ドイツと日本の違いについて、今回は氏の意見を紹介しますが、私には少しためらいがあります。氏の提案は、日本人の誰もが避けていたことを、正面から取り組もうというのですから、「憲法改正」より、さらに難しい話になります。
「ドイツは、戦争への反省をしたが、日本はしていない。」「この話をドイツ人としますと、必ず論争になります。」「彼らの反省の不合理をつくと、最初は黙っていますが、」「倍以上の反論が返ってきます。」「だから、ドイツ人とこの話をしますと、結論は出ません。」
「温故知新」の読書を初めて以来、なぜドイツは国際社会で、日本と違った扱いを受けているのかと、私は特別の関心を持っていました。そして自分なりの結論も、得ています。
「ドイツは、戦争そのものについては、謝っていない。」「ドイツが謝罪しているのは、ユダヤ人の大量虐殺についてだけだ。」「日本は、他民族の虐殺をしていないから、ドイツのように謝罪する必要がない。」「日本がやったのは、戦争中どこの国でもやる戦闘行為だ。」
いつだったのか忘れましたが、「ねこ庭」に書いたことがあります。氏の意見に惹かされたのは、この記憶があったからです。
「ヴァイツゼッカー大統領の演説を、読んことがありますか。」「そこで述べられているのは、ドイツ人は悪くなかった。」「ヒトラーとナチスが悪かったと、そう書いてあります。」「読んでない人は、岩波文庫で出ていますから、確かめてください。」「ドイツは、すべてをナチスに押し付け、責任を逃れたのです。」
大統領の演説は知りませんでしたが、私の認識は、ほぼ氏の意見と重なっていました。
「ヒトラーは、純粋のドイツ人でなくて、ポーランド系でしたし、」「成り上がり者だったから、責任を押しつけるのは、簡単だったんです。」
由緒のある家系に生まれたドイツ人だったら、ここまで一方的に、責任転嫁できなかったのではないかと、そんな意見です。ヒトラーに罪を全部負わせたことは、知っていましたが、成り上がり者だったから、容易にできたという意見は、初めて聞きました。
早速、ネットで「ヴァイツゼッカー大統領の演説」を調べてみました。1985 ( 昭和60 ) 年の、ドイツ国会でされた演説で、岩波文庫が、平成7年に「ヴァイツゼッカー大統領演説集」として、出版していました。
「議長!首相!来賓のみなさま!ご臨席の皆さん、そして国民の皆さん。」「多くの民族が、本日、第二次大戦がヨーロッパの地で終結を迎えた、」「あの日を、思い浮かべております。」
という言葉で始まる演説は、9章に分かれ、字数にするとおよそ16,800文字となる長い文章です。長過ぎてブログに引用できませんので、氏のいう「責任転嫁」の部分だけを紹介します。
「大抵のドイツ人は、自らの国の大義のために戦い、」「耐え忍んでいるものと、信じておりました。」「ところが、一切が無駄であり、無意味であったのみならず、」「犯罪的な指導者たちの、非人道的な目的のためであった、」「ということが、明らかになったのであります。」」
「振り返れば暗い奈落の過去であり、前には不確実な暗い未来だけでした 。」「しかし、日一日と過ぎていくにつれ、」「五月八日が、解放の日であることが、はっきりしてまいりました。」「このことは、今日われわれ全員が、共通してロにしていいことであります 。」「国家社会主義の暴力支配という、人間蔑視の体制から、」「われわれ全員が、解放されたのであります。」
「災いへの道の堆進力は、ヒトラーでした。」「彼は大衆の狂気を生み出し、これを利用しました。」「脆弱なワイマール期の民主主義には、ヒトラーを阻止するカがありませんでした。」
「暴力支配が始まるにあたって、ユダヤ系の同胞に対する、」「ヒトラーの底知れぬ憎悪が、ありました。」「ヒトラーは、公けの場でも、これを隠しだてしたことはなく、」「全ドイツ民族を、その憎悪の道具としたのです。」
「ヒトラーはいつも、偏見と敵意と、」「憎悪とを、かきたてつづけることに、腐心しておりました。」「若い人たちに、お願いしたい。」「他の人びとに対する敵意や、憎悪に駆り立てられることのないように、していただきたい。」「ロシア人やアメリカ人、ユダヤ人やトルコ人、」「黒人や白人、」「これらの人たちに対する、敵意や憎悪に、」「駆り立てられることのないように、していただきたい。」「若い人たちは、たがいに敵対するのではなく、」「たがいに手をとり合って、生きていくことを学んでいただきたい。」
以上、大統領が、ヒトラーに責任転嫁した部分だけを転記しました。大戦後40年経ち、まだドイツが東西に分かれていた時の演説です。聖書の言葉が随所に引用され、演説全体は格調の高い内容です。平和主義、人道主義的な言葉は、朝日新聞や岩波文庫が、絶賛してやまないものです。
青山氏は、「政府が戦争の検証をすべき」と言い、これをしないと、マスコミの偏向報道は無くならないと言います。具体的にどのようにすべきか、氏は述べていませんが、次回は、私の意見も加え、考えてみたいと思います。