたのでやることは分かっていた。実際に最初から最後まで二種類のリズムパターンで火を汲めていた。その副題も「スコーチングスケルツォ」。二時間後に放送された実況中継録音の番組の中で指揮者のエンゲルも語っていたが、こういうのはデスメタルと称するらしい。そういうことで一定の小さくない市場がある作曲家らしいのだが、今回の演奏で感じたのはやはりその語法で、ティロル出身というが、全く現代のブルックナーと感じた。

特にこの曲はショパンの奏法とかをピアノのソロに弾かせるので、その語法がとても活きている。そうなるとブルックナーのスケルツォでしかなくなる。旋回音はブルックナーにおいては蒸気機関におけるピストンの響きとされるのだが、ここでも所謂騒音音楽とされる「鉄工場」などを思い起こさせるだけではなく、まさしくクナパーツブッシュの音楽を想起させるエンゲルの指揮がそのイントネーションから余計にその趣を強くした。

先に演奏された曲がモダーンなそれを感じさせるならば、ここは更に進んでクラシックロマーンへと明らかにそのパロディーを含めて突き進んでいる。其れゆえに広範な聴衆によって受け入れられるという背景がある。先日言及した独音楽至上主義というのもそうした語法の継承を指していて、ここでの音楽が「ゴジラ」に終わらないというのがそこなのである。要するに芸術文化的な背景を反映している。

言葉を変えると、そうした歴史文化的な背景無しには音楽創造も芸術とはなりえないということでもある。同じような傾向は昨年十年越しで本格的な再々再演となったハース作「血の家」においてもモンテヴェルディからモーツァルトを通してハースへと繋がっていたことにも共通している。要するに、前世紀終盤に盛んだったポストモダーンの何でもありの様式から、綺麗に概論的に一望されるような書法で創作される様になったのが今世紀に為されたということを示している。

そしてここでもエンゲル指揮のグルーヴ感覚が活きてくる。ピアニストのヨーナス・アホーネンも長身でその打鍵も、昨年聴いたピアニストが雑だったので、どうかとも思ったが、最後迄弾き切っていた。反対に軽みを出す四分音迄の管弦楽をメタルで演奏させグルーヴさせるのは難しいことだとエンゲルが語っている。

そういうことで作品に関しては売れても仕方がないと思った。同種の試みは沢山知っている。つまり最先端のポピュラー音楽の意匠を使う作曲家は個人的にも知っているのだが、こうした語法を完成させていたのは大したものだと思った。

しかし、想定の井出達は大きく外された。LPの写真では立たせていたモヒカンを短く目立たないようにしていて、それどころかスーツまで着ているオーストリアの体格のいいオヤジだった。こちらはそれに合わせて、そんなパンクファッションをとまで考えていたものだから失望でしかない。意外にTPOを考えている保守的な人だと分かると、余計にその音楽がブルックナーの直系であると感じても全然不思議ではない。それ以上に忖度し過ぎである。しかし創作自体は想定を超えて遙かに今日的であった。そしてコーダには、萎れたモヒカン頭の代わりに、コケコッコーと叫びが聴こえた。(続く

実況中継のオンデマンド



参照:
とても保守的な仕事着 2023-02-02 | ワイン
「シーズン最高の初日」の意 2022-05-24 | 文化一般
いぶし銀のブルックナー音響 2017-10-31 | 音
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

とてもいい演奏会とは

2023-02-04 | 
とてもいい演奏会だった。よく考えれば大管弦楽演奏会はそんなに出かけない。以前はバロックや室内楽が中心だったが、最近はオペラも増えている。最後の演奏会は11月のベルリナーフィルハーモニカーの壮行演奏会だった、その前は9月のルツェルン、その前はバーデンバーデンである。要するに選りすぐりの催し物しか出かけない。下手な管弦楽団で有名曲等は一切聴かない様に心掛けている。最低歴史的な名盤の録音に匹敵するものでなければ意味がない。

今回は、新シーズンからバーゼルの世界最大の現代音楽管弦楽団のシェフになるティテュス・エンゲル指揮であり、既に後任人事が決まっている同地シュトッツガルトの放送交響楽団の演奏で世界初演の三曲が演奏されるので出かけた。

初演の演奏会や作曲家が臨席する演奏会は数多く出かけているのだが、そのなかでも大管弦楽演奏会はそれ程数多くない。更に三曲とも初演となると有名なドナウエッシンゲンの音楽祭ぐらいでしか機会はなく、その場合も今回のように三曲揃えて大管弦楽を使い切るというのは珍しい。

なるほど今回も初演された三曲のその音のパレットの使い方は異なり、その出来も一様ではなかった。しかし、一晩のプログラムとして90分ほどの内容が、実験的なものを越えて演奏会として成立する例はそれ程多くはない。曲の出来によって限られた練習時間をどのように区割りしてとかの都合をつけるのは指揮者の仕事でもあろう。

そのようなわけで、一曲目のトルコ人女性ゲディヂズィルオグルの作品「ラウフ」は保守的な意味での演奏し甲斐がないもので、その分即興などの要素または不安定な音程を求められていた。内なる響きというか独自の世界観の曲であって中々掴みどころがなく、月並みなモダーンに依る所もあったのだが、なによりも曲全体を通しての曲想が上手に劇場空間のように描かれていて、流石に音楽劇場の第一人者の指揮だと思った。

エンゲル指揮で所謂現代の音楽会を生で聴くのは二十年ぶりぐらいになるのだが — 昨春はハースのオペラ「血の家」を観た ―、そしてその当時は大管弦楽団はまだ振っていなかった、しかしその時の「面影」を感じるとともに、当時感じていた「片鱗」と共にそこを聴きとった。

ある意味、指揮甲斐もあまりない曲だと感じたが、何とか音化して適当に纏めて出す以上の勘が働いていたのを感じた。当時からあった歌に合わせる歌謡性の一つの才能でもあり、空気感の出し方が上手い。それがその後の音楽劇場での経験を通して助長されているのだろう。音の向こうで何かが起こっている表現としての雰囲気の表出が巧い。

兎に角、あまり経験した事の無いようなバスクラリネットからアルトフルートなど、そして八艇のコントラバス。これだけの楽器編成を鳴らし切る為に使っていないというとても贅沢であり、若しくは浪費している創作なのだが、そうした非経済性や効果の為の効果を感じさせない演奏としたのは演奏力であり、その指揮の腕の確かさである。(続く



参照:
支援者としての心付け 2023-01-06 | 文化一般
とても保守的な仕事着 2023-02-02 | ワイン
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

球切れで一先ず終了

2023-02-03 | 雑感
水曜日の夜はミュンヘンからの生中継を流していた。新制作でパーセルとシェーンベルクを合わせたプログラムで、つまらなかった。成程批評びあるように間に挟まれるブレイクダンスが最もよかったというのは事実だろう。支配人が話していたが、なにも新制作ばかりが重要ではないとして、再演なども期待されるとしていた。

悪かったのはオペラ初めての指揮者で、先頃日本の地方公演を手兵のハノーファーの放送交響楽団と廻っていた人だ。嘗てバイロイトの初日でブーを浴びて出禁となってしまった日本人指揮者と同じポジションである。要するにそのクラスの指揮者であるのだが、先入観年無しに期待して流したがやはり駄目だった。パーセルであの程度ならシェーンベルクではもう聴いていられない。世界最高の座付き楽団を振ってこのような音しか出せないようでは将来もない。現ポジションから上がる人物ではないだろう。

更に主役の女流歌手は2020年にザルツブルクデビューも、更に昨年ミュンヘンデビューも聴いたが、想定よりも悪かった。批評でもあうあうとなっているとされたように、全くテキストが分からない。あのヴィヴラートでしか声が通らないのだから到底ミュンヘンのような大舞台で活躍する歌手ではない。その点で昨年のペンデレツキは声も合っていたのだろうが、音楽監督のユロウスキーも巧く扱っていた。声がない人はベルリンとかその辺りの小さな小屋で歌うべきだ。

指揮者も歌手も音楽監督、最終的には支配人の裁量となるが、こうしたキャスティングをするにはそれなりの理由があるのだろう。売込みやそのギャラの安さなど使い易いというのが一番大きいに違いない。そもそもそれ程経済的な成功を期待できない制作では支出も抑えるのも腕である。

音を流しながらゆっくりと思っていたら、吹き抜けの電球が切れた。其れから一時間程上に下へと電球を入れ替えて様々な組み合わせを試していた。先日も言及した様に全LED化にはまだ遠い。基本的には電球が切れたところで、最も点灯時間が長いところからLED化を進めている。

既に先ずは応急処置で終わっているのは、篭り部屋若しくは仕事机の電球、ベット脇の副照明、リヴィングの天井、厨房のメイン等である。今回LEDをねじ込むときに火花を飛ばして一つ壊し、普通電球一つが飛び、もう一つは節電白熱球の三球を駄目にした。各々消費電流は、3W、40W、37Wの三種類だった。吹き抜けは、応急的に46Wをつけないと足元が暗くなった。

先ず吹き抜けには、LED5W以上が一つ欲しい、もう二つは4Wで十分だろう。仕事机には5Wでいいか。因みに厨房には8Wにしてある。古い電球が三つ余っていたので応急的に嵌めておいた。この際、先ずは8球若しくは10球纏めて購入しようかと思っている。ある程度その耐久力やショート注意などが分かってきたので、投資してもよいかと思う。

客部屋やバスの点灯時間は限られているが、やはり冬季の方が点灯時間が延びる。蝋燭型や小さな形も取り替えると結構な数になるが、電力消費量は可也落ちる。纏め買いで安くなるか。



参照:
今年度目標は2%削減 2023-01-30 | 生活
光を有効に使う方法 2015-12-13 | 生活
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

とても保守的な仕事着

2023-02-02 | ワイン
発注した仕事着が届いた。早速袖を通した。洗濯をしていないので若干裾が長い感じだが同じ寸法である。袖は一寸長い感じがするので折り返しておくと今回傷んだところを守れるだろう。裁縫などは今一つ感があるが、丸二年もつかどうか。今後は洗濯ネットで洗濯すれば長持ちに繋がる筈だ。流血塗れになるのではないのでそれ程強い汚れとはならない。しかし袖とかその他は結構汚れるので洗濯は必要になる。

なによりも袖の穴がないので温かく、包まれる感じがとても良い。古着も洗濯したので、また野外での作業着ぐらいには使える。前のものは車のトランクに入れてあるかもしれない。但し古着は糸が出たりしていて、モーターなどに巻き込まれやすいので要注意である。やはり車のマイスターなどが着ているものからすれば色だけでなくて、生地の厚さも違う感じだ。

週末は2019年産のプルミエクリュを開けた。瓶詰めが2020年春から秋の間だから、二年は経過している。瓶熟成の最初の山となる。ここでの酸の出方で将来性が分かる。2018年産に比較するとバランスはよいように思うが、それほどの将来性はない。酸の量感はないが質は悪くなく、旨味はあると思う。2020年には一切試飲会に出かけられず、全くその最初の印象がない年度である。2020年産と合わせて、葉緑素風味も色もないので完熟なのだろう。

金曜日のお出かけの準備をしている。燃料はもう少し入れ足さなければいけないが、往復280km程なので大したことはない。片道10km程の差で二通りの推奨ルートがあるが、余程の渋滞がない限り最短距離を選ぶに違いない。

18時に始まるので知らない場所であり駐車場の事があるので結構早めに出かけないといけない。20時になって時差中継放送が始まるので留守録音が結構面倒である。帰宅は番組が終わる頃になるだろうか。催し物はレートナイト迄そのあとに二つぐらい同じ敷地内であるようだが、そこ迄は付き合ってはいられない。

天候は暖かい分雨勝ちのようで、駐車場からどれぐらい歩くかだ。衣装は、三曲の新作初演の内の一人のティロルのガンターという作曲家が可也の入れ墨で頭の先も尖がらしている56歳のパンク男なので、こちらもどうしても考える。

洗濯屋からシャツは取って来てあるのだが、さてどうしたものが、なんでもありであるが、舞台よりもこちらが目立ってもいけない。今回は誰にも挨拶する予定もないので普段着で出かけようかとも思っている。

そんなパンク野郎でも、一部で売れていて市場があるようで、録音がLP化迄されている。その人がピアノ協奏曲を創作して初演というから可也保守的なパンク野郎だ。その井出達で舞台に呼ばれたら、悪魔にしか見えない、その隣には天使のエンゲルが立つとすればシャッターチャンスである。



参照;
支援者としての心付け 2023-01-06 | 文化一般
ネット署名の楽友協会 2020-09-15 | 雑感
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新シェフが乞われる事情

2023-02-01 | 文化一般
週明け早々要らぬ仕事に追われた。それでも一先ず終えて、不利にはならない筈だ。そして夕方のネット記事に目を通す。水曜日の午前中に記者会見のあるミュンヘンのフィルハーモニカーの後任人事発表だ。

既に日本でもオランダのニュースからイスラエルのシャニが後任と知られている。先週からミュンヘンの情報としていて出ていた。だからそのように予定されていた。しかしなぜ海外にも知られることになったか、その裏事情がそれを伝えたジャーナリストによって書かれている。

その指揮者本人が週末に、現在任にあるロッテルダムの楽団とイスラエルの楽団双方に、ビックリの情報が出るけど心配しないように、先にお知らせしますと書いたらしいのだ。要するに漏洩もとは本人であった。

ミュンヘンの楽団は市の決済で運営されていて、ベルリンのそれと南北ドイツを代表する十年程遅れて発足した欧州でも伝統ある近代的交響楽団の一つである。そして今回私がナガノ案で提案していたように二人のシェフ案も出ていたらしいのだが、最終的にひっこめられたという。如何に一人前の後継者がいないかを知らしめる裏話であろう。

今回のシャニの人選は悪くはないと思ったのだが、その人格がこうして露わにされると、名門を率いるだけの頭脳に欠けるのではないかと不安になる。その様な軽い人間には務まらない。

一仕事終えて古新聞を整理した。昨年分が溜まっている。保存するものを別けて、必要な記事に目を通して処分する。見出しを見て時間がないので中身は読まずに除けておいたものだ。どうしても溜まる。例えばそこには昨年のベルリンでの音楽祭で初指揮を披露したコンセルトヘボーの次期指揮者の姿が写っている写真が載っている。読む気もしなかったが、時間もなかった、それでも判断だけは知っておきたい。そういう記事である。

見出しを改めて見ると、「新シェフが求められる」となっている。話題のフィンランドの指揮者はその任に就くのは2027年からで未だ先である。しかし既にその後任が求められると書いている。その心は?

ザールヤホとマーラー六番の2曲で、なによりも近代性と音響と情感を主観的に出すことが目されて、珍しい楽器群やソロが強調される。植物繊維ばかり処理させられる楽師さんにも聴衆にも胃もたれしないという事はない。熱血とクールな頭脳が要されるところで、多くの指揮者がやる様に煽ることで、楽譜を知らぬかのようにアクセントを失い、為さないクレッションドを引き出す。見事だ。そこには音楽的に何もない。フィナーレも制御なく、怒りしかなく、楽団のマーラー伝統はカタストロフとなり、あってはならないことだと書く。

そして同じ年頃のペトレンコやカラヤンのそれを比較して、クラシック業界が今どうしようもないことを知るとしている。楽団の経営事情から、適当に仕事が出来て客が入れば、それだけでいいのが楽団側の裏事情である。した積み無しに売れている人で二十年先に活躍している人は殆どいないと思われる。



参照:
図書館付随会場の音響 2022-12-19 | 音
待て、勝負ありの感 2021-02-17 | 音
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする