イコンの世界

2010-04-17 15:29:45 | アート・デザイン・建築

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最近、イコンに関する本を読んでいました。イコンとはキリスト教の聖像画のこと。はるか6世紀頃から、風雪にたえて、ひっそりと息づいてきたものです。

イコンについては、以前から興味がありました。その背景にある教義や歴史性はよくわからないまま、ただ、その画面のもつ内省的な雰囲気に引き込まれたのです。

イコンには画家の個性は求められませんでした。描かれるべき宗教的主題が言葉で定められ、それに従って描き、それから逸脱することは許されませんでした。修道院のなかで祈りながら、黙々と描く聖像画。気の遠くなるような丹念に繰り返される作業の果てにできあがる画面が、静謐な雰囲気をたたえるのは必然ともいえるのかもしれません。僕は、そんな物事のありように、何か満たされたような気持ちになります。

個性が求められないとはいえ、類い希なるイコン画家が現れ、画家達の新たな規範となったようです。ロシアのイコン画家 アンドレイ・ルブリョーフがその代表。その画面は、優雅さと品性をも持ち合わせ、洗練された姿であるようにも思います。首のかしげ方の具合、要素の簡略、円を基調とした構図など、他のイコンとの少しの違いが、印象の大きな違いを生み出しているように思います。

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それは、個性の芽生え、芸術の芽生えの瞬間だったかもしれません。それでも、画面に署名がされることはなかったようです。あくまで、神のしもべとして画家個人は生きていたのですね。現代と違って、芸術は自己表現のためにあったわけではありませんでした。

非個人的な芸術の魅惑。それは、イコンが描かれ納められていた修道院や教会にもあてはまります。西欧の都市部にもそれらはあるけれど、むしろ、人里離れた小さな素朴な教会などにこそ、イコンのための空間があるようにも思います。僕はまだ行ったことがなく、憧れるだけだけれども、バルカン半島に散在する小さな教会を、いつか訪れてみたいと思っています。大学の建築の授業にもほとんど登場することのない、歴史からとりこぼされてしまったような教会。でも、そこに身を置くと、簡素で慎ましやかで静謐であることが、しみじみと美しいと感じられるような場所なのだろうか。深い安堵感に包まれるような場所なのだろうか。小さな古ぼけた写真を見ながら、そんなことを想像しています。

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