温故知新No2

静岡県の牧之原市から、盆栽、野球審判、蕎麦打ち、おやじバンド、その他徒然なるままに、ブログしています。

拓郎&かぐや姫つま恋コンサート雑感No4

2006-10-20 14:13:06 | 拓郎&かぐや姫つま恋コンサート

「一方かぐや姫は、時間を止めるNo1」

拓郎は常に進化しているゆえ、私はついてゆけなかったとブログした。拓郎は、今の姿が拓郎である。

一方のかぐや姫は、あの時の残像が今でも変わらないままであり、今でも時々ギターで彼らの曲を爪弾いている。

それは、そのグループという構成のゆえ、途中から活動を休止し、したがって、かぐや姫の姿は、あの時の姿のまま止まっているからかもしれない。

しかし考えると、かぐや姫も常に進化していたのかもしれない。ただし、メンバー個々の進み具合と、グループの存続に隔たりが出て、グループとしてのかぐや姫の活動は止めざるをえなかった。

したがって、かぐや姫は解散したときのあの当時のままの姿で、みんなの心に染み付いている。

私とかぐや姫との出会いは、おそらくラジオを聴いたあたりからではなかったかと思う。

その最初の曲は、あの大ヒット作の「神田川」ではなく、「酔いどれかぐや姫」。知っている人は知っている、知らない人はまったく知らない、かぐや姫の初期作品。

変な歌だなア、と思いながら聴いた記憶がある。

その後、かぐや姫は、南こうせつを残しメンバーが変わり、「南こうせつとかぐや姫」として再スタート。

そして、大ヒット作の「神田川」を聞くこととなる。高校2、3年のころだと思う。

その時は、ギターを弾いていたため、メロディーや歌詞がいいというよりは、バイオリンのイントロとアコースティックギターの音の組み合わせが斬新だったので、すぐに飛びついたように記憶している。

ギターコードとアルペジオは簡単なので、すぐに歌えるようになったのも、好きになった要因だと思う。

ただし、あのマイナーなイメージがさらに「赤ちょうちん」で輪をかけ、同棲という、今では特に気にならないものであるが、あの当時は、独特の言葉の響きを持ち、(まあ、これだから曲がヒットしたのかもしれないが)さすがに高校生の感覚としては、付いていけないかな、と思った。

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しかし、小遣いを貯めようやく手にしたLP「はじめまして」は、そんなイメージを吹き飛ばすような珠玉の作品ばかりで、あらためてかぐや姫を好きになった。

かぐや姫の魅力は、そのギター演奏。ギターを弾く者にとって弾きやすく、コード進行、あるいは「加茂流れに」のように、ギターのデュエットの練習にちょうどいい曲が多い。

だから、特に私は、かぐや姫をひいきにしているのかもしれない。

そして、グループ絶頂期に、かぐや姫は発展的解散をする。つまり各自ソロ活動に進むこととなる。

したがって、その時の曲、イメージ、あるいはその時代がそこでストップされ、その後色づけされないまま、今に残像が鮮明に残ることとなる。

拓郎&かぐや姫コンサートでのかぐや姫はあの頃から何にも変わっていない。時間が止まっている。

現在の目を覆いたくなる世の中の残念な変容を一瞬忘れさせてくれる。今回のコンサートは、私には、あの時の思い出を蘇らせる最高のプレゼントであり、感謝するものである。

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