ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

「学びの庭」での生きた勉強 - 13 ( 歴史の役目 )

2023-03-30 17:13:37 | 徒然の記

 今回紹介する鈴木俊一氏は、財務大臣鈴木俊一氏と同姓同名の別人です。財務大臣の鈴木氏は、元総理大臣鈴木善幸氏の子息で、麻生太郎氏の義弟です。氏は昭和28年生まれで69歳ですが、今回紹介する鈴木氏は明治43年生まれ、99才で亡くなっています。ウィキペディアに記載された、故・鈴木氏の略歴を紹介します。

 「明治43年東京生まれ、府立第二中学校、三高、東京帝国大学法学部卒業 」

 「昭和8年内務省へ入省、昭和22年内務省分割後、地方自治庁へ配属」

 「地方自治庁次長を4年間、自治庁次官を4年間務め、戦後最長の事務次官だった」

 「地方自治法、地方財政法、自治大学設置法、地方公営企業法、公職選挙法、東京都の制度成立等に尽力」

 経歴を見ますと、追放されなかった内務省官僚の中心いた氏が、優秀な人物だったことが分かります。内務省の先輩たちに対し、「 私があとに残って、必ず内務省を元通り復活させてみせます 」と誓ったとされる話も、嘘ではなさそうに思えます。

 「昭和33年6月、第二次岸内閣で内閣官房副長官に就任し岸首相を支え、6月17日より憲法調査会幹事を兼務

 「昭和34年6月、東(あずま)龍太郎東京都知事の下、副知事に就任し、昭和42年まで務めた」

 「医学部出身で行政に詳しくなかった東知事を支え、昭和39年の東京オリンピック開催のための開発計画をまとめた」

 「高度経済成長期の都政の実務は、事実上副知事の鈴木が取り仕切り、〈 東副知事・鈴木知事 〉などと揶揄されることもあった」

 東氏の名前は知っていますが、鈴木氏については存在も知りませんでした。「日本だけが間違った戦争をした。」「日本とドイツだけが他国を侵略した軍国主義国だった。」と、戦前の全てが否定される風潮の中で、氏は何を考えて生きていたのでしょう。

 解体された軍とともに、戦時下の日本を支えていたのが内務省ですから、個人の権利と自由が高く叫ばれ、言論の自由が広く認められるようになった社会をどのような目で眺めていたのかと、知りたくなります。

 「昭和42年、東は都知事選への3選不出馬を表明。鈴木は自由民主党からの立候補がほぼ決まりかけていたが、革新陣営が知名度の高い美濃部亮吉を擁立したため、実現しなかった。」

 卒業間近だった私は、マルクス主義経済学者だった美濃部氏の当選を報じるマスコミと、学生たちの興奮ぶりを覚えています。朝日新聞の購読者だった私は、人権を尊重し平和を守る氏が、都民のための新しい都政をすると期待しました。

 あの興奮から56年経った今、そんな私を別人のように回顧している自分がいます。歴史を正しく教えなかった戦後教育で育てられた私ですから、弁護する気持はありません。その反省に立っているため、息子たちへ「ねこ庭」のブログを残しているのかも知れません。

 反日左翼を嫌悪しているからといって、私は鈴木氏のように「内務省の復活」を望んでいません。国体護持のため社会主義思想を弾圧し、信じる者を逮捕投獄して、死に至る拷問を実行するような組織は、もう日本には要りません。青山氏が言うように、それをしたら、共産党政府が支配する隣国の中国や北朝鮮と同じになります。

 郵政省が電気通信・電波放送行政を担う省庁として、〈現業官庁〉から〈政策官庁〉へと脱皮し注目されるようになったのは昭和59年です。しかし同省は昭和32年に田中角栄氏が郵政大臣になった時から、マスコミ界への支配権を強めていました。左翼系の郵政官僚が旧内務省官僚の鈴木氏を推さず、美濃部氏にテコ入れをしたのでないかそんな推測をする私に無理があるでしょうか。

 今回の「小西文書」が、大分県知事選に立候補しようとしていた旧内務省系の礒崎氏潰しだと言うのであれば、話の流れが一致します。根拠のない「ねこ庭」の独り言と一笑に付されても構いませんが、官僚の世界での「歴史的な対立」と言われるのであれば、あり得る話ではないでしょうか。礒崎氏を始め政府内にいる旧内務省系の人々が、どのような考えをしているのか知りませんが、「内務省の復活」に私は賛成しません。

 理由は簡単です。内務省は既に歴史の役目を終えています。

 明治43年に内務省が作られたきっかけは、幸徳秋水による「明治天皇暗殺計画」でした。「幸徳事件」「大逆事件」として知られていますが、多くの共産主義者、社会主義者、無政府主義者が逮捕・処刑されました。

 青山繁晴氏の意見が、自分とどこまで同じなのかよく分かりませんが、私の常識論では次のようになります。

  1.  右でも左でも、過激な思想は社会に害をなす。 

  2.  「忠君愛国・国体護持」と「プロレタリアの独裁政権・暴力革命」は、対立する過激思想である。

  3.  「頑迷保守」と「反日左翼」と言う言葉に置き換えられる。

  4.  「日本軍・内務省」と「日本国憲法(平和憲法)を信仰する左派勢力」と言う言葉にも置き換えられる。

 いずれも歴史の中で生まれた思想で、生まれるだけの必然性があり、当時の人々が受け入れた思想 (風潮 ) でしたが、時が経過すると「過激」なものに変化し、国民を苦しめました。国民は一時期過激な言動に共鳴しても、時が経つと中庸を求めます。ヘーゲルの弁証法に似て、庶民の思考 ( 世間の風潮 ) は、

   正論  →  過激論  →  混乱  →  中庸論  →  正論 の過程を永遠に繰り返していくのではないかと考えます。

 日本的な思考で言い換えますと、「平家物語」で言う「諸行無常」です。「奢れるものは久しからず、ただ春の世の夢の如し」ではないでしょうか。人間が生きている限り、この繰り返しが続きます。だから私は、過激な「内務省」も過激な亡国の「日本国憲法」も歴史の役目を終え、中庸の「憲法」と「軍隊」が作られる時代が来ていると考えています。

 時が経てば、中庸の「憲法」と「軍隊」が過激なものに変わり、繰り返しの時が来るのだろうと予測しています。世界が繰り返しの歴史の中で動いていますから、日本だけがそうなるのでありません。【 ぼくらの国会 】で国民に語りかけている青山氏と、私の考えが一致しているとは思いませんが、親近感を覚えています。

 シリーズの8回目に、「小西文書」は日本再生の出発点となり、「禍い転じて福となす」キッカケだと言いました。なぜそうなるのかを息子たちに説明するため、下記3項目について関連情報を紹介してきました。

  ・大分参議院補欠選挙には、どういう意味があるのか。

  ・礒崎陽輔氏とはどういう人物なのか。

  ・総務省内の元郵政官僚、元自治省官僚の対立とは、どういうものなのか。

 書き残していることはまだありますが、渡部氏の『保守の真髄』の書評を中断したままですから、この辺りで一区切りをつけようと思います。

コメント
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