東山の家.6 ~取材の一日~

2011-11-14 18:23:28 | 東山の家

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気持ちのよい秋晴れの日に、「東山の家」で、雑誌の撮影取材が行われました。暑さ真っ盛りの8月にお引渡しをした、茶室のある住宅。その暑さのなかでも、四畳半と八畳の茶室はそれぞれ、室内に入ると背筋がぴっとのびる緊張感のある雰囲気に仕上がりました。精魂こめてつくってくださった工務店と職方たちの力によって、そのような雰囲気が得られたのだと思います。引渡し前後に現場に行っては、まだ茶道具やお軸も掛けられていない、まだ何も無い茶室のなかで、よく時間を過ごしたのを思い出します。

この度の撮影取材で、ぼくは初めて道具や床飾りなどが備わった茶室の姿を見ることができました。お施主さんが揃えてくださった道具類の数々が、然るべき場所に置かれると、それを待っていたかのように室内が生き生きとし始めたように感じました。道具に柔らかく降る、障子を通した自然光。同時にそれは道具に陰影と趣を与えてくれます。室内造作と、光と、陰りと、人と、道具。それらが居合わせることでできあがる空間の雰囲気を楽しみながら、撮影中の、静かで穏やかな時間を過ごしました。

撮影取材にあわせ、いろいろとご準備とご協力をしていただいたお施主さんには、本当に感謝の気持ちでいっぱいになります。そして、建築家としては、設計した空間について編集者・ライターの方に文章にしていただき、写真家によって空間の姿を記録していただけるのは、冥利に尽きる思いでもあります。

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東山の家 5 ~京都の表具屋さん~

2011-08-01 12:22:27 | 東山の家

「東山の家」が、いよいよ竣工に近づいてきました。この住宅は茶室や水屋を備えており、その仕上げ方も特殊になります。通常の現場ではなかなか会うことのない方々に会うことができ、それもこの現場の楽しみでもありました。

木製の板戸や障子、襖なども、一口に和風といっても関東と関西では、またその寸法体系も異なります。障子の桟も、もうひとつ細く。それが京都の流儀でもあります。そんなようなことから、今回の現場では京都の建具屋さんに来ていただくことになりました。

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こんな感じどうですか、と見せていただいた障子の桟は5ミリに満たない細さです。杉材もなるべく綺麗な赤味を選んでいただいたようで、そんな風にしてできあがった障子には、得も言われぬ柔らかさがあります。

建具屋さんと一緒に来ていただいた京都の表具屋さん。普段から茶室や社寺関係の仕事が多いとのこと。この後また寺の仕事にはいる前になんとか予定を組んでいただいて、東京の現場に来ていただきました。
 時代は変われど、良き技と道具は変わらぬ、ということでしょうか。仕事の跡が染みついた道具類は、四畳半茶室の淡い光のなかで鈍く光り、独特の存在感を放つ、かのようです。この日は茶室の腰張りを貼っていただきました。腰張りというのは、着物が土壁にこすれるのを防ぐ、帯状の紙のことです。西の内紙、湊紙という2種類の紙を貼り分けるのですが、糊の調合にも工夫が必要で、後で張り替えができるような強さに調整しているそうです。下地の壁の粒子が浮き立つよう、ブラシを叩きつけるようにして張り仕上げていく方法は、見ていて実に独特です。
こうして腰張りと畳、そして襖がはいったとき、「現場」から「室内」に一気に変わったように思いました。

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あわせて襖の吊り込みもしていただきました。襖の引き手は、お施主さんのお好みで珍しい意匠のものも取り入れました。京都の表具屋さんをもってしても「なかなかつけることがないから、穴開けとか緊張しますわ。」と笑われながら開梱した襖の、なんという存在感!最後に調整し、一気に吊り込んでいきました。

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畳屋さんが一言ポツリ。「大工さんの仕事の精度がいいからうまくおさまったな・・・」。そんなことを聞きながら、そういえば、それぞれの職方の皆さんが、自分の後に続く仕事のことを気にしていたことを思い出しました。大工さんが下地をきちんとつくってくれないと、左官屋さんがいくら腕が良くても、結果として良い仕上がりにはなりません。少しずつのその気持ちと努力が重なって、家の佇まいや雰囲気に関わっていくのだろうと思います。

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タルコフスキー的

2011-02-04 20:33:24 | 東山の家

しばらくブログを休んでしまっていた間に、いくつかの住宅の現場が少しずつすすんできました。現場に赴いていろいろなチェックや打合せを終えた後のフリータイムは、楽しみの時間でもあります。建設途中のその瞬間にしかない雰囲気というか、空間性みたいなものを、仕事から離れて楽しんだりしています。

例えば、「東山の家」の鉄筋コンクリート造の現場。1階の型枠が組みあがり、コンクリートを打設する前のこと。床版を支える多くのパイプの列柱が林立するなかに、型枠を洗浄した水が、水滴となって型枠の隙間から降ってきます。

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コンクリートを勢いよく流し込んでいく前に訪れる一瞬の静寂。

事物を映し込む水溜り。

暗くよどんだ闇。そして光。

不安定なリズムを刻む、水滴の音。

そんななかに身を置いていると、これから創り出そうとしている空間とは別の類の、謎めいた雰囲気の空間を感じます。お、この感じは、もしやタルコフスキー的!?なんて、勝手な想像を巡らせるのも、大声では言えないけどちょっと楽しい時間です。

ソ連の映画監督アンドレイ・タルコフスキーの映画を観ていると、どの作品にも共通して「水」が印象的に登場します。廃屋の屋根の合間から落ちてくる雨水 が、床の上に、そして、暗示的に置かれた数々の空き瓶に降ってくる光景。独特の音を奏でながら、ずっとそんなシーンが長映しにされます。映画「ノスタルジ ア」の1シーン。

下の写真は、アンドレイ・タルコフスキーが映画のロケハンのために自ら撮ったポラロイドの写真集"Instant Light"からの1カット。この写真集のなかに満ちる独特の暗示に満ちた雰囲気に一番近いのは、完成した建物の空間よりも、建設中のときなのかもしれません。

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コンクリートの窓

2010-12-31 12:53:54 | 東山の家

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ゴリゴリ、ゴリゴリ。そんな鈍い音をたてながら、鉄筋が上下左右に組まれていきます。「東山の家」の現場の光景。

木造住宅の棟上げは、材木を一気に組み上げていくので、家が一気に形になっていく独特の高揚感と華やかさがあります。

一方で鉄筋コンクリート造の建物の現場は、1階分ずつの壁の型枠を建てこみ、鉄筋を組みながら、ゆっくり徐々に形が現れてきます。コンクリートを打設したら、上の階の作業へ。そんな風にして粛々と進んでいきます。冬の空に鉄筋を伸ばしながら、1階の窓の位置が徐々に姿を現してきました。この住宅は、茶室のある家。本来は木造である茶室とは異なり、コンクリートの厚い壁を通して自然光がはいってきます。コンクリートという頑強な構造体であっても、場所の雰囲気をつくる自然光は、やわらかく親和的なものにしたいと思います。そのために窓の配置やプロポーションを吟味してきました。重心の低い窓。障子を通した光。

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今月の芸術新潮で、「沖縄の美しいもの」という特集とともに、いくつかの美しい写真が掲載されていました。民芸的なものであるのだけれども、撮影時の程よい光のなかで、素朴な事物が内側からぼぉっと光るような美しさをもっているように感じられました。日常の生活道具が、そんな風に美しく浮かび上がる空間をつくりたいと、つくづく思います。フェルメールの絵画のなかの、自然光に照らされた事物のように、日常のなかにこそ美しさがある、というような。

同じ本のなかに、ある工芸作家のコラムがありました。四畳半の茶室を工房として、製作に励む姿の写真。にじり口の前に小机を置き、開け放ったにじり戸と連子窓からの自然光のなかで、象牙をカリカリと彫刻刀で削る姿は、とても趣がありました。本来の部屋の用途は茶室なのでしょうけれども、こじんまりとした美しい工房に見事に変貌しているように感じました。あるときは茶室。またあるときは工房。美しい光のある場所は、いろいろな使い方ができる懐の深さがあるのかもしれませんね。「東山の家」に、そんな懐の深さが宿ってくれることを思い描きつつ、今年の現場を終えました。

どうぞ、良いお年を。

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東山の家 2 ~又隠~

2010-08-07 19:33:19 | 東山の家

又隠のような茶室がほしい。「東山の家」の計画にあたり、施主のOさんからはじめに言われたのは、そのような内容でした。又隠というのは、京都・裏千家にある茶室のこと。千利休の孫・千宗旦がつくった4畳半の席です。

千利休は茶匠として有名ですが、利休が極めた茶の湯の在りようは、その後、江戸時代になって紆余曲折を経ていきました。戦国時代のなかで研ぎ澄まされた美学が、その後の平穏の時代のなかで意味や価値観を問われることになります。時代に即した、時代のニーズに合った茶の湯として改変、発展させていくこと。それもひとつの自然な流れです。茶室には様々な演出が凝らされるようになり、「個性」を押し出す風潮も強まっていきました。

一方で、千利休が築き上げた茶の湯の思想を、頑なに守っていこうとする動きもありました。やや時代の気分とは反するかのような、求道的な姿勢。茶の湯のメイン・ストリームから外れ、細々と「形式」を重んじる利休の孫・宗旦は、「乞食そうたん」とあだ名がついたそうです。そんな彼が晩年につくった茶室が、又隠でした。そこには演出らしい演出はすべて削ぎ落とされ、必要なものだけが凛として在る、という感じ。個人的な作為を徹底的に省き、利休以来の茶の湯の思想に心を委ねてつくりあげた茶室の空間は、結果的に、「原型」といわれるような力強い普遍性と、類い希な存在感を得たように思います。本当の意味での個性というのは、このようなところに表れるようにも、僕は思います。

僕の師である村田靖夫は、「世で変わったことをすることが建築家と思われているなかで、変わったことをしない建築家として知られている」と自らを自嘲気味に語り、すすんでプロフィールにはそのようなことを書いていました。住宅とは暮らしの背景に徹するべきもの、という信条のもとに、30余年にわたり、ひとつひとつ自分なりの作法を発見し、積み重ね、洗練させてきた造形は、晩年にはほとんど「形式」のようになり、どの住宅にも反映されていきました。一見普通で控えめなそれらの住宅にはいったときに感じる、言葉にしがたい、きりりとした緊張感と格調高さ。その感じは、千利休の茶室・待庵や、千宗旦の茶室・又隠のもつ求道的な雰囲気にも重ね合わされてきます。

変わったカタチをつくることなく、そんな空気感をつくり出すことの意義と難しさをじわじわとあらためて思い知ったのは、独立して自分の手で設計をはじめてからでした。そのような意味で、僕にとって茶室・又隠は特別な存在です。村田さんの住宅や又隠がもつような格調高さを静かに醸し出すものになることを願って「東山の家」を設計してきました。いよいよもうすぐ、着工の予定です。

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