お天気、ムシムシ状態。
気が付かなかったが、外の温度、気象台のアメダスの温度だが、11時に30℃を超えている。
動くと汗がにじみ出る。いえの中でも。
外に出ると、風の通り道は意外と涼しく、そうでないところは、これは暑く、最後にはゼイゼイいい
そう。
強い雨雲が近付くようで、少し警戒している。いやかなりかも知れない。
毎度のないない病で、どうするか、撮ったままのファイルも多いのだが、一番新しいのを見ると
やっぱり見ていないからか、こんなことになるのか、という画像が出る。目もよくないし、すぐに
疲れるし、なるべく見ないようにするしかないのだが、そうすると、こうゆうものを見落とす。
外に出ると、まずは太陽光線の影響もあるが、他に老眼とか、脳の思い込みもあるようだが、
結局、残るのはさほどなく、画像を見ないと、わからないことだらけである。枚数とって
捨てるのが多い。そうゆう思い込みも激しい。
見慣れているアジサイだが、それもガクアジサイだが、もちろん花の最盛期は過ぎている。
でもそこにもちゃんと、最盛を過ぎたアジサイのよさがあった。
見てびっくりとはこのこと。撮りっぱなしも多い。物忘れも多い。それでも、何にも出来なくなる。
興味、好奇心、闘争心がなくなるのがこれが恐ろしい。
ノリウツギもアジサイに似るが、この花の画像も、今までと違ったものがあった。
その一。最新状態の南側の荒れ方。なんかひどくなったが、これもしょうがない。
木をかなり切った。あのお気に入りの、カエデも、幹だけに。
その二。今年も出て来た、この草はなにかな。
その三。ガクアジサイかヤマアジサイの、ガクの変色だが、赤みが弱くなる。
ここにカマキリがいないのが寂しい。
その四。大き目のアジサイ。今年は、花の数、大きさ、果物でいうと「秀」。
その五。アジサイに似るノリウツギだが、このガクでないところの、小さい白玉が
割れて、花に。こうゆうときは見ていないかも。
その六。奥のほうはこの隘路の向こう。
その七。なるほどでもないが、こうなっているのか。わからなかった。
その八。この日はたしかに、日は出ておらず、雨が降りそうだったが、さすがにアジサイも
輝きがない。ファイルを見て、通夜という言葉が浮かんだ。
その九。この色は苔の色か、富山県人のみなさんも好きな、コブ、昆布に似ている。
酢昆布というのがある。これを細かくしたものは、おにぎりに合うが、思い出した。
その十。青い花がまだある。こうゆうものも、最近見ていない。この時期しか
見ることが出来ない。
その十一。最初は呆然というか絵にならないと思うのだが、しばし様子を見ていると
これが好ましく思える。
人間、年とれば若い人がうらやましい、最近は特にそうだが、反省した。
若い人でも聖人のごとき人がおられる。うらやましいようだが、あるときははじけないと。
で歳とって、子供のまま、これはちょっと。そこが芸の見せ所かも知れないが。
はしゃぎまわる人もいるようだが、どうも税金のむだ使いばかりしているようであれでは
本人の自覚を促すのも無理で、これは世の地獄、あるいは世の終焉も近いという幻想に
襲われる。
今日はこんな暑くなるとは思わなかったのだが、朝早めに、運動かねて、動きを鈍くする
ジーンズもはいて、ときどき、鏡のようにもなる、窓のあるところで、自分の姿を確認しながら、
歩いてみた。
最近は花壇なども、結構荒れているが、久しぶりに行ったところは違った。
ニチニチソウは、ずいぶんと地味な花だが、それが重厚にも見えた。これはよかった。
熱中症にならないように、時間がきたので帰って来たが、たしかに汗が噴出した。
気が付かなかったが、外の温度、気象台のアメダスの温度だが、11時に30℃を超えている。
動くと汗がにじみ出る。いえの中でも。
外に出ると、風の通り道は意外と涼しく、そうでないところは、これは暑く、最後にはゼイゼイいい
そう。
強い雨雲が近付くようで、少し警戒している。いやかなりかも知れない。
毎度のないない病で、どうするか、撮ったままのファイルも多いのだが、一番新しいのを見ると
やっぱり見ていないからか、こんなことになるのか、という画像が出る。目もよくないし、すぐに
疲れるし、なるべく見ないようにするしかないのだが、そうすると、こうゆうものを見落とす。
外に出ると、まずは太陽光線の影響もあるが、他に老眼とか、脳の思い込みもあるようだが、
結局、残るのはさほどなく、画像を見ないと、わからないことだらけである。枚数とって
捨てるのが多い。そうゆう思い込みも激しい。
見慣れているアジサイだが、それもガクアジサイだが、もちろん花の最盛期は過ぎている。
でもそこにもちゃんと、最盛を過ぎたアジサイのよさがあった。
見てびっくりとはこのこと。撮りっぱなしも多い。物忘れも多い。それでも、何にも出来なくなる。
興味、好奇心、闘争心がなくなるのがこれが恐ろしい。
ノリウツギもアジサイに似るが、この花の画像も、今までと違ったものがあった。
その一。最新状態の南側の荒れ方。なんかひどくなったが、これもしょうがない。
木をかなり切った。あのお気に入りの、カエデも、幹だけに。
その二。今年も出て来た、この草はなにかな。
その三。ガクアジサイかヤマアジサイの、ガクの変色だが、赤みが弱くなる。
ここにカマキリがいないのが寂しい。
その四。大き目のアジサイ。今年は、花の数、大きさ、果物でいうと「秀」。
その五。アジサイに似るノリウツギだが、このガクでないところの、小さい白玉が
割れて、花に。こうゆうときは見ていないかも。
その六。奥のほうはこの隘路の向こう。
その七。なるほどでもないが、こうなっているのか。わからなかった。
その八。この日はたしかに、日は出ておらず、雨が降りそうだったが、さすがにアジサイも
輝きがない。ファイルを見て、通夜という言葉が浮かんだ。
その九。この色は苔の色か、富山県人のみなさんも好きな、コブ、昆布に似ている。
酢昆布というのがある。これを細かくしたものは、おにぎりに合うが、思い出した。
その十。青い花がまだある。こうゆうものも、最近見ていない。この時期しか
見ることが出来ない。
その十一。最初は呆然というか絵にならないと思うのだが、しばし様子を見ていると
これが好ましく思える。
人間、年とれば若い人がうらやましい、最近は特にそうだが、反省した。
若い人でも聖人のごとき人がおられる。うらやましいようだが、あるときははじけないと。
で歳とって、子供のまま、これはちょっと。そこが芸の見せ所かも知れないが。
はしゃぎまわる人もいるようだが、どうも税金のむだ使いばかりしているようであれでは
本人の自覚を促すのも無理で、これは世の地獄、あるいは世の終焉も近いという幻想に
襲われる。
今日はこんな暑くなるとは思わなかったのだが、朝早めに、運動かねて、動きを鈍くする
ジーンズもはいて、ときどき、鏡のようにもなる、窓のあるところで、自分の姿を確認しながら、
歩いてみた。
最近は花壇なども、結構荒れているが、久しぶりに行ったところは違った。
ニチニチソウは、ずいぶんと地味な花だが、それが重厚にも見えた。これはよかった。
熱中症にならないように、時間がきたので帰って来たが、たしかに汗が噴出した。