毎日のように熱戦が繰り広げられているオリンピック。
普段なら、いや54年前の東京オリンピックなら、日本選手のメダルラッシュ、あるいは外国選手の活躍をテレビで、新聞で見て一喜一憂していた。
そしてそこには、勝利の選手をたたえる気持ち、敗者への思いやり、次への期待が込められた思いなどで国民は一生懸命応援していた。
ところが、今回の東京オリンピック2020では、手に汗をかいての応援の一方、その結果に対してのみっともない意見、評価がSNSなどで飛び交っている。
メダルの色、勝ち負けに特化して、勝者への誹謗、敗者への中傷、あるいは判定、審判に対する批判など・・・。
いまや、パソコン、携帯などで瞬時にして全世界から情報が発信される。
そしてそこには、すべての観戦者が批評家になり、言いたいことを勝手に言って、それが時には選手への言動の暴力になり、また判定への冒涜となる。
また、今回のオリンピックでの各国のメディアの報道内容も、過去のスポーツ報道とは違った、様々な結果に対しての酷評となっている。
それが時には、敗者となった自国選手への批判となり、逆に相手選手の批判や判定に対するいちゃもんとなっている。
過去東京大会での、勝った負けた、頑張った、悔しいの単純な国民感情で、オリンピックを盛り上げたい。
本来は楽しい、感動するオリンピックだが、勝った負けたを自分勝手に評価し、楽しいはずのオリンピックを観戦者も、報道もつまらないものにしているような気がする。
私は楽しく見させていただいているが・・・。
さあ今日も頑張っていきましょう!
普段なら、いや54年前の東京オリンピックなら、日本選手のメダルラッシュ、あるいは外国選手の活躍をテレビで、新聞で見て一喜一憂していた。
そしてそこには、勝利の選手をたたえる気持ち、敗者への思いやり、次への期待が込められた思いなどで国民は一生懸命応援していた。
ところが、今回の東京オリンピック2020では、手に汗をかいての応援の一方、その結果に対してのみっともない意見、評価がSNSなどで飛び交っている。
メダルの色、勝ち負けに特化して、勝者への誹謗、敗者への中傷、あるいは判定、審判に対する批判など・・・。
いまや、パソコン、携帯などで瞬時にして全世界から情報が発信される。
そしてそこには、すべての観戦者が批評家になり、言いたいことを勝手に言って、それが時には選手への言動の暴力になり、また判定への冒涜となる。
また、今回のオリンピックでの各国のメディアの報道内容も、過去のスポーツ報道とは違った、様々な結果に対しての酷評となっている。
それが時には、敗者となった自国選手への批判となり、逆に相手選手の批判や判定に対するいちゃもんとなっている。
過去東京大会での、勝った負けた、頑張った、悔しいの単純な国民感情で、オリンピックを盛り上げたい。
本来は楽しい、感動するオリンピックだが、勝った負けたを自分勝手に評価し、楽しいはずのオリンピックを観戦者も、報道もつまらないものにしているような気がする。
私は楽しく見させていただいているが・・・。
さあ今日も頑張っていきましょう!