大きな間違いをしておりましたので、訂正いたします。なだ氏の書評について、下記のように述べましたが、その前に読んだ鷲野氏の著作の年代と、混同しておりました。
「氏は私より15才年上の、昭和4年生まれですが、この本は平成9年の出版で、既にソ連が平成3年に崩壊しています。」
「凡庸な私でさえ、ベルリンの壁が崩壊した時、あるいは、毛沢東の文化大革命の中国を見た時、社会主義思想の限界に気づきました。この思想は、人類のユートピアでなく、国民弾圧の全体主義の国しか作れないのだと、理解しました。本を出版した時、氏は62才ですから、分別の盛りですが、社会主義思想を土台に、日本の教育問題を語る自分の無分別に、思いをいたさなかったのでしょうか。」
氏の本の出版年は昭和52年で、平成9年は、鷲野氏の著作の出版年でした。そうなりますと、なだ氏が本を出したのは48才ですから、62才も間違いということになります。ベルリンの壁は崩壊しておらず、あったのは中国の文化大革命です。これは昭和41年の事件ですが、当時の朝日新聞は、文化大革命を称賛していました。
新中国建設のため、毛沢東が国内改革を大胆に推し進めている、という調子で、毎日のようにトップ記事で報道していましたから、なだ氏が、共産主義思想に疑問を抱く状況がありませんでした。
41年といえば、私はまだ大学にいて、学園紛争の最中でした。親しくしていたドイツ語の先生に、学生街の喫茶店でコーヒーをご馳走になり、その時言われた言葉を、まだ覚えています。背の高い先生はその頃、60才後半くらいだったと思いますが、頭髪がほとんど白くなり、少し猫背で、いかにも老教授という風貌でした。
「毛沢東という人は、政治家というより、学者だねえ。」
素晴らしい人物だという、意味でした。
「良い世の中にしたいと思うのなら、君も、社会党に投票しなさい。」
穏やかな口調で、笑いながら言われました。どんなキッカケからだったかは忘れましたが、先生は私を可愛がってくれました。私の貧しさに同情したのか、時折、学生街のレストランで、カレーを食べさせてもらったこともありました。
当時の私が、社会党に親近感を抱いていたのは、先生の影響もありました。しかし、資本論を読んだ時の違和感があり、革命思想には馴染めませんでした。惑いつつ、ためらいつつ、学生時代の私は、右と左の思想の間を彷徨っていたと、そういう表現が一番ぴったりしています。
なだ氏の著作は、昭和52年の出版ですから、反日・左翼真っ盛りの頃で、ばかな意見を本にしても、無理はないのかと、思い返しました。
取り急ぎ訂正いたします。