今回は、「書き下し文」と「大意」の全文を紹介します。
〈「書き下し文」(頼山陽) 〉
唐は百済を取らむと欲し
吾は百済を復せむと欲す
怕婦(はふ)の男子是れ皇帝
佳賊(かぞく)将となりて呑噬(どんぜい)を逞しうす
汝が兵食を資(たす)け汝が行を護る
奈(なん)すれぞ汝自ら万里の城を壊(やぶ)りしや
唐と吾と、孰(いず)れか得失
忠義の孫子海を踏みて来たり
長く王臣となりて王室を護る
〈 「大 意」(徳岡氏) 〉
唐は百済を取ろうとする
日本は百済を復活させようとする
恐妻家の男が唐の皇帝だ
男ぶりのいい賊が将軍となって勝手気ままに侵攻する
吾が国の人質であったそなた、百済の王子豊に、武器糧食の援助をして、帰国の行路を守ってやったのに
なぜそなたは、万里の城にも匹敵すべき人材福信を殺したりしたのか
唐と日本と どちらが得をし、どちらが損をしたか
忠義の臣の子孫たちは海を渡って来て
長く皇室に仕えて皇室を守ったのだ
「書き下し文」と「大意」を読んでも何となく意味がわかるだけで、特別の感慨を生じません。しかしここに氏の解説が加わりますと、二行の言葉が輝きます。
「蝦夷征伐で有名な大将軍阿部比羅夫(あべのひらふ)らも軍勢を連れ、兵糧を持って、百済の救援に赴いた。比羅夫が豊璋を百済に送り届けた時の軍船の数は百七十叟、兵士は五千人という。」「この情勢を頼山陽は、
唐は百済を取らむと欲し 吾は百済を復せむと欲す、と二行で書いたのである。」「日清戦争の時も清国は、「朝鮮は昔から中国の属国である」と主張したのに対し、日本は朝鮮を独立国としておき、清国の影響を排除しようとした。これが戦争の表向きの理由であった。」
「そして日本の援助を得ようとしていた親日派もいたし、清国に仕えようとする事大派もいたことは、七世紀でも同じである。」
事大派(主義)というのは、力の強いものに従い身の保身を図る生き方を言いますが、大国中国と地続きの半島国だった朝鮮は、こうして国を守って来た歴史があります。善悪の話でなく、そうしなくては生き残れなかった朝鮮の宿命です。今でも韓国は大国である中国とアメリカの間に挟まり、両国の顔色を窺いながらその場しのぎの対応をしています。
大東亜戦争に敗北し軍隊のなくなった日本に対しては、どのような対応をしているのか。「慰安婦問題」や「徴用工問題」を見るまでもなく、韓国政府は「日本が韓国を植民地化し、武力で韓国の富を収奪した」と、表向きは敵意を燃やし続けています。
フリードリッヒ・ヘア氏が、「同じ場所に、同じことが繰り返して起こる。」と驚いていたと言いますが、天智天皇の時代も令和の現在も、韓国と日本は同じ繰り返しをしていることが分かります。氏の解説があるお陰で、私もこんなブログが息子たちに書けます。
「では百済を攻略しようという、唐の側の状況はどうであったか。」
次は唐に関する説明ですが、スペースがなくなりましたので次回に紹介します。