天皇陛下の「開戦責任」に関する東條首相の供述は、重要な内容なので書き残しておく。長い供述だが、日本の真実が集約して語られているからだ。
息子たちが、いつか読んでくれると願いながら、首相の言葉を紹介する。
・所定の手続きにより決定したる国策については、内閣及び統帥部の補弼 ( ほひつ ) の責任者において、その全責任を負うものでありまして、天皇陛下に御責任はありませぬ。
・この点につきまして、私はすでに一部分供述いたしましたが、お立場に関して、寸毫の誤解の生じる余地をなからしむるため、ここに更に詳述いたします。
・これは私にとりて、真に重要な事柄であります。」
・天皇陛下が、内閣の組織を命じられるに当たっては必ず、往時は元老の推挙により、後年は重臣の推薦、及び常時補弼の責任者たる、内大臣の進言によられたのでありまして、
・陛下が、これらの者の推薦及び進言を退け、自己の欲せらるる者に組閣を命ぜられたというごときは、前例としても未だかってありませぬ。
・陸軍にありては、三長官、すなわち陸軍大臣、参謀総長、教育総監の意見の合致により、陸軍大臣の補弼の責任において御裁可を仰ぎ、決定を見るのであります。
・海軍のそれも、また同様であります。天皇陛下が手続きによる上奏を排して、他を任命せられた実例は記憶いたしませぬ。
・以上は、明治、大正、昭和を通しての、長い間に確立した慣行であります。
・国政に関する事項は、必ず右手続きで成立した内閣、統帥部の補弼によって行われるのであります。これらの助言によらずして、陛下が独自の考えで、国政または統帥に関する行動を遊ばされることは、ありませぬ。
・この点は、旧憲法にもその明文があります。
・これを要するに天皇は、自己の自由意志をもって、内閣及び統帥部の組織を、命じられませぬ。内閣及び統帥部の進言は、拒否せらるることはありませぬ。天皇陛下のご希望は、内大臣の助言によります。
・ご希望が表明せられました時においても、これを内閣及び統帥部において、その責任において審議し上奏します。
・この上奏は、拒否せらるることはありませぬ。これが、戦争史上空前の重大危機における、天皇陛下のお立場であられたのであります。
・現実の慣行が以上のごとくでありますから、政治的、外交的、および軍事上の決定責任は、内閣および統帥部に在るのであります。絶対的に陛下の、ご責任ではありませぬ。
長い供述なので半分を省略したが、天皇が国政や軍事を決定される仕組みについて、どれほど細心の注意が払われていたのかがよく分かる。
死を覚悟した上で、陛下に類を及ぼすまいとした首相の懸命さも伝わってくる。激動の昭和を生きられた陛下は、天皇の地位の重さを理解され、終生私事としてのお気持を語られることはなかった。
だが私は、東條首相のことを陛下は終生忘れられなかった、と何かの本で読んだ。
昭和天皇はご自分の言葉の重みを常に考えられ、国民の幸福を第一とされていた。廃墟と化した国内を行幸され、戦後の復興の真ん中に陛下がおられたと、これは私の実感である。
長文であることを考えず、東條首相の言葉を引用したのは、昭和天皇の慎重さが紹介したかったからだ。
そしてここからが、本日のブログの最大のテーマだ。
どうしても私の意見は、今上陛下の「お言葉」発言につながってしまう。
「ねこ庭」の下過去記事を紹介する。
・しかるに今上陛下は、内閣も政府も無視され、ご自分の思いをNHKごときに洩らされた。
・何というご短慮だろうか。
・憲法無視、内閣無視、皇室の伝統も無視で、ただご自分のご都合とお気持だけをNHKの電波で発せられた。
東條首相が命をかけて守った皇室の尊厳と伝統を、どれほど傷つけるご行為だったのか、今上陛下はおそらく考えておられない。気づこうともされていない。
陛下は美智子様とお二人で力を合わせ、「開かれた皇室」を作ってこられた。
皇室の私事にわたる事柄がマスコミに出るようになったのは、一つの成果だ。
一度ブログで取り上げたので、何度も紹介したくないが、今回陛下が「お言葉」の中で述べられたご公務というのは、
被災地へのお二人でのご視察と
戦前の激戦地への慰霊の旅 の二つだ。
陛下は公務と称せられるが、これらは「日本国憲法」の規定になく、昭和時代になかったものだ。美智子様とご一緒に考案された、「新しい皇室の公務」だ。
昭和天皇を越えようと、今上陛下は本気で思われたのか。それとも美智子様のご意見に従っておられるだけなのか。事実は知る由もないが、父である昭和天皇を越えられようと考えられること自体が、愚かなことではないのだろうか。
今上陛下と美智子様のなされていることは、歴史を振り返る度に悲しみとなって心を重くする。
東條元首相もこれでは浮ばれないのではないかと、私は一人考える。