「日本と中国 永遠の誤解」(文芸春秋社刊 稲垣武・加地伸幸著)、
「現代中国を知るための60章」(明石書店刊 高井潔司・遊川和郎著)、
「こちら北京探題」(新潮社刊 邱永漢著)、
「中国人の日本観」(岩波書店刊 アレン・ホワイティング著)を、読んだ。
「われわれは覇権を求めない」「他国の内政に干渉しない」
国連加盟を果たし、国際社会に復帰して以来、中国は常に、それを声高く表明してきた。米ソの二大陣営が対立していた時でもあり、私は中国の姿勢に凛としたものを感じた。
ところがどうだろう、今になっても同じ言葉を発しつつ、中国は自らが覇権を求め、他国の内政に干渉する、やっかいな大国になってしまった。
何度詫びを入れても日本を許さず、ことある毎に、侮蔑と憎しみの言葉を投げ返し、韓国や北朝鮮に劣らない、嫌な国となり果てた。過去のことがあるからと、最初は受容していても、ここまで執拗に繰り返されると、いったいどうしろと言うのかと、私の我慢も限界に達する。
日本にも中国にも、愚かな人間がいて、武力で戦えとわめいているが、こんな時にこそ、先日読んだ井上成美の言葉を、噛み締めるべきなのだ。
徒労に終わるかも知れないと思いつつ、自分なりに、中国との、不毛な対立の原因を掴みたいと、図書館からせっせと本を借りて読んでいる。西暦607年に、聖徳太子が、小野妹子を随に派遣したのが、正式な国交の開始で、菅原道真の建議により、遣唐使が廃されたのが西暦894年だ。
当時の中国は文明の先進国で、日本は熱心な生徒として、教えを乞う立場にあった。この間、およそ230年。その後鎌倉、室町、江戸時代と、貿易を通じて互いの国交が続き、日本は中国の文物を尊重し、敬意を払って来た。
この間がおよそ1030余年だった。中国との平穏な関係は、通算して1260余年となる。大国中国と日本が、決定的に対立するようになったのは、西暦1915年の「対華21か条要求」時から、1945年に日本がポツダム宣言」を受諾し、敗戦となるまでの30年間だ。
この30年間に、中国の言ういわゆる「南京事件」があり、満州帝国の設立があり、軍国主義日本が、中国を蹂躙したすべての事件が集約されている。1978年に、田中首相が日中平和友好条約を取り交わし、中国が、北京オリンピックを開催する2008年までの、30年間。わが国は、円借款,無償援助、技術援助等の名目で、約6兆円の資金援助を行った。
中国の近代化と経済の改革は、日本の援助で可能なった、と言われるほどの金額だった。中国の指導者たちは、この事実を国民に知らせず、日本政府も又、日本国民にこの事実を伝えて来なかった。
利益と言う観念の無い中国人に、企業経営の根本を教えたのは、名もない無数の日本人たちだった。奇しくもこの期間は、日本が中国を踏み荒らした、忌まわしい30年間と同じ長さになる。
アレンの著書で、私は初めてこの事実に気づいた。この30年間、わが国には好景気も不景気もあったけれど、政府は一貫して中国への支援を続けた。それなのに中国は、片手で日本からの援助資金を受け取りながら、他方の手で、わが国を弾劾するプラカードを掲げ、「侵略の歴史を忘れるな」、「日本の軍国主義の残虐さを許すな」、と叫んでいたと言うこと。
これが三千年の歴史を有するという、礼節の大国のすることなのか。私には、もう言葉も出ない。