田中氏の話を、紹介します。
・「スサノオの尊」が、あまりに乱暴狼藉をするので、嘆き悲しんだ「天照大神」が、岩の洞窟に隠れてしまわれ、世界が真っ暗になり、大変なことになりました。
・「天岩戸」( あまのいわと ) と言う、有名な話です。
・これが原因で「スサノオの尊」は、東北から出雲へ追放されます。出雲ではちゃんと国を治め、出雲大社を作ります。「大国主命」( おおくにぬしのみこと )は、「スサノオ」の6代目の息子にあたります。
神話をよく知らないため、聞き違いがあるのかもしれませんが、心に残るのが、「秦氏の源流が、スサノオである。」という言葉です。
つまり、氏は秦氏だけでなく、「スサノオの尊」も帰化したユダヤ人だと説明します。何でもかんでも、帰化したユダヤ人にするのかと、無知な学徒である私は、先生に逆らっていけないと思っていても、やはり即座に信じられません。
4年前、出雲の叔父が亡くなった時、遺品の蔵書の一部を、叔母が分けてくれました。その中に、山崎謙氏の著書『出雲大社の謎』がありました。偶然とは有難いもので、氏の著作を思い出しました。
・出雲大社は、本殿以外にも付属する神社が多い。
・本殿裏には、大国主の命の岳父といわれる、須佐之男神 (すさのおのみこと) を祀る、素鵞の社 ( そがのしゃ ) 、本殿脇には大国主の命の妻である、多紀理比売 ( たぎりひめ ) を祀る、筑紫社などの、各社がある。
何度も出雲大社を訪ねていますが、眺めているだけなので、どこに何があったのか、何も覚えていません。「豚に真珠」、「猫に小判」という言葉は、私のためにあるようです。
山崎氏の著作を読み、そんな由緒のある神社だったかと、驚いた記憶があります。さらに今回驚いたのは、この文章でした。
・世界一の木造建築といえば、東大寺大仏殿だ。
・私たちは、歴史の授業でそう習った。
・だが出雲大社の社伝によると、本殿の高さは、上古は97メートル、中古でも48メートルあったという。
・出雲大社本殿は、平安時代において、東大寺大仏殿より巨大だったというのだ。ちなみに現在の高さは、24メートルである。
東大寺大仏殿の高さは、46.6メートルで、世界最大と言われています。大仏殿の前に立ち、大きさに圧倒された思い出がありますので、それを凌ぐ高さだったと説明され、言葉を失いました。
出雲大社を作った「スサノオの尊」には、巨大な建造物を完成させるだけの、土木建築の知識と、技術があったということです。田中氏のいう、「スサノオの尊」は西方系の人であり、ユダヤ人であったという話がここで結びつきます。
秦氏は天皇へのお礼として、応神天皇や仁徳天皇の「古墳」 ( 天皇御陵 )を作りました。エジプトのピラミッドに比肩する大古墳で、この技術と知識を持っているのが、ユダヤ人だというのが、氏の説です。
前方後円墳は、秦氏が作った日本独特の墳墓で、こういう巨大なものは朝鮮にありません。
日本には、全国に4,800から5,200基の前方後円墳が発見されていますが、朝鮮は半島の西南部に、小規模なものが10数基発見されているだけです。毒舌家の田中氏が、日本文化は、朝鮮が伝えたものでないとする根拠の一つがここにあります。
太陽の光を計算し、星の位置から角度を計測する知識は、西方系の民族独特のものだとすれば、秦氏だけでなく、出雲大社を作った「スサノオの尊も、ユダヤ人であったとして、妥当性はあります。
もし田中氏が、山崎氏の著作を知っていたら、東大寺大仏殿との比較を、語らないはずがありません。
「大仏殿より巨大な出雲大社を作った、スサノオの尊が、 朝鮮から来た渡来人であるはずが、ありません。」
「朝鮮には、そんな技術も、知識もありませんよ。」
と、皮肉たっぷりで言うに決まっています。
たいした自慢にもなりませんが、山崎氏の著作との関係で、「スサノオの尊」のユダヤ人説を納得するのは、おそらく私が初めてでしょう。
と、自己満足したところで、「スサノオの尊」のシリーズを終わります。