パンダ イン・マイ・ライフ

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八木重吉詩集

2014-10-26 | book
八木重吉(やぎ・じゅうきち)という詩人を知った。

2014年3月9日の新聞に「思い出す忘れられない本」のコーナーで,俳優の高橋長英1942年生まれが,紹介していた。そのなかに,「草にすわる」という3行詩があり,惹かれた。

図書館で2012年6月刊行の「はらへたまっていく かなしみ 八木重吉詩集」を借りた。小室千雪(こむろ・ちゆき)の切り絵もいい雰囲気だった。


そして,先の新聞で紹介されていた「永遠の詩08八木重吉」を購入した。2010年5月刊行だが,2012年6月に第2刷だった。これはそれぞれの詩ごとに解説があり,重吉の作詞の古い順から並べてある。

鮮烈な人生だ。今の東京の町田市に1898年明治31年2月9日生まれ,大学時代に嶋田とみの家庭教師として出会う。得意の英語を生かし,兵庫県神戸の御影で教員となり,24歳で,女学生のとみ17歳と結婚。このころから詩を作るようになったという。
25歳に長女の桃子が,26歳で長男陽二が生まれた。26歳の大正14年に実家の近く,千葉県柏市に移る。しかし,1926年大正15年,昭和元年,28歳の時に,当時不治の病の結核に冒される。そして,1927年昭和2年の10月26日に亡くなる。29歳。墓は町田にある。
生家の土蔵が記念館になっているという。

24歳からの5年間に作られた詩の数々。短い数行の詩は,凛としていて,やさしく,悲しく,時に激しい。

重吉の死後,桃子は14歳で,陽二は15歳でいずれも結核で亡くなる。そして,このすさまじい家族の死を経験したとみ(登美子)は,その後,縁あって昭和22年に歌人の吉野秀雄と結婚する。登美子は1996年平成8年に94歳の生涯を閉じる。

「永遠の詩」を読むと,重吉の同世代に宮沢賢治1896年(明治29年)8月-1933年(昭和8年)9月,草野心平1903年(明治36年)5月-1988年(昭和63年)11月,中原中也1907年(明治40年)4月-1937年(昭和12年)10月がいたことがわかる。童謡詩人の金子みすず1903年(明治36年)4月-1930年(昭和5年)3月もそうだ。
10歳年上に「分け入つても分け入つても青い山」の種田山頭火,7歳年上に「咳をしても一人」の尾崎方哉がいた。

思わず「八木重吉全集」をセカンドハンドで手に入れた。




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