ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

大宰相の虚像(温故知新)-その1

2014-07-13 19:12:04 | 徒然の記
 大森実著、戦後秘史「大宰相の虚像」(昭和56年刊 講談社文庫)を読み終えた。飼い猫の死など色々なことが重なり、文庫本なのにひと月以上かかった。

警察予備隊が作られたのが昭和25年だという。当時これに入隊した私の小学校の先生は、池田という名前だった。正門前の築山のあたりで同僚の教師に囲まれ、真剣な表情で話し込んでいた姿が今も心に残っている。計算してみると、小学校一年生の頃の話になる。

昭和28年の「バカヤロウ解散」や、29年の「乱闘国会」も記憶の隅にあるが、どうしてそんなことを覚えているのか不思議でならない。新聞しか無かった時代だし、小学生くらいで政治に関心がある訳もない。周りの大人たちの話を耳にして、それが残っているのだろうか。

 「米国は日本をデモクラシーの国にするため大改革を行いましたが、1952年以後は日本が独り立ちできるようになったので、独立させました。最近は日本に対し、米国は、ソ連や中国の侵略を防ぐため再軍備させました。いまのところ兵隊の数は少なくても、日本にはいつでも兵隊になれる人間が沢山います。」

昭和29年米国特派員になった彼が、全米の小中学校で教材に使われていたという、「ちびっ子雑誌」の記事に驚き引用しているが、私もびっくりした。
「米国は日本を独立させましたが、日本は米国から離れては生きていけません。日本は自由諸国から食料や原料を買いたがっていますが、おカネを持っていません。米国はこれまで日本に数十億ドルのお金を与えてきましたが、人口は年々増え、1970年代には一億になります。一つの解決策は、米国から離れて、アジアに方向変えをする道があります。中国は日本から工業品を買いたがり、その代わり日本は食料を貰えます。そこで日本は、中国のいいなりになりはしないでしょうか。これは中国が日本を支配する早道です。」


当時の米国の教科書の記述であるが、初めて読む日本人はどんな気持ちになるのか。事実なのだろうが、私は不快感を覚え、苦々しくさえなってきた。韓国・北朝鮮に対し、日本の統治を語る時の傲慢さに似ているのでないかと、一瞬そう感じた。優れた面が多々あった統治だとしても、わざわざ言われると好い気はしないという、自己反省だ。

 いまでこそ大森氏も当時の事実を率直に書いているが、特派員時代は「ちびっ子雑誌」のことなど記事にしなかったはずだ。「日本は再軍備しない。」「警察予備隊は軍隊ではない。」と、政府が懸命に国民を騙していた時代だったからアメリカでの常識を伝えず、氏も「報道をしない自由」を選んでいたに違いない。
こんなにも昔からアメリカは中国による日本の支配を警戒していたのだと、初めて知ったが、本の中身は驚くことばかりだった。

「日本の再軍備」と「憲法改正」が、常に米国から促され、日本の歴代政権は「米国が与えた憲法」だと言い訳をし、常にこの問題を曖昧にしてきたということ。大森氏自身もこの事実を記事にしていないのだから、情報操作のマスコミの一員だったのは間違いなしだ。アメリカが最も心配していたのは、ソ連や中国による侵略でなく、国内の共産主義者による政権奪取だったと知らされ、愕然とした。
現在の左右の対立、左翼と保守の抜きがたい不信と嫌悪がこの頃から始まっていたのだ。まさに「温故知新」、現在に投影する過去の影が見えてくるでないか。

 それだけではない。私たちは現在、朝日を反日・売国の新聞と罵っているが、当時の政府要人たちは朝日新聞を「われわれの新聞」と呼び、特別扱いをしていたのだという。持ちつ持たれつの深い絆を結んでいたのだから、私などが不買にしたって、朝日は痛くも痒くもない歴史の事実を有している。根は深く、大きく、太いということだ。安倍総理が「日本を取戻す」と言っているが、過去の歴代総理と強いパイプのあった朝日が簡単に妥協するとは思えなくなった。

傲慢とも言える安倍氏叩きの土台には、自民党政治家との今に続くもたれ合いが生きているのだろう。(われわれの目には、見えないが)


 こんなことを私は問題視しているが、大森氏の狙いは別のところにある。長くなりそうなので、今日はこれまでとしよう。時間は幾らでもあるが、年のせいか、

根気が続かない。たかだか七十代で、こんな有様では情けなくなるというものだが・・・・・。

コメント (8)
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