パンダ イン・マイ・ライフ

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 山本一力 赤絵の桜

2024-05-12 | 山本一力
「赤絵の桜」は、山本一力が2004年平成16年に月刊文芸誌に掲載した短編5作を収録したもの。2005年6月平成17年刊行。「損料屋喜八郎」シリーズの第2弾だ。

喜八郎31歳の手足となる人々

損料屋の番頭 嘉介
担ぎ汁粉屋 源助52歳 一番年長 探り仲間の差配役
口入屋の井筒屋の手代、佐助 39歳
豆腐屋の棒手振 平吉
鮮魚の担ぎ売 勝次 ともに27歳
北町奉行所定町廻り同心小笠木慎介配下の目明し 松之助 41歳
豆腐と油揚げの棒手振り 平吉
青物の棒手振り 辰平 ともに27歳
水売りの彦六 53歳 最年長
町飛脚の俊造 40前

江戸屋 創業100年の老舗料亭
おかみ 秀弥 四代目
仲居頭 市弥
板長 清次郎
下足番 芳蔵

そして、札差 伊勢屋四郎左衛門 頭取番頭の喜平次

寒ざらし
棄捐令が出され、江戸の景気が冷え込んだ。蔵前から1時間の船旅で着く押上村にあった料亭大島屋は薪炭屋の鋏屋森之助に買い取られ、周りに塀が作られ改修工事が始まる。
御家人青山清十郎は札差の伊勢屋に三千両を用立てろという。伊勢屋四郎左衛門は断るが、青山家は札差を伊勢屋から変えると言い出す。その代わりの札差は、喜八郎が関わる米屋だというのだ。米屋政八は、与力の秋山に、三千両の使途は薪炭屋作る窯風呂「ほぐし窯」のためだという。喜八郎は窯風呂に探りを入れる。鋏屋も青山家も、出は肥前の有田だという。そして陶器や磁気の修繕を行う焼継屋有田屋が江戸で店を開く。有田屋も肥前の出だった。

赤絵の桜
1年半前に深川に小料理屋を出した纏屋の富蔵夫婦は、亀久橋の掃除をしている。その川に橋からものを投げ込んでいた男がいた。陶器場で焼き物づくりに携わる練り足職人の長太郎だった。神田の頃からの富蔵の旧知の伊勢屋は、長太郎の投げ込んでいた木箱の中にあった皿を見て、こんないけないものを持っているのかという。喜八郎配下のメンバーが恒例の日本堤で花見をするために集まる。そこで絡まれた連中の中に、15年前に俊造の前から姿を消した一つ下の女房おちずがいた。俊造のもとに2歳の時におちずと共にいなくなった娘おまきが訪ねて来る。おちずは、ほぐし湯で湯女(ゆな)をしているという。おちずが暮らしているのは長太郎だった。

枯茶のつる
おまきは、口入屋で会ったおちょうに蕎麦屋を紹介される。しかし、そばや夫婦の冷たい仕打ちにおまきは蕎麦屋を飛び出してしまう。おちょうは、詫びるために、俊造と暮らすおまきのもとを訪れる。喜八郎は増水する大川の土嚢袋の調達を伊勢屋に頼む。

逃げ水
両替商の大阪屋の手代が伊勢屋を訪ねて来る。上野寛永寺の庶務主事が話があると言う。四郎左衛門に、融資と寺の米の融通の話を持ち掛ける。その頃、喜八郎のもとに、護岸工事の飯場に人夫30人分の寝泊まり用品を30日分貸せてほしいと頼みに来る。米屋政八が喜八郎に伊勢屋が騙りにあったと話す。

初雪だるま
江戸屋にほぐし窯の番頭と手代がやって来た。25人の宴会をしたいというのだ。宴会当日を迎える。薪炭屋の鋏屋森之助を始め、御家人の青山清十郎も同席する。その青山が、江戸屋の椿がほしいと秀弥にいう。断る秀弥に青山は脇差を抜く。
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