又隠のような茶室がほしい。「東山の家」の計画にあたり、施主のOさんからはじめに言われたのは、そのような内容でした。又隠というのは、京都・裏千家にある茶室のこと。千利休の孫・千宗旦がつくった4畳半の席です。
千利休は茶匠として有名ですが、利休が極めた茶の湯の在りようは、その後、江戸時代になって紆余曲折を経ていきました。戦国時代のなかで研ぎ澄まされた美学が、その後の平穏の時代のなかで意味や価値観を問われることになります。時代に即した、時代のニーズに合った茶の湯として改変、発展させていくこと。それもひとつの自然な流れです。茶室には様々な演出が凝らされるようになり、「個性」を押し出す風潮も強まっていきました。
一方で、千利休が築き上げた茶の湯の思想を、頑なに守っていこうとする動きもありました。やや時代の気分とは反するかのような、求道的な姿勢。茶の湯のメイン・ストリームから外れ、細々と「形式」を重んじる利休の孫・宗旦は、「乞食そうたん」とあだ名がついたそうです。そんな彼が晩年につくった茶室が、又隠でした。そこには演出らしい演出はすべて削ぎ落とされ、必要なものだけが凛として在る、という感じ。個人的な作為を徹底的に省き、利休以来の茶の湯の思想に心を委ねてつくりあげた茶室の空間は、結果的に、「原型」といわれるような力強い普遍性と、類い希な存在感を得たように思います。本当の意味での個性というのは、このようなところに表れるようにも、僕は思います。
僕の師である村田靖夫は、「世で変わったことをすることが建築家と思われているなかで、変わったことをしない建築家として知られている」と自らを自嘲気味に語り、すすんでプロフィールにはそのようなことを書いていました。住宅とは暮らしの背景に徹するべきもの、という信条のもとに、30余年にわたり、ひとつひとつ自分なりの作法を発見し、積み重ね、洗練させてきた造形は、晩年にはほとんど「形式」のようになり、どの住宅にも反映されていきました。一見普通で控えめなそれらの住宅にはいったときに感じる、言葉にしがたい、きりりとした緊張感と格調高さ。その感じは、千利休の茶室・待庵や、千宗旦の茶室・又隠のもつ求道的な雰囲気にも重ね合わされてきます。
変わったカタチをつくることなく、そんな空気感をつくり出すことの意義と難しさをじわじわとあらためて思い知ったのは、独立して自分の手で設計をはじめてからでした。そのような意味で、僕にとって茶室・又隠は特別な存在です。村田さんの住宅や又隠がもつような格調高さを静かに醸し出すものになることを願って「東山の家」を設計してきました。いよいよもうすぐ、着工の予定です。
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