ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

本多勝一 「中国の旅」

2014-07-20 16:07:52 | 徒然の記

 本多勝一著「中国の旅」(昭和56年刊 朝日新聞社発行)に、目を通した。

 図書館の廃棄図書の中に混じっていた。何時もなら、「読み終えた。」と書くが、この本は「目を通した。」としか書きようが無い。真偽のほどは知らないが、著者は別名崔泰英という在日朝鮮人という話もある。

昭和7年に長野県で生まれ、千葉大から京大(中退)へ行き、朝日新聞へ入社したと略歴に書いてある。今年82才で存命中と聞く。

 本人の説明によれば、昭和46年の6月から7月にかけての約40日間の取材旅行をもとに書いたのだということ。立ち寄った先ごとに聞き込みの記録が綴られ、後年話題となる「ねつ造の南京」は、この中の一編である。

 彼のスケジュールによると、南京滞在はたったの一泊二日、ヒヤリングも四人の現地人だけで、検証もされていない。彼の書に記録されている四人の概略を抜き出してみると、次のごとし。

   1. 姜根福 43才 (事件当時 11才)  南京港務局内海船員 

   2. 陳徳貴 53才 (事件当時 21才)  南京運輸公司勤務

   3. 梅福康 50才 (事件当時 18才)  南京人民公社梅山大隊所属

   4. 蔡周氏 60才 (事件当時 28才)  南京人民公社大隊の女性社員

 彼はこの取材旅行を中国政府の全面的支援のもとに行い、インタビューした相手は、すべて中国側が手配した人物だと、本の中で述べている。旅の途中、人民大会堂で彼は郭沫若にもインタビューしている。

 「中ソ論争の後に、一切の援助を切られた中国が、文化大革命の中ですべてを自力で建設していく過程は、実に興味深いが、その紹介は別の機会にゆずる。」
誇らしそうに書いているが、当時も今も、彼は中国共産主義の賛美者、というか信者なのだ。

「しあわせです。毛主席は私たちに第二の人生を開いてくれた。今の私たちがあるのも、全く毛主席と党のおかげです。この恩恵は、あの悲惨な旧社会に生きて来た私たちにとって、どんなに強調しても足りないくらいです。毛主席の恩は、天と地よりも大きく、党の恵みは川や海よりも深い。」

 インタビューの中で彼は、証言者たちに語らせているが、現在の北朝鮮の国民も同じ調子で、金将軍への賛辞を並べ立てているではないか。公安が目を光らせている監視社会で、外国人に国民が何を語るか。まして敵国の日本人に何を語らされているのか。

 本多記者はこんなことにも気づかないのかと、低レベルの偏向記者に幻滅を覚える。
「毛主席の教えに従って、私たちは現在も日本の人民と反動政府を見分けています。」人民公社の人間に言われ、得意になり、共に闘おうと日本の過去を暴き立てた彼と、朝日新聞の罪はなんと深いことだろう。

 虐殺された中国人のものとして掲載されている写真も、無関係なものだったり、誤用だったりしている。酷い写真になると、虐殺されているのは通州事件当時の日本人だったりしているのだから、瞬時に血圧が上るような怒りとなる。

 突き刺した、殴り殺した、引き裂いた、強姦した、なぶりものにしたと、最初から最後までこの調子だ。白髪三千丈の国で、しかも反日の国で、口から出任せを聞かされているのも構わず、無責任に、無謀に、無慈悲に、よくも自国のことを足蹴にできるものだと、その神経が疑われる。

 誕生の地は長野県かもしれないが、やはり彼は噂のとおり日本人であるはずが無いと思いたくなった。しかし、今の日本では反日の日本人があちこちで祖国を憎んでいるから、断定する自信は無い。

 だが本多さんよと、私は問うてみたい。あんたが辿ったインタビューの道は、戦争の最中の道で、平和な時代の話ではないんだよ。殺したり殺されたり、互いに命がけの戦いをしているわけで、日本人の側から見れば逆の話にもなるだろうにと、教えてやりたくなる。

 慰安婦をねつ造した朝日の植村記者も同じだが、日本の歴史や文化、そして日本人すべてを貶めるねつ造をよくもやってくれたなと言わずにおれない。当時この記事が衝撃をもって読まれ、たちまちベストセラーになったというのは、「朝日新聞」という看板がさせたことだ。忘れもしない、その頃は私だって朝日新聞の読者の一人だった。

 良心的で、弱者の味方で、未来を語る新聞だと・・・・・、信じられない話だが、私自身もそう思っていた。
何度でも言おう。本多記者の「南京ねつ造」、植村記者の「売春婦ねつ造」、これらが国内の反日政治屋、マスコミを通じて世界に喧伝され、わが国を貶めている。中国、韓国・朝鮮の、日本攻撃の武器となり、世界でなにも知らない人びとに信じられている。

 獅子身中の虫、駆除すべき害虫どもと、ここまでウソ八百を並べられたら、私だって乱暴な言葉で罵りたくなる。

 いつもなら、読後の本は有価物の回収日に出し、資源が無駄とならないよう心がけるが、この本に限っては、生ゴミと一緒にゴミステーションに打ち捨て、清掃工場で灰にしてしまう。たとえそうしても、私の怒りは治まらない。

コメント (21)
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