Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

英国離脱後の構造脱却

2016-06-20 | 歴史・時事
英国のEU離脱に関して、クラウス・フォン・ドナーニが一全面を費やして書いている。高名な指揮者クリストフの兄で、88歳になるSPDの元ハムブルク市長で、SPD政権で文化・教育大臣を務めた高名な西ドイツの元政治家である。同時にドゴール、アデナウワー時代の生き証人として実際の政治の裏側を印していてとても興味深い。蛇足乍ら、ドホナーニ一家は祖父のハンガリーの作曲家エルンストほか、政治畠においてもヒトラー暗殺計画で処刑された父親のハンスが最も著名人である。

ブリクジットを持しての政治的な見解が述べられている。要するに英国自体にとっては、EUやその前身のEEC時代にも経済的な関心が優先されて、そもそも欧州共同体などは目論んではおらず、最初から「ドゴール・アデナウワーの結婚」に横槍を入れようとしていたにすぎないという歴史的な背景を説く。

ドゴールの欧州の合衆国からの独立には独仏の基軸が欠かせないとする基本理念は、当然のことながら合衆国の欧州での覇権からすると同盟国英国と共に決して認めることは出来ない考え方であった。完全にそれに同意したアデナウワーにボン議会で反対した大西洋主義者もしくは親英国主義者によって1963年1月22日のエリゼ―条約は骨抜きにされて、NATOの中に組み入れられ、本来の経済を超える政治を含む独仏を軸とする欧州共同体化への道は破談になったとある。

ドナーニ氏が、自ら指揮官となった1979年のNATOの演習にて、ボンの防空壕で体験したのは、「合衆国は対ソヴィエト作戦として西ドイツに許可なく戦略核を設備されていた」ことである。アデナウワーが合衆国の安全保障補佐官のマックジョージ・バンディに、「将来の主導権争いは分からない」と溢すと、「主導権は、フランスでも英国でも、ドイツでもなく合衆国だ」と語ったと書き足す。

そもそも1918年以後英国は欧州として貢献したことはなく、チャーチルの1946年9月19日のチューリッヒ発言の「英国、コモンウェルズ、合衆国と、もし可能ならばソヴィエトが欧州の友人として、スポンサーとしてあるべきだ」とする立場によく表れているとする。つまり英国は独立した大国であるべきだというのが基本的な考え方である。

英国のバランスオブパワーの外交政策は、同盟国の合衆国の覇権が前提となっていて、同時にその英国の分割統治はもはや前世紀の遺物でしかなっていた。その一方で1961年に集まった六か国のEECにおける自主独立と自主防衛、独自外交政策の推進は、合衆国からも独立したドゴールの理想とした欧州共同体への考え方だった。

英国の立場自体も核政策に関するマクミラン政権また必ずしもチャーチルの思い描くようには一貫していた訳ではないが、ドゴールにとっては英国は合衆国の欧州におけるトロイの馬であり続けたことは間違いないとされる。

そこでドナーニ氏は、あの当時はフランス主導の「自主独立」には抵抗があったが、この機に及んでフランスにおいても同じような怪訝があるとしてもドイツ主導の英国離脱後の欧州の創造が必要だろうとする意見でこの記事は結ばれている。

日本でも脱合衆国支配が叫ばれている。本当の戦後レジームからの脱却にはこうした将来への構造の構築が必至ということであろう。



参照:
Sie wollten doch sowieso immer nur Großmacht sein, Klaus von Dohnanyi, FAZ vom 17.6.2016
離脱後を計るバンクの反応 2016-06-18 | 歴史・時事
英国のEU離脱を見据える 2016-06-17 | 歴史・時事
新社会市場主義経済構想 2009-02-11 | 歴史・時事
楽譜から響く管弦楽サウンド 2015-06-24 | 文化一般
コメント (2)
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