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ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『東條英機 歴史の証言』- 3 ( 勇気のある、氏の発言 )

2016-12-11 18:08:44 | 徒然の記

  どうやら東條元首相の人気は、今でも芳しくないと見える。

 林房雄氏の『大東亜戦争肯定論』のブログには、日々100人を超える読者が訪れていたが、現在は半分の人しか訪れない。

 東條首相は頑迷な軍人と、本を手にするまで私もそう思っていたので無理もない。しかし『宣誓供述書』が、死を覚悟して語られたものと知って意味合いが変わってきた。

 そうであるのならこの『宣誓供述書』は、ご先祖の一人の遺言として傾聴すべき書になる。

 「大東亜共栄圏」に関する供述も、遺言の一つとして紹介する。

  ・「大東亜政策」は、昭和18年11月5日の「大東亜会議」の劈頭において、私の為した演説中にもこれを述べております。

  ・その目的としまするのは、大東亜各国は相互にその伝統を尊重し、各民族の創造性を伸張し、「大東亜」の文化を高揚することであります。

  ・昔より「大東亜」には、優秀なる文化が存しているのであります。

  ・ことに精神文化には、崇高幽玄なるものがあり、これを広く世界に及ぼすことは、物質文明の行き詰まりを打開し、人類全般の福祉に寄与すること少なからずと考えました。

  ・大東亜各国は互恵の下緊密に連携し、その経済発展を図り、「大東亜」の繁栄を増進することであります。

  ・各国は民生の向上、国力の充実を図るため、緊密なる連携の下で、共同して発展を増進することであります。

  ・各国は人種的差別を撤廃し、あまねく文化を交流し、進んで資源を開放して、世界の進運に貢献することであります。

  ・建設さるべき「大東亜の新秩序」は、排他的なものでなく、広く世界各国と、政治的にも経済的にも、また文化的にも、積極的に協力の関係に立つものと信じました。

  ・口に自由平等を唱えつつ、他国家他民族に対し抑圧と差別とをもって臨み、自ら膨大なる土地と資源を欲しいままにし、他の生存を顧みざるごとき旧秩序であってはならぬと、信じたのであります。

  ・この趣旨は、「大東亜会議」に参集しました各国代表の賛同を得て、同月6日に、「大東亜宣言」として、世界に表示したのであります。

  ・このごとき政策が、世界制覇とか、他国の侵略を意味するものと解釈されることは、夢想だにせざりし所であります。

 敵国による裁判で東條氏は、列強がした植民地支配を批判しています。私は、勇気のある発言として注目しました。

 参考までに別途調べた「大東亜会議」の出席国と、出席者の名前を紹介する。

 
   ビルマ国家主席             バー・モー    
 
   満州国国務院総理            張景恵  
 
   中華民国南京国民政府行政院長     汪兆銘  
 
   大日本帝國首相            東條英機  
 
   タイ国首相代理            ワンワイタヤコーン殿下  
 
   フイリピン共和国大統領        ホセ・ラウレル  
  
   自由インド仮政府首班          チャンドラ・ボース 
 
 
 ビルマとフイリピンは、日本が独立国として認め会議に加わったが、インドネシアは独立国でなかったため、民族指導者としてスカルノがオブザーバーで参加していた。
 
「東京裁判」の時は、まだ列強がアジア諸国を植民地支配していた時なのに、東條氏がこうした供述をしている。欧米諸国の裁判官たちは、どんな気持ちで聞いたのだろう。なおさら生かしておけないと、死刑宣告の決意を固めたのだろうか。
 
 「五族共和の王道楽土」をつくると、石原莞爾ら少壮軍人たちが「満州国」を設立した当時、東條氏も満州にいた。
 
 昭和7年に満州国ができる以前は、広大な国土に 1500万人あまりの満人が住んでいた荒地だった。満州国が生まれると漢人や朝鮮人が大挙して移住し、十年後の昭和17年には、4千4百万人に人口が増えたという。
 
 保守系学者の解説によると、日本軍の統治による治安の良さと、日本の投資で商工業が発展し、活気のある土地になったからだと自慢話になる。
 
 当時の満州は匪賊と呼ばれる盗賊団が跋扈し、日本軍なしでは安心して暮らせる土地でなかったことだけは確かだった。
 
 保守系学者の解説一方で、愛新覚羅浩 (あいしんかくら   ひろ) 氏のような見方がある。
氏は満州国皇帝溥儀の弟溥傑と、関東軍によって政略結婚させられた人で、嵯峨公爵家の長女として生まれ、数奇な運命を辿った日本人だ。
 
 昭和59年に「主婦と生活社」から出版した、『流転の王妃』は氏の自伝的著書だ。著書の中の氏の言葉は、過去記事で取り上げたが再度紹介する。

      ・「五族協和」のスローガンを掲げながら、満州では全て日本人優先でした。

  ・日本人の中でも関東軍は絶対の勢力を占め、関東軍でなければ人にあらず、という勢いでした。

  ・満州国皇弟と結婚した私など、そうした人たちの目から見れば虫けら同然の存在に映ったのかもしれません。

  ・日本の警察や兵隊が店で食事をしてもお金を払わず、威張って出て行くということ。そんな話に私は愕然としました。

  ・そうした事実を知るにつれ、日・満・蒙・漢・朝の 「五族協和」 というスローガンが、このままではどうなることかと暗澹たる思いにかられるのでした。

  ・日本に対する不満は、一般民衆から満州国の要人にまで共通していました。私は恥ずかしさのあまり、ただ黙り込むしかありませんでした。

 保守系学者が語る満州も、浩 ( ひろ ) 氏の語る満州も、いずれも事実だと私は思う。植民地を持つ側と植民地になった側の見方はこのように相反する、と私も少し賢くなっている。

 アジアを植民地にしてきた欧米諸国対しても、本音を聞けば不満や憎悪があるのだろうが、彼らが叩かれないのには明快な答えがある。

  「日本は敗北したが、欧米諸国は戦争に負けなかった。」

 私は日本の敗戦を事実として受け止め、必要以上の卑下をしない。東條首相についても過度の非難攻撃をしない。「東京裁判」の判決も、左翼平和主義者たちのように押し頂いて受け止めない。

 もうすぐ渡部氏の著書を読み終えるが、あと二つ書き残したい事実がある。

   1.  真珠湾攻撃のとき大事な「宣戦布告書」を、不始末で米国に渡し損ねた外務省のこと。

   2.  敗戦後に米国への密告者に成り下がった、日本の将軍のこと。

 こんな日本人もいるのだから、「世界一優れた民族」、「世界一立派な日本人」と、必要以上の慢心をしないことの大事さを子供たちに伝えたい。

コメント (2)
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