だらだら日記goo編

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西洋芸術が憧れであったころ

2007-02-10 21:58:25 | アート・文化

ロダンが日本にやってきた、柳が横浜で作品を受取った!

「皆有頂天になりました」と日記に記されている。

きたのはロダンの作品「ある小さき影」「巴里ゴロツキの首」「ロダン夫人の胸像」の三点だ、ロダンの作品を待ち望んでいたのは白樺派の面々だ。

ロダン生誕七十年を記念して「白樺」は「ロダン号」を発行して、明治45年には赤坂で展覧会を開催している。

展覧会の入場者は一日二百人、最終日は六百人というから多いか少ないかはよくわからない。

その白樺派とロダンの接点を振り返る展覧会を調布市武者小路実篤記念館に観に行く。

遠いかと思ったら小田急成城学園からバスが頻発しているという、朝早くからゴー。

行くとすぐに富士美術館所蔵のロダン「接吻」がお出迎え。

これは風俗壊乱の恐れありとして展示できなかったというが今とはなんと言う違い!

安達峰一郎の存在も忘れてはならない。

外交官として展覧会開催へ腐心し、自らロダンの「女のトルソ」を所蔵していたという。

ロダン生前中に日本にあったロダンの作品は白樺の三点と安達のものだけだったという。

展覧会開催を機に、白樺美術館の構想が出る。

寄付を募ってセザンヌ「風景」を四万フランで購入したというが今で言えばどれだけのお金なのか。

白樺は明治43年に創刊され関東大震災で終結するまで160冊を刊行した。

逆さに読むと「バカラシ」と揶揄されたようだが、西洋美術の導入に大きな貢献をしたことは間違えない。

現在は大原美術館所蔵の白樺派がもたらしたロダン作品三点と、代わりにロダンに贈った日本の浮世絵、そのほかもろもろの資料が広くはない展示室にめいっぱい置かれ当時の興奮を伝えてくれる。

資料室では東京に巡回しないロダンの展覧会のカタログ見放題だし、休憩室ではお茶を飲みつつビデオも観ることができる、当然お客さんは少ないが僕は二時間滞在した。

オルセーやポンピドーの展覧会が盛況なのを眺めつつ、西洋芸術に出会ったばかりの人々の興奮と感慨を考えていた。