光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

小さな旅の、小さな想像

2009-06-14 18:44:26 | 散策
  いえの周りに、なぜか小さな蟻の、行進を見つけて、その先はどこか、少し追ってみるが、どの辺りからか、その影が薄くなり、やがて蟻の姿は、消える。こうゆうことになると、ミステリアスな感じもあって、ばかげたことの意味合いも出るようだが、その先が元に戻るようであって、これが「うち」の中までやって来なかったことに、もちろん感謝した。蟻さんの繁殖力というと、これもなかなかすごいものがあって、目に見えない微生物と比較するのも、かわいそうな気もするが、
  その行動を見ると、なんとなく背筋が凍るというか。どうなっているのか、この社会、人との類似性も見つけたくなるもので、でも、今は、ある時間、あるいはある日にち、いたような蟻の姿もなくなって、その旅の不可思議さは、後はTVなどにおまかせする。そうゆう感じになって、やっぱり一安心する。蟻の生き様にいろいろあって、この蟻がうちを食べつくす蟻でなくて、ありがたい。

  なかなか、外の世界まで、足を伸ばすことがない。せいぜい病院にゆく、そうゆうときに、街の感覚というか、あるいは臭いとか、匂いかも知れず、それと放送局もその辺りにあって、しかし、そこは言ってみると、通り道でしかない。この辺りのことはまったく知らなかった。しかし、これは不幸の始まりと思えたことが、幸福にも繋がるというものでもあって、街の大きな駅にも歩いていける、そうゆうところにゆくことにも、病院にゆくことが等しく思える、あるいは等しいと自分で思うことが出来たのが、一つの転機になった。これはよかったというか、でも、そこに行くことが出来るということの、その先に何があるかというと、今は閉塞感がある。その先の旅というか、展開はというと、これがなかなか出来ないので、

  せいぜい、ときに駅の中をのぞくことも考えるが、なにせ工事中ということもあって、お邪魔虫は不要だから、それもやらなくなった。
  もう一つは、駅の本屋さんにいって、少しだけ都会の感触を味わう。これも妙な言い方だが、本屋さんは扱うものが今風で、その変化についていけないところ、というと、店を閉めてしまうところもあって、有名どころの本屋さんの名が一瞬にして消えたときがある。いろいろ街の中にもゴタゴタというか、やりにくいことが同時に起こってもいたのである。

  駅だと、若干であるが、これからどこかへ行かれる、サラリーマン風のかた、それ以外に、旅のお客さんも、駅の構内で、またおみやげ物のお店のあるところで、その感じのあるかたを見かけるときがある。大体、そうゆうところに、ここに住んでいる人はいかないだろう。後はというと、どこかから来て、駅でおみやげの和菓子とかを買う、そうゆうパターンもあるだろう。で、駅の本屋さんは、公共交通網を使う、そうゆうかたの一時的な、娯楽の時間となり空間となるようだが、そんなことは、どこでも同じような感じがある。

  その先の話しというのは、なかなか出ない。後は、ラジオを聴いて想像する。ラジオであちこちの、話題というものを知る。で、多少は昔のことも知っているから、その先の状態が如何様になっているか、あるいはその変化を知る。すると、どこもここも似たような現象が起きていることは、あっさりとわかってしまう。
  
  この例を都会にたとえるなら、団地、昔の公団住宅とか、その外の公営の住宅地の、変化に似ているといえないか。「空き」があるとか、新しく入る人がいないとか、立替の目処などまったくないとか。こうゆうものは、PR誌とかで知るしかないが、どこもここもそれなりに変化があり、またいい方向か悪い方向か、どっちかは別として、時代を読み切れない、果てしなく続く栄えるとき、滅びるときの連続があるようで、これをどう思うか。答えなんか、あるわけがない。


  田園風景の、正統的な歩き方。




  ヒメヒオウギズイセンに、ドクダミに、って、これは関係はない。




  イチョウの、木々。これも、あまり関係はないが、イチョウに、銀杏はならない。




  田園風景、見ないうちに、水田のイネも大きくなっている。




  20cmくらいの背丈はありそうで、イネとイネの隙間もそろそろなくなりそうである。




  用水路。水は豊富である。いつも、草のようなもの、あるいは枯れ草のようなものが、流れるところでもある。




  少し離れて、知っている植物、ピラカンサが出る。この名前は忘れない。小さな実が、いつに赤くなるか。



 
  ヒメジョオンの咲くところ。この植物も、もともとハルジオンよりも少ないが、その姿はほっそりとして、痩身という感じの花にも思える。

  田んぼの蛍は夢。

コスモスの原色

2009-06-14 16:28:29 | 植物・花(夏)
  梅雨空。
  雨なし、今のところ、雨は降ってない。
  雨はしかし降りそうで、雷も鳴るというか、落ちそうな
  暗い空の時間も。

  北風、それで、気温は寒いというほどではないが
  暖かいということもない。
  北風で、曇り空で、子供の声が聞こえる。
  笑い声で、泣き声はない。たまには、子供の泣き声もあっても
  いいな、など思うが、
  笑い声でやっぱりいい。


  車の多い、そうゆう道は避けるが、そこのそばの花壇に
  コスモスが咲いている。それからまた時間がたって、
  これは、キバナコスモスではないか?、というものも出てきた。
  後者のほうが色濃く、原色というか、極彩色な感じ。


  急いで、訂正:「キバナコスモス」と書いたものは、「マリーゴールド」の
  ようで、誤りでした。申しわけありません。16時44分。
  




  6月のコスモスは、もう早くはない。5月に咲いているものもあったし。
  でも、早くて、ちょうどその苗が出てきたというところが多い。




  コスモスの下にあるのが、キバナコスモスのようだ?。あー、わからなかった。


 

  これは、お店にある、花。感じが上の2枚と似ている。





  これって、キバナコスモス、だよねーという、曖昧さがあるが。




  やけに、こってりとした、色の強さが、目にはきびしすぎる感じもある。
  マリーゴールド、って、いったい何。




  同じところで咲く花。マーガレット?。




  中央の部分を見ていると、いろいろな曲線が想像されるが、これもときどき
  話題にあるような。
  わからないことだらけ、というのはこのことだった。

小雨の、日曜の朝、冷風付き

2009-06-14 06:52:17 | 散策





  朝のお天気は、小雨。弱い雨で、これだと気にしない人は傘を差さないくらい。それと、涼しいというのと、少し寒いか、というのが半々にあって、夏はどこにいった、という気持ち。天気の変動は激しく、あちこちに低気圧が。風は少々。ユラユラと揺れる、木々の小さな枝葉。アメダスの6時の気温、17.5℃、気圧は、1007.2hPa。湿度は、97%。雨になれない、水蒸気がある。室温は、21℃。快適だが。

  と、ここまで書いて、あれ、この先がないことに気が付く。まるで、冬のような、感じである。朝の目覚めはというと、夢の覚めた時間で、ちょうど起きる時間、これはタイミングはよかった。だから目覚ましは、鳴らずに、静かに起きることも出来た。それから、着替えて、外に出る。
  小雨だな、珍しい。梅雨というと、大体雨は降らない、全く正直でない、ひねくれものの、お天気だが、梅雨らしさは一人前だ。それで、傘はいらない程度だった。コロコロ、お天気は変わる。真っ白な、オシロイを付けた、そうゆうアジサイ、何度も出てくる、アジサイを見る。これしかない。これがあって、しかし時間が過ごせる。ありがたや。

  花が白いといつか、その色もおかしくなるものだが、この白い、ガク、装飾花を持つものは、やがて赤いインクのような染みが出て来て、最後には、さほど濃くはないが、赤い色をした、ものに変わってしまう。その変わり方のありようもなかなか「おつ」なもので、でも、ことしは、ちと事情があってこれはもしかしたら普通かも知れないが、その色にまだぽつんと赤い点が現われない。真っ白のまま。
  このままでもいいな。

  卑近な話題。パンを食べていて、その耳にカビが生えているのを見つける。あー賞味期限も切れてずいぶん時間がたっている。でも、まー大丈夫なので、そのまま室温状態で保存しておいた。いったいこの青カビを見るのも何年ぶりか。
  カビとか、バクテリアとか、こういった微生物は、空気中にもいるし、あちこちの地面にもいるし、まずいないところというのはない、と言っていいと思う。それは密集して、あるいは増殖すると、肉眼で見えるものとなり、あーカビだとわかる。よく口の中は、バイキンだらけと歯医者さんはいう。他の方も口の中は、もうバクテリアだらけですよ、などという。それにお腹の中も、腸内細菌とやらで一杯ですよ。なんだか自分の体の中は、微生物だらけで、のっとられそうだが、ま、あまり気にするとよくない。パンのカビも、生えているところは捨てて、それ以外は食べても大丈夫だが、時間がたちすぎているし、残りは処分。それ以外の日がたったものは、冷凍庫に入れた。

  なんだか、パッとしない朝の始まりで、もうすこし明るい話題があるといいが、それでもこの小雨もそのうちに上がって、今日も外を歩くには、ちょうどいいというお天気には、この辺りではなりそうな、予感がする。