ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

日本の教師に伝えたいこと - 4 ( 大村氏の間違い )

2020-11-06 18:54:43 | 徒然の記

 政治的プロパガンダを、あたかも学問的な意見でもあるように強調し、騒ぎや紛争を起こすのが、グローバリストと呼ばれる人々です。

 彼らは、ある時は社会主義者、マルキストと呼ばれ、国境なき自由主義経済を信じ、時には、リベラリストとも呼ばれることがあります。その中心にいるのが、ディープ・ステイトだと考える人もいます。

 他国のことは知りませんが、敗戦後の日本が、ディープ・ステイトと呼ばれる人々に支配され、改造された事実は、間違い無いだろうと私は考えています。先日まで述べてきました通り、占領下の日本は、ディープ・ステイトが支配する米国から来た、軍人や政治家、あるいは官僚たちによって、一時期根底から破壊されました。

 しかし彼らは、天皇陛下のおられる皇室だけは、破壊できませんでした。マッカーサーが反対したからです。崇高な理由からではありません。当時の日本で陛下を何かの刑にしたり、皇室をなくしたりしたら、たちまち国民が暴発し、内乱となり、占領統治が不可能になると、彼が理解したからです。

 陛下を超える権力を手にしながら、マッカーサーは、日本人の心の中心にある天皇の権威を、無視できませんでした。彼は日本へ来る以前、軍の武装解除がうまくいくのかを、心配していました。あれだけ無鉄砲に、命知らずの戦いをした日本人が、黙って武器を捨てるなど、軍人である彼には、信じられませんでした。しかし天皇の一言で、日本人は静かに武器を捨て、抵抗もせず、秩序ある武装解除をしました。

 マッカーサーは、自分をフィリピンから追い出した日本軍を、激しく憎み、復讐を誓っていました。東京裁判では、軍の解体だけでなく、冷酷にも軍人たちを処刑させました。国内では7人の「殉難者」を、「戦犯」として処刑しましたが、国外の法廷では、ロクな審理もせず、多数の軍人を処刑しました。マレーの虎と言われた、山下奉文大将は、高位の軍人として扱われず、囚人服のまま、罪人のように銃殺されています。

 しかしマッカーサーは、実際日本へ来て、陛下の権威の大きさを知り、陛下の協力無しでは、占領統治が不可能だと理解します。そしてまた彼は、尊大な人物でしたが、昭和天皇の人柄に惹かれ、敬意の念も抱きました。

 だがアメリカ本国にいる、ディープ・ステイトと呼ばれる者たちは、皇室をそのままにして置くことへの危惧の念が、捨てられませんでした。彼らはマッカーサーを、大統領命令で動かし、「トロイの木馬」を作らせました。つまり、「日本国憲法」「反日・左翼学者の解放」「反日・左翼マスコミへの支援」です。

 マッカーサー自身は、誰もが知る強烈な「反共主義者」ですから、左翼中心の「トロイの木馬」を、進んで作ったとは思えません。

 戦後75年たち、マッカーサーも、昭和天皇も亡くなられた現在の日本で、何が起こっているのか。それは、米国の支配層であるディープ・ステイトたちによる、「日本崩壊計画」が着実に進められているという事実です。

 「人権尊重」、「男女平等」、「皇族にも人権を」と、反日左翼の学者や政治家に叫ばせ、反日のマスコミが報道という名前で、煽動しています。「女系天皇賛成」、「女性宮家賛成」という意見は、「皇室崩壊」の始まりの合図です。

 一方で彼らは、一つの国民として暮らしている日本人を分断し、社会を混乱させる紛争の種を、盛んに撒いています。中国や韓国を利用しているのか、協力しているのか、そこはよく分かりませんが、「中国による沖縄自国領論」、「在日コリアン問題」、「沖縄独立論」など、日本の分断も始まっています。

 「アイヌ人先住民族説」もその一つで、日本の中に別の国を作り、抜き差しならない紛争の種を撒こうとしています。

 前置きが長くなりましたが、私が「アイヌ人先住民説」に、反対する理由がここにあります。しかも、この説は、学問的には間違いなのに、何も知らない人間たちが、信じています。

 私は最後に、田中英道氏の学説を紹介しようと思います。「反日・左翼と戦う学者である」と、自称する氏は、マスコミには登場しません。知る人だけが知る、偏屈老人でもあります。氏の口調をブログにするのは痛快ですが、長くなりますので、アイヌが先住民でないと言う、学問的根拠だけを、箇条書きにします。

 1. 北海道に人が住み始めたのは、今から二万年以上前の縄文時代である。

 2. 関東・東北地方を生活の中心とする縄文人が、北海道にも住んでいた。

 3. その後、弥生人が日本へ来て、弥生文化を広げ、これが大和、関西へと移って行った。

 4. 大和朝廷が統治を広げていくが、北海道だけは、縄文文化のままであった。

 5. 今から1300年くらい前、鎌倉時代の頃、突然オホーツク人が北海道へ住み着き、オホーツク文化が生まれた。

 6. オホーツク文化は、熊信仰であり、熊祭りをする。

 7. 移住してきた他民族を言うのなら、奈良時代に大挙してきたユダヤ人が先である。朝鮮人もいるし、中国人もいるし、モンゴル人もいる。

 8. アイヌ人だけを、先住民として特別扱いする理由がどこにもない。

 9. 最近の研究で、カラフト、カムチャッカ半島に住むオホーツク人と、アイヌのDNAが一致していることが、判明した。

  10. 縄文人はアイヌ人だと、間違っている人もいるが、日本人である縄文人とアイヌ人は、別の民族である。

  11. 現在アイヌ人は、全国に1万4~5千人しかいない。純粋なアイヌ人は、一人もいないと聞く。

  12. それが国連決議が出た頃から、いつの間にか民族が出来上がり、委員会まで作っている。

 13. アイヌ人より前に、ユダヤ人、朝鮮人、中国人が住み着き、彼らは日本に同化している。何でアイヌ人だけを迫害したと言う話が、出てくるのか。

 田中氏の説明はまだ続きますが、ここで終わります。これだけでも、「アイヌ先住民説」の間違いは、ハッキリしたはずです。大村氏の専門は、国語学なのですから、歴史学の分野にまで手を広げ、「間違い話」を世間に広めてはなりません。

 氏の著作には、傾聴すべき意見が沢山ありますが、書評を本日で終わります。私の偏見が手伝い、つまらない部分だけを取り上げましたが、優れた叙述がいっぱい残っています。

 時間があるのなら、息子たちにも、「ねこ庭」を訪問された方々にも、氏の著書を実際に手にされることをお勧めします。そうすれば、私の偏見も、はっきりと見えます。

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日本の教師に伝えたいこと - 3 ( アイヌの発見 )

2020-11-06 16:06:18 | 徒然の記

 今日は117ページの、「アイヌの発見」と言う章です。北海道を訪ねた氏のため、現地の教育委員会が案内人を世話してくれます。

 その人の案内で、ある大きな書店へ行き、話がここから始まりますので、割愛しながら転記します。

 「そこには、アイヌに関する本がずらっと並んでいました。」「本を少しずつ見て行きましたら、ぐんぐん引き入れられていくような、」「気がしました。」「何しろ、何も知らない者が見るのですから、」「何でも、一つ一つびっくりします。」

 「そしてその日、書店の棚が2つぐらい空いてしまうほど、」「買い込みました。」「そうやって資料を探しながら見ている間に、アイヌというのは、」「ただ民族の名前かと思っていましたら、」「そうでなく、アイヌ語の  "人間 " という意味だと、」「分かったのです。」

 氏は私が嫌悪する、反日・左翼の教師ではありません。教育熱心な、ひたむきな先生の一人で、むしろ善意の人であろうと思います。しかし善意の人が、間違った認識を持つと、思いがけないことになるのだと、私はその良い例として、この章を読みました。冗長になりますが、しばらく転記を続けます。

 「持って帰った本を読んでいますと、アイヌは、日本人のことを 、」「 " シャモ " というふうに、言っていました。」「外国人が日本人のことを、 " ジャップ " と、」「やや軽蔑的に、言ったことがあります。」「今はあまり聞きませんが、ジャパンを縮めた形でしょう。」

 「アイヌ人が " シャモ " と言ったのは、軽蔑の言葉だと、」「それは知っていました。」「『コタンの口笛』の中にも出ていて、軽蔑の意味でした。」

 ところが、買った本を読みますと、 " シャモ " は、元々"シサム"という言葉で、その意味は「隣人」の意味だと発見します。ここから、氏のアイヌへの目覚めが、始まります。

 「その時私は、ドキリとしました。」「私は漠然と、アイヌ民族は日本人に虐げられ、」「追われて、日本人をシャモと呼び、」「大変恨んでいると、思っていたからです。」「とにかく、アイヌ民族と大和民族は、争いが多かった。」「結局アイヌは、北海道の片隅に追いやられて、」「滅びゆく民族のようになっていると、思っていました。」

 「日本人は、アイヌのことなど忘れて暮らしている人が多く、」「それなのにアイヌは、" 我が隣人 " と呼んでいたのかと思った時、」「何か非常に、胸に迫るものがありした。」「そして、知らないことの恐ろしさを、思いました。」

 私にとっても、それは新しい発見でしたから、氏の言葉を読み、感動を共有しました。続く文章を読みましても、氏は決して、反日・左翼ではありません。

 「明治以来の日本政府のしたことは、みんな、アイヌにとって嫌なことだったのです。」「けれども北海道を開拓して、狭い国土を広くしようと思い、」「一生懸命になっていた、あの時代の人たちが、」「アイヌ民族を、いじめようと思っていたとは、思えません。」

 「それは、アイヌ人が狩猟民族だということを、」「知らなかったからだと思います。」「狩猟民族にとって大切な山林を、開拓して田畑にしてしまった。」「どうぞ使いなさいと、土地を与えても、」「道具もなければ、使い方も知らないのです。」「アイヌ民族を理解しない、知らなかったために、」「それほど悪い気持ちではなくても、数々の不幸なものが、」「生み出されたのではないかと、考えたのです。」

 熱心な教師であったが故に、氏はここから自分なりの解釈をはじめ、次第に間違った思考の道へ踏み込みます。

 「そして、『国際先住民族年』というのは、」「そういうことを考えてみよう、という意味ではないかと、思いました。」

 氏の著書を読むまで、『国際先住民族年』というものがあることを、知りませんでした。たまたま北海道を訪ねたのが、その年だったらしく、氏の気持ちが昂っていきます。

 「先住民族のことを、みんなで考えよう。」「知らなかったために、しなくてもいい悲しいことをしたり、」「お互いが溶け合わないということが、あったのだ。」「相手の嫌がることをするというのは、人間として、」「考えられないことだと、思いました。」「そしてアイヌの言葉の意味を、名前にとって、」「単元を考えようと思ったのです。」「ただ単に、『国際先住民族年』だから、じゃあやってみようかな、」「と思ったのではないのです。」

 こういう経過で、氏は自分の授業に「アイヌ」を取りあげるようになります。平成 7年に出版された本ですから、昨年成立した「アイヌ新法」と関連づけるには無理があると、そう考える人が大半だろうと思いますが、まさに私は、そう考えています。

 「お花畑」に住んでいる日本人というのは、大抵、氏のような善人です。「平和憲法を守れ。」「日本を、戦争のできる国にするな。」と叫んでいる人たちは、特に周りから強制されたのでなく、むしろ氏のように、自分から考え、本気で信じているのだと思います。こういう人の間違いは、一つのことだけに熱中し、そのことの正しさを信仰しているところにあります。

 それだけを取り出して考えれば、「戦争は悪い。」「アイヌをいじめてはならない。」と、そんな結論が出てきます。その時代の歴史、世界の状況、その中の日本というものを考えたら、また別の意見が生まれますが、一つのことを信じてしまうと、他の事実が見えなくなります。

 こういう善意の人間が、GHQにとっては、役に立つ有用な人材になります。まして、氏のように著名な教育者が、「アイヌ人先住民族説」を述べてくれたら、こんな有難いことはありません。おそらく日本の敗戦後には、自分では意識せずに、知らぬまにGHQに協力していた学者たちが、沢山いたのではないでしょうか。

 氏のようなインテリほど、自分の知識に自信を持ち、いったん信じると本気で反対者に立ち向かいますから、こんな強い味方はありません。意識してGHQに協力した学者たちは、スパイとか裏切り者というべきでしょうが、氏のような無意識の協力者は、「お花畑の住民」としか、言いようがありません。

 スペースがなくなりましたので、ここでひと区切りとします。次回は、氏の間違いを息子たちと、「ねこ庭」を訪問された奇特な方にご説明いたします。

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