今日は、朝、温度計を見たとき、24℃あって、起きたときからもうムッとする、感じもあって。
これはひとつは、雨の効果もある。もう一つ、まだ上だけだが、厚め、長く着ているので
それでも昔に比べて薄くなった、パジャマを着ているから、と考えたんだけど。
で雨、結局きのうの夜のほうが多かったようだが、朝から、今までどうかというと、雨はない。
予報では曇り時々雨、つまり曇りか雨。でいつも、気象庁のレーダー・ナウキャストを見ている
わけでないので、なんともいえないが、今も周りには雨雲はある。しかし、外の温度より
部屋の中の温度のほうが、わずかに上がった程度だが、28℃今はある。
まだ冷房はいらないが、湿気も多く、ムシムシ感はひどい。不快指数というものあったけど
言葉の響きがよくないのか、あまり使われなくなった。昔はよく言っていたのだけど。もっとも
感じるものは、年齢とかは別にすると、やはり同じ。梅雨はムシムシ、夏は汗だらで、これは健康的な
感じもする。冬はというと、あまりに寒すぎて、何にも感じない。というときがあったかどうか。
もともと富山の冬は、内陸の盆地に比べて、気温は穏やかに変化する。そう思う。雪は多いほう
だと思うが。
北陸と聞いて、夏涼しい、これは冗談のように今も言われるのかな。そこに住んでいない、
都会しか知らない人は。
で、富山の夏の暑さ、やっぱり厳しくなっている。都会のヒートアイランドでなく、本質が変わった、
という感じだ。これは2008年ごろからよく言われるようになった。そのころ顕著に、夏も冬も、
厳しかったからである。これは富山オリジンさんも、そう思うのではないか。富山も、字の通り
やはり山が多い。山も暑いかというと、やはり暑いのではないか。なかなか避暑という場所がない。
私が学生のころに、ここの家に遊びに来ていて、祖父、祖母とあまり話すことなく、でも時間だけ
はあって・・・。この辺は就職活動など全然考えていない私だから、そうゆう経験をしたのでは
ないかとも思うが、何しろ何にもない。
昔の家は、構造は簡単である。でやけにでかい。で夏は風が入ると、さほど暑くもない。さらに
昼寝などもした。祖父・祖母は、明治の人であったので、早く起きる、床に正座して食事は当たり前だが
昼寝などはしていたようだ。すでに、もう何かやっているという年齢ではない。
話すことはあまりないものである。祖母は、これはやはり女性だからか、孫の私を少しはかわい
がってくれたようだ。だから草もむしらず、たまに文庫本など読んでいる、そうゆう怠け者の
私のことも悪くは言わなかった。もっとも、父にとって両親は、非常に怖いものであったらしく、
ほとんど、こっちに帰ることはなかった。これは父の妹である、二人の叔母、その子供さんも同じ。
叔母二人はどちらも、お金で困る生活をすることは絶対にないという、方と世帯を持っていて、
で、住んでいる場所が北海道、もう一人が東京。来れないというのと、いかないという二人で
あったようだ。
よっぽど、昔の時代の親は、頑固で子に厳しかったのだろう。今のおじいさん、おばあさんに、
それは想像も出来ないだろう。お孫さんを見つけて、それが富山駅にしろ、空港にしろ、
迎えに嬉しそうに行き、そして抱っこなり、荷物を持つ、ということ。そうゆう映像を見ると、
時代というものを強く感じる。もっとも、親と子というと、今のほうがむつかしい緊張関係を
持たざるを得ないようだ。
Eテレでも、若い人がディレクタの思うように発言する様子を見ていると、あるいは周りをよみながら
発言を考える。将来、あーゆう経験をした人は、官僚か政治家になるのが向いているのかな。
まーいってみると、考えとしては老けすぎている。そんなむつかしくものを考えて、面白くも
ないだろう。
鶴瓶さんのTVでは、お年寄りの方も、ずいぶんとTV慣れしている。それに比べて、これは趣旨も
違うし、考えてみると特殊な条件での演出だが、TOKIOのみなさんの日曜の番組のほうが
ごく一般的で、TV取材は嫌だと思う人は、割とあっけらかんと断るようだ。これもしかたない
ことである。後者のほうが現実みはある。
今日もというか、身体が重いので、適当に思うことを書いている。
でキカラスウリの花。これが今増えている。咲かせておられる方もいる。勝手にも出てくるようだ。
私の家は、荒れた庭なので、カラスウリが跋扈している。そのうち、壁にまで蔓が延びる。
キカラスウリのよさは、昼くらいまでなら花が咲いていること。
今回は割と新鮮。
その一。順は時間で言うと逆に遅いものの方からいっている。こっちが新しい場所。
昔は見ていないところだ。時期の問題もある。
その二。ちょっとした影がこの花は好きだ。概して、コンクリートの基礎だけあるという
ところで、その影に蔓は下がる。
その三。
その四。明るいけど、キカラスウリ。
その五。ちょっと変えて、これは葱坊主かな。チョウなどいれば、止まるかも。
その六。カスミソウ。やっぱりはっきり写らない。
その七。場所は別だが、最初と同じで、コンクリートの影、そこに花は咲く。
その八。
その九。
その十。これらは花の様子ははっきりしないが、いくつかの花のあり方。蕾もまだある。
その十一。こんな花、まったく見たこともなかった。まー花は、やはり好きな方、熱狂的な方は
別だが、ある程度くたびれてきて、ため息ばかり出る年齢にならないと、その美しさに気が付か
ないのではないか。
他に楽しいことはあるからね。もう今はないが昔、若かりし頃の日記など見ていると、とんでも
ないことが、とんでもない字で書かれていて、なるほどと合点する。
多少汚れようが、血を出そうが、そんなこと気にもならない。もっとも喧嘩とかでなく
ずるっと滑ってとかの血だけど。
怖いものもあったことはあったが、汚くても平気でというのは若い人の特典だが、これも
今は通用しない。外国の方が年齢の割りにふけているように見えるのはこれが理由かな。
あまり表現よくないが、年齢が増すと、顕著に疲労している感じが見受けられる、異国の人。
これはひとつは、雨の効果もある。もう一つ、まだ上だけだが、厚め、長く着ているので
それでも昔に比べて薄くなった、パジャマを着ているから、と考えたんだけど。
で雨、結局きのうの夜のほうが多かったようだが、朝から、今までどうかというと、雨はない。
予報では曇り時々雨、つまり曇りか雨。でいつも、気象庁のレーダー・ナウキャストを見ている
わけでないので、なんともいえないが、今も周りには雨雲はある。しかし、外の温度より
部屋の中の温度のほうが、わずかに上がった程度だが、28℃今はある。
まだ冷房はいらないが、湿気も多く、ムシムシ感はひどい。不快指数というものあったけど
言葉の響きがよくないのか、あまり使われなくなった。昔はよく言っていたのだけど。もっとも
感じるものは、年齢とかは別にすると、やはり同じ。梅雨はムシムシ、夏は汗だらで、これは健康的な
感じもする。冬はというと、あまりに寒すぎて、何にも感じない。というときがあったかどうか。
もともと富山の冬は、内陸の盆地に比べて、気温は穏やかに変化する。そう思う。雪は多いほう
だと思うが。
北陸と聞いて、夏涼しい、これは冗談のように今も言われるのかな。そこに住んでいない、
都会しか知らない人は。
で、富山の夏の暑さ、やっぱり厳しくなっている。都会のヒートアイランドでなく、本質が変わった、
という感じだ。これは2008年ごろからよく言われるようになった。そのころ顕著に、夏も冬も、
厳しかったからである。これは富山オリジンさんも、そう思うのではないか。富山も、字の通り
やはり山が多い。山も暑いかというと、やはり暑いのではないか。なかなか避暑という場所がない。
私が学生のころに、ここの家に遊びに来ていて、祖父、祖母とあまり話すことなく、でも時間だけ
はあって・・・。この辺は就職活動など全然考えていない私だから、そうゆう経験をしたのでは
ないかとも思うが、何しろ何にもない。
昔の家は、構造は簡単である。でやけにでかい。で夏は風が入ると、さほど暑くもない。さらに
昼寝などもした。祖父・祖母は、明治の人であったので、早く起きる、床に正座して食事は当たり前だが
昼寝などはしていたようだ。すでに、もう何かやっているという年齢ではない。
話すことはあまりないものである。祖母は、これはやはり女性だからか、孫の私を少しはかわい
がってくれたようだ。だから草もむしらず、たまに文庫本など読んでいる、そうゆう怠け者の
私のことも悪くは言わなかった。もっとも、父にとって両親は、非常に怖いものであったらしく、
ほとんど、こっちに帰ることはなかった。これは父の妹である、二人の叔母、その子供さんも同じ。
叔母二人はどちらも、お金で困る生活をすることは絶対にないという、方と世帯を持っていて、
で、住んでいる場所が北海道、もう一人が東京。来れないというのと、いかないという二人で
あったようだ。
よっぽど、昔の時代の親は、頑固で子に厳しかったのだろう。今のおじいさん、おばあさんに、
それは想像も出来ないだろう。お孫さんを見つけて、それが富山駅にしろ、空港にしろ、
迎えに嬉しそうに行き、そして抱っこなり、荷物を持つ、ということ。そうゆう映像を見ると、
時代というものを強く感じる。もっとも、親と子というと、今のほうがむつかしい緊張関係を
持たざるを得ないようだ。
Eテレでも、若い人がディレクタの思うように発言する様子を見ていると、あるいは周りをよみながら
発言を考える。将来、あーゆう経験をした人は、官僚か政治家になるのが向いているのかな。
まーいってみると、考えとしては老けすぎている。そんなむつかしくものを考えて、面白くも
ないだろう。
鶴瓶さんのTVでは、お年寄りの方も、ずいぶんとTV慣れしている。それに比べて、これは趣旨も
違うし、考えてみると特殊な条件での演出だが、TOKIOのみなさんの日曜の番組のほうが
ごく一般的で、TV取材は嫌だと思う人は、割とあっけらかんと断るようだ。これもしかたない
ことである。後者のほうが現実みはある。
今日もというか、身体が重いので、適当に思うことを書いている。
でキカラスウリの花。これが今増えている。咲かせておられる方もいる。勝手にも出てくるようだ。
私の家は、荒れた庭なので、カラスウリが跋扈している。そのうち、壁にまで蔓が延びる。
キカラスウリのよさは、昼くらいまでなら花が咲いていること。
今回は割と新鮮。
その一。順は時間で言うと逆に遅いものの方からいっている。こっちが新しい場所。
昔は見ていないところだ。時期の問題もある。
その二。ちょっとした影がこの花は好きだ。概して、コンクリートの基礎だけあるという
ところで、その影に蔓は下がる。
その三。
その四。明るいけど、キカラスウリ。
その五。ちょっと変えて、これは葱坊主かな。チョウなどいれば、止まるかも。
その六。カスミソウ。やっぱりはっきり写らない。
その七。場所は別だが、最初と同じで、コンクリートの影、そこに花は咲く。
その八。
その九。
その十。これらは花の様子ははっきりしないが、いくつかの花のあり方。蕾もまだある。
その十一。こんな花、まったく見たこともなかった。まー花は、やはり好きな方、熱狂的な方は
別だが、ある程度くたびれてきて、ため息ばかり出る年齢にならないと、その美しさに気が付か
ないのではないか。
他に楽しいことはあるからね。もう今はないが昔、若かりし頃の日記など見ていると、とんでも
ないことが、とんでもない字で書かれていて、なるほどと合点する。
多少汚れようが、血を出そうが、そんなこと気にもならない。もっとも喧嘩とかでなく
ずるっと滑ってとかの血だけど。
怖いものもあったことはあったが、汚くても平気でというのは若い人の特典だが、これも
今は通用しない。外国の方が年齢の割りにふけているように見えるのはこれが理由かな。
あまり表現よくないが、年齢が増すと、顕著に疲労している感じが見受けられる、異国の人。