Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

二本立ての一本目

2019-12-17 | 
眠い、寒気もあってか疲れた。音楽祭やレートナイト等では二本立てあるが、常設小屋では初めてだった。オペラと大交響曲は可成りである。オペラがマテイネーで良かった。逆なら鼾をかくところだった。

フォーレ作曲「ペネロープ」を観れて良かった。演出は、フランクフルトの歌劇場としては標準的な出来だった。決して悪くはないが音楽的にまだまだ芝居が出来た。結論からすると、評にあったように献身的な楽団とあったが、充分だったろうか?確かによくやっていたかもしれないが、ヴィオッティ指揮の程度には至らなかった。理由は、やはり指揮にあるのではなかろうか?なるほど現時点で先輩のヤングなどよりは間違いなくよく、経験を積めばティーレマンやそこの音楽監督ヴァイクレよりもいいのかもしれないが、そして前回の「メリーウィドー」の時よりも進化していると思った。ニュルンベルクの音楽監督をしながらミュンヘンで振っていたりして経験を積んだからなのだろうか?

とても細やかでいい指揮だと思ったが、コムパクトに振るのが難しいようだ。身体の緊張とかの筋肉などに係るものかもしれないが、それが欠けている。どうしても清涼感が必要なところも明確になるところもヴァークナーの様に鳴ってしまう。勿論「オランダ人」をバイロイトで振ったりは問題無くても、コンサートとなると厳しい。

「ペネロープ」に関しては象徴などもあるようで、それはプログラムにもあるが、またオリエンティーリングも途中から聞いたのだが、それ以上に音楽と舞台として充分な提示では無かった。それはドラマテュルギのステファニー・シュルツ嬢の話しを聞いていても、もう少しドラマを作らないといけないだろうと思う。また苦情をすれば紡ぎの動機もあまり効果的ではなく、音楽的な裏打ちも完璧では無かった ― 当夜の演奏もCD録音化されていたとあるが、幾ら編集するとは言ってもオームクラシックの程度の低さが知れる。

もし管弦楽などアンサムブルがミュンヘンだったらヨアナ・マルヴィッツの指揮ともう少し優れた演出でこの作品がリヴァイバルとなったかどうかとどうしても考えてしまう。音楽的には、六月に漏らしたように、もう二度とは思わないのだが、フランクフルトのオペラは一時間掛けて行くのが精々という価値だろう。その意味から五時間掛ける価値はパリにはなく、ベルリンの八時間などはもってのほかである。シュトッツガルトがもう少し頑張ってくれればとは思う。

さて、次回はいつ行くことのなるか分からないようなオペラ劇場であるが、今回は端から二つ目に座っていて、後半に端に移動してきたおばさんがいた。トラムの時刻があるから真ん中から端に移ったのだと。二幕の後に休憩があると思っていたので、もしかすると私と同じようにアルテオパーへ行くのとは思わなかったのだが、その人の席に座らせてもらった。真ん中である。最上階前から四列目で席にして五つしか変わらないが、予想していた視角に限らず音が素晴らしかった。左側の木管群の直接音が聞こえるだけでは無かった。いつも遅くになって席を選ぶので座ったことが無かったのである。万が一今後行こうと思うならば同じ価格なら真ん中に座ろうと確信した。

どうも皆次を急ぐので、拍手は続いていたのだが、早めに席を立つ人も多く、駐車場周りでもそれも感じた。駐車料金は後払いで4ユーロ現金。18時12分ほどに道路に出たが、折からのヴァイナハツマルクトの交通封鎖で遠回りした。19時始まりなので、アルテオパーの車庫入れは30分前で大分余裕があった。日曜日だから可能だった。久しぶりの通い慣れたアルテオパーである。前回はゲヴァントハウス管弦楽団ツアーの途中だった。



参照:
余りにも恵まれた境遇 2019-10-15 | 雑感
高いアヴェレージ 2019-11-07 | 暦

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