学生時代にスペインを旅行したときのこと。バルセロナ近郊のリポールという小さな街の、小さなホテルに泊まりました。そこで通された簡素な部屋の壁には、不思議な窓がありました。その窓のことが、それ以来ずっと心の片隅に残っています。
不思議な窓とはいっても、姿かたちが変わっているわけではなく、ただの四角い窓が3つあるだけなのですが、なぜかその存在に惹かれたのでした。
何がどのように良いのかがわからないので、実測をしてみることにしました。そのときのスケッチがこれ。
天井高さは2メートル70センチ。そこに、高さ80センチの机が壁に造り付けられていました。窓の下端の高さは、そこからさらに40センチ強の高さにありました。床から測ると1メートル20センチ強の高さ。イスに座ると目線は窓よりも下になるため、外の風景は見えません。実測して、ちょっと高めの机に向かってメモをとりながら、ふと気づきました。もしかして、外の風景が見えないのがいいんじゃないか・・・?
窓からはいってくるのは、風景ではなく、光と音だけ。そして空の気配。上から降ってくるような光は机の上を優しく照らし出し、気持ちが集中するような気分になります。遠くから聞こえる鉄道の音や犬の鳴き声は、どこか旅愁を誘ってくれるようでした。
そういえばル・コルビュジエが両親のために設計した、レマン湖畔の小さな家にも、見えない窓があります。窓が高い位置についていて、湖を眺めるためには窓辺のステップをよいしょと上がらないといけません。僕は行ったことはないのですが、そこからの眺めは格別だとのこと。湖に面しているなら、湖が見えるように窓を開ければいいのに、とも思いますが、それがコルビュジエ流の「居心地のよい場所」のつくり方だったのかもしれません。もともとこの部屋は「納戸」と申請されていたようなので、法規上の制約があったのかもしれません。真相はわかりませんが、常に風景が見えているよりも、見ようと思って見る方が、印象が格別なのだろうと思います。
リポールのホテルの、座っていると風景が見えない窓辺。その窓辺で、机に向かってスケッチを描いている時間は格別でした。窓をデザインするということは、そんな時間をデザインすることでもあるのでしょう。