光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

サボテンの赤、アジサイの青

2009-06-20 18:39:16 | 植物・花(夏)
  暑いと思うと、暑いのではなく、静かにしている、あるいは死んだように寝入っている、静かにラジオに耳を傾ける。そうするとさほど熱気というものを感じないで、きょうは真夏日だのに大丈夫なので、もしかしたら元気が戻ってきた、と勘違いする。そこそこに動くと、暑いというのがよくわかる。やっぱり今日は暑い。寝苦しい時間というのもありそうで、これも省エネの時代だから、しょうがないか。この暖かさを冬に取っておけないか、ない頭でそのことは思い浮かぶも、そんなことは出来ませんの一言で一蹴される気がするので、野暮なことも書けない。

  アジサイは大体、元気はないが、あちこちで咲いている。TVで、アジサイの祭りの開幕を知る。そこのアジサイは元気そうだが、ここは公園。だからか、そのアジサイはきれいで、地上波デジタルの問題というか、あまりにきれいに、あるいは細かく見えすぎてという問題はなかった。いいTVである。
  このTVもロットが違うというか、そうゆうときもあるのだろう。同じものが、20%くらいの範囲で、上げ下げの行なわれるときがあるから、一体値段とはなんぞやといいたくもなる。時価、そうですかという感じで都合のいいように解釈しないといけないだろう。損得勘定はなし。それにしても、いやな感じがする。定価のないものの値段。そのときの感じで決める。これは、損も得もあるからということで?、止めめにした方がいい。

  暑いというと、アジサイも咲くが、一つだけある、サボテンの花が咲いた。このサボテンも由緒がわからず、一つぽつんとあるサボテンらしいサボテンで、冬でも外にある。でも雪はときにはかぶるだろうが、今も元気で、赤い花を咲かせた。水などもやらない。それから、夏も近付くころに日当たりのいいところに置く。これをやった。いつか役に立つというそうゆう感じで、それを移動した。赤い花は変わらないが、カンカン照りで元気である。
  そういえば、サボテンだけを、庭というか、玄関前というか、それから花置き場というのだろうか、開いている空間に、サボテンだけを置いて、というところもなくはないな、というのもこのごろ気が付いた。なんだかずいぶんとスローモーな反応である。
  水の問題でもないだろうが、そこにゆくとかなり大きな花が先に目に入ってきて、その美しさにギョッとする。またその大きさも驚く。さらに、くたびれる花もあるようで、ここはすごいサボテン・ハウスというところを認識した、そのおうちは、そのサボテンがくたびれて咲いていた。花だけが目立った。サボテンの本体はどうだったか、さっぱり覚えていない。

  昔の、TVだと、無論アナログだが、また地上波だが、地上波というのもよくわからない言葉だ、西部劇をよくやっていた。このときに、人と変わらない大きさのサボテンを見て、暑そうで、水もなく、のどの乾く映画だという記憶があって、しかし、これはよその国のTVだというのはわかっていた。そうゆうTVを、雨漏りもするいえの中で見ているから、笑えるものがある。
  その後のサボテンというと、長く空白の時間があって、その再発というか、またサボテンが見直されるというのは、ダイエット代わりの、サボテンのステーキというところかも知れない。サボテンのステーキも商売に合わなかったのか、まだあるのかよくはわからないが、その味は如何様なのか。これは想像だけでいいような気がする。

  サボテンも適度の大きさのものの、鉢が並ぶと、それに理由がありそうな、極彩色の色の花が、かなりに限られた時間咲くと、いい感じもしてその後にダラッとしたものを見ると、サボテンらしさが倍増する。サボテン・ハウスはこの辺りにはないが、なかなか面白い。生き物の魅力がある。それに、サボテンはどうしてあんなに強い、という疑問もあるが、これはわからないままにするのが一番であろう。
  ここのサボテンも昔はもう少しあったかも知れない。鉢に砂というのが記憶ではもう少しあった。
  サボテンと、アジサイに関係性はないと思うけど、アジサイは冬も雪の中に埋もれても、生き返るというか、大丈夫で、でも永久に凍るとなると、これはわからない。この点、温度の極端なものに強いというのが、似ているなという感想はある。





  まったく赤い。で、ほぼ真上から光が当たる。肉厚の花弁を透過する光は今はない。




  そんなには咲きそうにもないが、次に花になるという、そうゆうものが出てきている。サボテンの花芽。サボテンの秘密がここにある。




  サボテンの花というと、一体何に役に立つのか、そうゆう疑問も出てくるけれど、この花の様子は、普通の花と変わらないような。

  無理やり、ここに青のアジサイ。




  何度かもう出ているもので、この花の出方の配置と、変色し始めるものもあるが、花の色がいいので、また登場。




  去年の花の跡というか、そうゆうものもまだ残るのも、不思議といえる。




  青い花の咲く、これはガクアジサイだが、アジサイの中では、今のところこれが一番で、普通種のものの青色が見つからない、あるいは隠れているのが残念なところ。 

日没の、静寂感

2009-06-20 16:17:52 | 散策
  夏日、真夏日、最高は

  天気予報通り、32℃。

  なんてことでしょう。
  アツアツと思いつつ、風もあるので、その辺りを
  影を探しつつ、歩いてくるが、このときも
  ものすごく暑いという感じはなくて、
  
  なんか、真夏日というのもピントこない。
  それで、いいと思う。
  そのまま、30℃もあると、もう夏バテしましたと書かないと
  いけない。

  それにしても、真夏日は暑い。きっと本の少しの場所の
  変化で、まだまだ暑いというところもあるのかも知れない。
  まだそんな暑さにも慣れていないが、
 
  暑いのは、PC。特に、CPUのクーラファンが、ものすごくうるさい。

  
  それで日没。太陽が地平の向こうに沈んでゆく。消えるように
  沈む。
  このときは、特に音はしない。大体、静かに太陽は沈む。




 
  このときの、太陽は雲のせいで、そうとう赤く、また印象的。
  で、その雲も地平に近付くほど、厚いらしい。




  あと何分くらいで、地平辺りに達するか。




  穏やかな、太陽がある。実際のところ、太陽の黒点も少ないという。




  横の煙突と比較すると、太陽もゆっくりと移動していることがわかる。
  地球が、回転しているとも言える。




  あー、残念だが、太陽も薄っすらしか見えないくらいの、雲がある。




  ぐっと広角にすると、回りはほどほどに明るく、また穏やかな空がある。

  地味だが、非常に印象的なとも思える、夏至間近の、日没の様子。


朝の月と、夏空

2009-06-20 06:59:20 | 散策





  朝のお天気は、晴れ。快晴に近いお天気。きのうの夜は、凪でぴたり風が止んだ。これが結構暑かった。その後は、遅くに晴れたのだろうけれど、それゆえ今頃でも、瓦には露が降りている。瓦はちょっと特殊な感じ。空は、青く、白い筋状の雲。風はそよ風。アメダスの6時の気温、23.1℃、これは高い。気圧は1010.4hPa、湿度は、69%。室温は、22℃。少しムシムシしている。

  今日も梅雨明け状態で、でもTVで天気情報を見ていると、来週はぐずつきそうで、雨が期待もされるが、雨続きだと、きっとたまには晴れてもいいだろう、そう思うときもあると思う。晴れれば雨降れ、雨が続くとたまには晴れよ、で、やっぱり交互に、晴れたり雨が降ったりがいい。

  夏至は、21日、ことしも半分終わった。それで、太陽の高度がもっとも高くなるのが、明日。それから後は、段々と昼間も短くなるというから、寂しい気もする。適度な暖かさの天気が続くと、そう昼間の時間が長いとは思わないものだが、これも今頃気が付く。昼の長さと、気温の高さは、一緒にならないところがミソだがまー明らかに、ことしは夏バテもし、夏風邪もひきそうな気もする。体もガタガタ状態である。
 
  朝方ちょうど月が見える時間、目が覚めた。大体太陽が出てくる辺り、その少し上に、細くなった、栄養失調の月がある。湿度の問題か、雲もあったのか、鈍い光り方の月で、この月も明るいと、少しふっくらと見え、朝のもう少し遅い時間の、白い月はというと、なぜかやけに細く感じる。
  もうあと少しで新月になる。なぜかこのとき、太陽と月と地球は一直線には並ばず、しかしもう一回月が地球の周りをまわると、こんどは、ある地域、地球のある地点では、この一直線になるという、不思議な現象が起こる。皆既日食である。これは見たい。なかなか見ることが出来ないものだから、それこそ、ジェット旅客機にでも乗って、まずは、その現象が見えるところにでも行きたい。でも、現実はというと、無理だ。

  それで、どうする、雨が降ることを期待はしない。そんな悲しいことはないように、祈る。この現象が見えるときは、きっと晴れると確信する。
  ここでは、皆既日食は見ることが出来ないが、部分食は見ることは出来る。これだけでも、大いに嬉しいが、でも太陽を直接見るのは大変危険で、大体肉眼だけでこの現象を追うのは不可能に近いだろう。なるべく、そのことについて、しっかりと説明のあるところの、肉眼での日食の観測方を知るべきである。望遠鏡を使って、さらに間接的に、これを観測する方法もある。これなどは、望遠鏡を持っている、そうゆうお兄さんや、お姉さんに、準備をしてもらって、それで、その時間を楽しみに待つのが気楽でいい。それも、面倒というとこれは、なにかの記録を見るしかないが、これでは日食の楽しみというか、なぜに食が起こるのか、と言うこともどうでもよくなってしまいそうで、歓迎されないだろう。
  
  あとやく一ヶ月か、待つのは長いが、お正月よりは早く来る。テルテルボウズを作っておくのもいいかも知れないが、その必要もないかも知れない。