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ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『東條英機 歴史の証言』 - 4 ( 国益を台無しにした、外務省 )

2016-12-12 19:05:52 | 徒然の記

   真珠湾攻撃に関する、東條元首相の供述を紹介する。

  ・日本政府は、昭和16年12月8日(日本時間)米国政府に対し、駐米野村大使をして、帝国が外交交渉を断絶し、戦争を決意せる旨の通告を交付せしめました。

  ・私の記憶によれば12月4日の連絡会議において、東郷外相より、わが国より発すべき通告文の、提示があったのであります。

  ・これに対し、全員異議なく承認し、かつその取り扱いについては、おおむね次のような合意に達したと記憶します。

  ・ A ・・ 右外交上の手続きは、外務大臣に一任すること。

  ・ B ・・ 右通告は国際法による戦争の通告として、米国政府に手交後に於いては、日本は行動の自由を取りうること。

  ・ C ・・  米国政府への手交は、必ず攻撃前に為すべきこと。手交は、必ず野村大使より、米国政府責任者へ手交すること。駐日米大使に対しては、攻撃実施後において、これを通知する。

  ・通告の交付を攻撃の開始前に為すことは、かねて天皇陛下より、私および両総長にしばしばご指示があり、連絡会議出席者は皆これを了承しておりました。

  ・その後12月5日の閣議の席で、対米最終通告文につき、東郷外務大臣が次のように説明し全員が了承している。

  ・野村大使に対し、対米覚書を決定したこと

  ・この覚書を提示する時期は、追って電報すること

  ・覚書接到の上はいつにても米国に交付しうるよう、文書整備その他、あらかじめ万般の手配を完了すること

  ・以上外相より訓電せられていること

 元首相のこの証言は、重要な歴史的事実であるだけでなく、重大な外務省の責任問題だ。

 元首相の証言を続けて紹介する。

  ・しかるに事実は、その手交が遅延したることを後日に至り承知し、日本政府としては、極めてこれを遺憾に感じました。

  ・対米通告の取り扱いについては、外務当局にて、国際法および国際条約に照らし、慎重審議を尽くしてとり扱ったもので、連絡会議、閣議とも、全くこれに信頼しておりました。

  ・軍部はもとより政府全員、もっと言えば陛下までが細心の注意を払い、米国への通知告に心を砕いたというのに、米国大使館では対応がなされていなかった。

 「真珠湾攻撃」は、卑怯な日本の不意打ちとして全米に報道され、日本への敵愾心を燃やす原因となった。ルーズべルト大統領は奇襲を徹底的に利用し、国民の戦意を高揚させ、世論を参戦へと導いた。

 ではこの時日本大使館では、何が起こっていたのか。渡部氏の文章を紹介するのが、一番分かりやすい。

  ・これから重要なメッセージがいくという「事前通知」を無視して、その夜、全員が同僚の送別会に出かけていたというのが、真相なのです。

  ・彼らは、電報を受ける当直を置くことさえしなかった。

  ・今戦争が、火を吹くかどうかというときに、何という呑気な話か。

  ・翌朝のんびり出勤してきて、至急電報を見てタイプを打っていたら、間に合わなかったと、こんな言い訳をしていますが、先方には内容が伝わればいいのであって、タイプなど打たなくていいのです。

 外務省は戦後「害務省」になったと言われますが、私はこの時から「害務省」だったと考えています。国益のため働くべき外務省が、信じられない失態をし、日本の国益を台無しにした。

 渡部氏の怒りの言葉を、紹介する。

  ・手書きでも何で渡せば良かったのに、それもしていない。

  ・東郷外相が野村大使に対し、ワシントン時間で午後1時に直接手交するようにと指令していたにもかかわらず、野村大使がハル長官に手渡したのは、午後2時20分になってしまったのです。

  ・ハル長官とのアポイントメントを、午後一時と取っていたのに、タイプに手間取り、1時間延ばしてもらったというのですから言語同断です。

  ・当時大使館にいた外交官たちは申し訳ないと言って、ペンシルバニア通りにずらりと並んで切腹すべきでした。

  ・そうでなければ、戦後、お詫びのため自決すべきでした。

 知れば知るほど驚くばかりの事実だが、今でも国民の多くはこの事実を知らない。 

 渡部氏の、怒りの説明が続く。

  ・ところが外務省は、この事実を全部隠したばかりか、当時の責任者はその後みな栄達し、勲一等を受賞しています。

  ・私が今でも一番許せないのは、この連中です。海軍や東條さんの責任でなく、外務省の出先機関の者たちの責任です。

  私の気持ちを、氏が全部語ってくれる。

  ・リメンバー パールハーバー ( 真珠湾を忘れるな ) 」と、米国には、今でも日本を強く憎む国民がいる。

  ・卑劣な日本人が騙し打ちをしたと、日本の歴史に拭え無い汚点を残した責任について、未だに外務省は口をつぐんだままだ。マスコミも報道しない。

  ・「東京裁判」での元首相の証言の大きな意味を、再確認すべきだ。

 首相の言葉を、紹介する。

  ・それゆえ、攻撃成功のために、通知の交付を故意に遅らせたという、姑息なる手段に出たものでないことは前に述べた通りであります。」

 法廷で説明する元首相に対し、外務省が何の責任も感じていないことは、切腹した者が一人もいないことで分かる。

 日本の歴史を汚した責任をすすぐのなら、外務省は「東京裁判史観」をもとにした「ハンディキャップ外交」をやめれば良いのだ。今からでも遅くないのに、外務省は依然として自分たちの大失態を隠し続けている。

 外務省がやるべきことは、総理大臣の露払いとして、毎年敗戦の日の前日、外務大臣以下職員が打ち揃い、「靖国参拝」をすることでないのか。

 私は渡部氏のように気性が荒くなく、穏やかだから、切腹とは言わない。死ぬ気で日本の汚名をすすぎなさいと、諫言する。

 その私が怒りを抑えきれないのは、敗戦後の外務省だ。 率先して国益のため汗をかく官庁となるべきなのに、「自虐史観」の発信源となった。

 中心人物が、小和田恒 ( ひさし ) 次官だった。

 氏は、国民怨嗟の「河野談話」の起草者だとも言われている。相手が望んでいないのに、タイでは天皇陛下の「ご挨拶文」に、侵略のお詫びの言葉を入れたり、ろくなことをしていない。

 外務省は国民に対し、なにも反省していない「戦後諸悪の根源」ともいうべき、省庁になった。

 明日は、裏切り者の将軍について紹介する。

コメント
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