ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

千葉日報の記事に違和感 ? -2 ( 小野田寛郎氏の氏の挨拶 )

2023-11-04 23:55:23 | 徒然の記

 紹介しようとしているのは、小野田寛郎 ( ひろお ) 氏の言葉です。千葉日報社が、戦艦武蔵の乗務員だった102才の中島茂氏を、「戦争の実相を知る大先輩」として持ち上げ、戦争否定の氏の言葉を記事にしていました。

 満州から貨車に乗り、一才の私を背負って引き揚げてきた母も、中島氏と同じ102才で「戦争の実相を知る大先輩」の一人ですが、母の言葉を千葉日報は取り上げないはずです。

 肩書きのない普通の老人で、戦争を格別否定する話をしないのでニュースバリューがありませんから、無視されて当然でしょう。しかしたまたま記憶していた小野田寛郎氏の話であれば、この人も大正11年生まれで存命なら中島氏と同じ102才です。陸軍中野学校を卒業した元陸軍少尉という肩書きがあり、「戦争の実相を知る大先輩」の一人と言えます。「ねこ庭」で中島氏の言葉と並べて紹介しても、遜色がありません。

 千葉日報社だけでなく、マスコミ全体に対し、軍人にも色々な意見があるという実例を示せます。小野田氏は平成26年1月に91才で亡くなっていますが、紹介する氏の挨拶は、平成17年8月15日に靖国神社を参拝した時のものです。

 氏は大東亜戦争が終わってもフィリピンのルバング島に潜伏し、ゲリラ活動を続けていましたが、29年ぶりに日本へ帰還しました。当初は残留元日本兵としてマスコミが大騒ぎし、時の人になりましたが、戦争も軍も否定しないため、軍国主義の亡霊として酷評されました。

 帰国の一年後、氏はすっかり変わった国に失望し、ブラジルにいる兄を頼って日本を去りました。氏が靖国神社で挨拶をしたのは、平成17年8月15日に小泉総理が靖国参拝した時の式典に招かれたからです。

 経団連が反対しても、中国共産党政府に攻撃されても意に介さず、小泉氏が閣僚を引き連れ「日本国総理大臣」の肩書きで毎年参拝していたことを思い出します。氏以後の総理大臣は中国と経団連と反日左翼勢力の反対に屈し、参拝を断念しています。すっかり忘れていましたが、この点だけは小泉首相を見直すべきなのかもしれません。

 小野田氏の挨拶は、令和2年1月6日の「Tableau in mind」からの紹介です。

  ・ご紹介を頂きました、小野田でございます。私は今までこの席を借り、あるいは他の会場で、「黙って靖國神社にお参りして頂きたい」と、それをお願いしてまいりました。
 
  ・今、平沼さん(元経済産業大臣)が言われたように、靖國神社に15日にお参りすると言ったのは、他でもない小泉首相であります。「命を賭けて」と言われて、いわゆる(衆議院)解散を致しました。
 
  ・何故、「命を賭けて」しか今日お参りできないのか !  一国の首相たる者が、この靖國神社へお参りをして「心ならずも」と英霊に対して言葉をかけております。果たして私たちは「心ならずも」あの戦争で命を散らせたのでありましょうか。
 
 氏の挨拶を転記しながら、あらためて精読しますと語気の激しさに驚きました。首相に招待されながら本人の前で語ったのかと、信じられない思いもありますが、戦後の29年間もルバング島に身を潜め、ゲリラ戦を戦っていた氏には、祖国日本の首相の不甲斐なさを前に、言わずにおれない憤りがあったのだろうと思い直しました。
 
  ・私は国の手違いで、十五年間靖国におまつりをして頂きました。もし私がその時本当に死んでいたとすれば、国のために我々が戦わなければ誰が戦えるのかと、伝える者がいませんでした。自分たちの誇りを持って、力一杯笑って死んでいったのです。私だけでなしに、私の仲間も皆そうであります。
 
  ・それがなんで同情の対象なんでしょう。誇りを持って死んだ人に対して、何故黙って「ありがとうございました」と、感謝の念を捧げられないのか。私は小泉首相に大反対であります。
 
  ・靖國神社について、あるいはまた戦後のいわゆる国際裁判のことなど、色々先ほどから諸先生方にお話を伺いました。また、ここにお集まりの皆様方は、充分そのことをご存知のことと思います。
 
  ・事後法など裁判ではありません。A級戦犯とは、敵国側が占領中につけた名前であって、決して我々の認めるものではありません。
 
  ・私はただ一言だけ、時間の関係で皆様に何としても申し上げたいことがあります。それは、先ほど拝聴致しました陛下の『終戦の詔書』です。

 集会の冒頭に、昭和20年8月15日の昭和天皇の『玉音放送』が流されましたので、氏はそのことを言っています。
 
  ・しかしながら、現在の日本において何故『開戦の詔書』を拝聴する機会が無いのかということであります。結果があるということは、原因があるからであります。ものに終わりがあるのは、始めがあるからであります。
 
  ・『開戦の詔書』は、私は入隊するまでの間、しばらく何ヶ月か、いわゆるお聞きしました。今でもよく憶えております。
 
 「帝国の真意を解せず、濫(みだり)に事を構えて東亜の平和を撹乱(かくらん)し、遂(つい)に帝国をして干戈(かんか)を執るに至らしめ」
 
  ・いわゆる中国のことを言っているのであります。
 
  「帝国は今や自存自衛の為、決然起(た)って一切ノ障礎(しょうがい)を破碎(はさい)するの外(ほか)なきなり」
 
  ・陛下の言われている所に、大東亜戦争の真の目的がハッキリと示されているのであります。何が侵略戦争でありましょう!

  ・それを、ハッキリ日本国民が自覚すれば、この靖國神社に黙ってお参りをし、黙って感謝の気持ちを捧げられるはずであります。その感謝の気持ちこそが、国を守るという大きな気持ちに繋がっていく、私はそをれを死ぬまで皆様方に申し上げたいと思います。
 
  ・どうか皆様、私が申し上げた『開戦の詔書』には、一部言葉の違いがあるかもしれませんが、意味においては私は絶対に間違ってないと思います。
 
  ・私は国の為を信じて、三十年間戦い続けてきました。しかし、生きていたから靖國神社では落第生であります。
 
  ・だけど、私と同じ時に死んだ、仲間の気持ちは私と同じでありまして、私が今生きているからこそ、皆様にそう伝えたいわけです。ご清聴ありがとうございました。
 
 日頃私が思っていたことを、小野田氏が語っていました。中島氏の意見が多数でなく、違う軍人の言葉があるという事実を、息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々に紹介いたしました。これが本当の「両論併記」で、「自由な言論」ではないかと思います。
 
 私の「違和感」を理解してくださる方が一人でもあれば、有難いことですが・・
コメント (2)
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