光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

雨のときも、晴れのときも

2009-06-18 18:56:11 | 散策
  面白くない話し、というのは、意外と多く、これがうちの中で発生すると、それなりに嫌にもなる。同じ家族なのに、なんだか意見も違うし、それで落ち着くところがあれば、それもまた平常、日常となる。それ以外だと、近くの人との交わりというか、でもめる?。習わしというか、その他に、不文律みたいなものもあって、それで、問題になるときは、まずはない。うちの中の方が圧倒的に多い。

  ないはずなのに、そうゆうことが起こる。つまらないというか、ある人はこれは当然だが、これはおかしいと考える。それと、私との考えが違う場合がある。これは当然だが、だが見た目とか、直接的な被害がないと、何しろ立証も出来ない。だから、大体黙っているくらいが落ちで、まずはよそに文句をいいにゆくというのは、この年になってない。会社組織でもあるまいに、と思うこともある。
  いろいろ、価値とか考え方は違うものだ、というのが大体の考えの中心だけど、だからといって、特に何かをするわけではない。サボるときもあれば、わからんように誤魔化したりはする。一々草抜きにまじめに取り組むこともなく、どぶの掃除だって適当である。それが自分に出来ること、あるいは毎日やっていることなら、これは自慢でもないが、さっさとやって、30分はかかるというものも5分で済ませる、そのくらいの感じで生きている。

  あー、またぼやきになって来た。突然というか、やって来る、「槍」のようなものがある。人の判断というのは、違うものだ、という考えでなく、こうなっていないというのが、おかしいというわけである。これを細かく書けないし、書く気もないが、それにしても、いろいろやりにくいことは多い。これが、大きな組織で、その中で討論されるなら、まだ話しはわからんでもないが、個人の思い付きでそうゆう「槍」やら、「鉄砲玉」が飛んでくるというのも、困ったものである。

  きょうは、雨の日で、珍しく梅雨らしくなった。大体曇りか、午後に晴れというもので、このままだと、まったく植物も生き絶え絶えになるな、と少し大仰に考える。その通りと思えるような、状態というのを見ることが出来る。
  皆さん、そこはどうゆう土地かはっきりはしないが、春には春の、夏に夏の植物を植えられて、そのものは、大体今は乾いた状態で、生きている。なんだか人間の世界を反映しているようだが、さすがにそこには水道水もなく、またそのそばを流れる用水も、自然とそこよりも高い地面に上がるような、そうゆうシステムはなくて、乾き切った状態がある。結構肉厚なそうゆう植物だと、大丈夫なようで、でも大体は、やっぱり青息吐息である。
  そこの上に、小さなシジミチョウが、いくつか飛んでいる。これを見ていると、シジミチョウのいる環境がここにはあることになって、嬉しいような気もするが、そのチョウは忙しく飛ぶばかりで、その動きを見ていると疲れる。
  ときに目が回りそうにもなるので、途中でそれを追うことを止める。3匹のシジミチョウが、空中でときに絡み合ったが、瞬間にして別れ別れになったから、これは同じオスなら、オスのシジミチョウなのであろう。そのシジミチョウにやけに大きいものも見かけるが、無論普通のシジミチョウなのであろう。
  
  小さなチョウだから、普通に歩くと気が付かず、紅色だとわかりやすいが、このチョウのことも知ったのが最近だから、捕まえはしないが、しかしどうゆうときに、シジミチョウがじっとしているか、わからない。過去に何度か、このチョウが、静かにしてくれて、接近することが出来たが、これも偶然かと思う。
  でも、きっとそのチャンスはあるだろう。

  最近は、昔になかった、つまらないこととかで、ガタゴトすることが多い。老化が一つの原因で、自分自身もその老化の真っただ中にいる。わかっていて、それでどうしていいかわからないことが多い。いろいろなややこしいこともこれからも起こるだろうが、このシジミチョウも見て、その小さいながらも精一杯飛んでいるのを見ると、
  つまらないことは忘れた方がいいという結果は、明白というか、自明であることがわかる。世の中、するするとすり抜ける方法はないが、少しは利口にならないと、それこそ自滅しそうで、世渡りの策もまた考慮の余地がある。
  




  水田のその一。水田は何も語ってくれない。これも悲しい。




  少し水の量が少ないが、これは今は多分水抜きをやっている。酸素の問題である。




  この広い水田を、昔は人の手で、苗を植えた。でも、こんな水田ではなかったのも事実。グニャグニャしていたのである。




  曇り空。水田も、晴れで水が青く光ると、やっぱり見栄えがする。




  マツバギク。今回は露光補正をなしにしてみた。普段は、マイナスで、1段か2段。で、このマツバギクの色も少し飛んでいる。やっぱり、マイナス補正かな。




  ムラサキシキブの小さな花がもう咲いている。この植物ももう少し詳しく、分類されるようだ。中央辺りに、あまり見たくない、幼虫がいる。




  ナンテンの花が、もしかしたらと思って見ていたら、花が咲いて黄色いオシベ?が、出てきた。若干にごりのある、色だが。

梅雨空、雨のアジサイ

2009-06-18 16:15:41 | 植物・花(夏)
  珍しく、雨が降っている。でも正直書くと、また晴れて来た。
  これは忘れることにして、珍しく、梅雨らしくシトシト雨が降って
  ようやく、梅雨だなと思う。
  長くこの雨を待っていた。シトシトだが
  降らないよりは、いい雨で、で、土砂降りでもない。

  どうするもこうするも、梅雨というとアジサイだし
  アジサイというと、雨。
  この二つが、ぴたり重なって、
  出来るだけ一定の時間で、たくさんの
  これは変わっているというのも探してこようと思ったが

  そうはいかなかった。
  こんな程度だな、あらためて大きなアジサイ寺など
  あればと、思ったりもする。





  その一。新鮮というか、爽やか。色もまだ出ていない。




  その二。少し疲れている。雨の量は多目。




  その三。ガクが、まあるく咲くというか、半球状に近いもの。


  
  
  その四。少し引いて。




  その五。よく出る、コンクリートの壁のそばのアジサイ。




  その六。紫に近い色のものが、この右にあるが、かなり傷みが激しい。




  その七。紫のガクアジサイ。これも変色している。が、
  それでも花の配置の感じがよく、美しい。   

小雨の朝、梅雨空

2009-06-18 06:38:30 | 散策





  朝のお天気は、小雨。珍しくもないが、小雨で、記録に残るか、という量だろう。きのうの夕方から、涼しい風が吹いていたから、もう少し激しい変化があるかと思ったが、そうでもない。小雨、で、今は風もなく、穏やか。アメダスの、6時の気温、18.3℃、気圧は1016.3hPa、湿度は96%、ちなみに6時の降水は、0.5mm。室温は、21℃。快適。

  3、4日に1日、朝に小雨のぱらつくときがあって、それ以外特に雨は降らない。さらに、ものすごい雨というか、風もなく、また雷というものも鳴らない。TVを見ていると、きのうの雨と雷はすごかったですねといっていたが、そうゆうことはなく、穏やか。適温の日々だが、雨が降らないから、まっ植物はかなり弱っている。

  ときどき、ツバメが道路の上で休んでいる。ツバメも食べ物がないと、お腹も減るし、それにくたびれもする。ツバメのあの小さな体で、かなりの速度で飛んでいるから、飛んでは食べてをやらないと、お腹も減る。安全と思えるところだと、ツバメも道路の上で休憩する。そういえば、

  ツバメが木々の枝に止まると、いうものを見たことがない。大体人工のものに、止まったり巣を作ったりで、それでも故郷のの南の島に帰ったときも、そうゆうところにいるのだろうか。この辺りは、疑問で、よくはわからない。
  ツバメの巣で、雛の鳴き声がしているような、それが親鳥の声のようなで、実際のところはわからない。見えないのである。でも結構賑やかだから、やはりもう雛はいるのではないか。6月も後半だし。

  相変わらず、カッコウが鳴いている。ときどき、これが近付く。もう姿も確認したし、しかし、何羽いるかそれはわからない。この鳥も、電柱とかによく止まる。木の枝に止まるのは、間違いないだろうけれど。
  夜も、カッコウは鳴く。果てしない時間、カッコウは鳴いているようである。時を告げる鳥か。で、時計を見ると、夜中の3時だったりもする。

  雨で、白いアジサイが、いっそう白くなったようだが、外側の装飾花も変化がある。変色してゆく。きれいな赤い、斑点はまだ出て来ない。汚れのように見えるものはあるが。
  雨で、しかしこの雨ももしかしたら、もう降らないかも知れない。