温故知新No2

静岡県の牧之原市から、盆栽、野球審判、蕎麦打ち、おやじバンド、その他徒然なるままに、ブログしています。

2014東日本震災視察研修No3

2014-05-15 20:48:32 | 日記・エッセイ・コラム

視察の2日目は、南相馬市から仙台方面へ向かって国道6号線を北上。
このルートは、福島第1原発から遠ざかるもの。
ということは、放射能の影響がだんだん少なくなる。
相馬市、それは、前日見た放射能の影響による避難地域から比べ、やはり生活感ある様子。
特に、福島県から宮城県に入ると、放射能による影響がなかったためなのか、海岸や川の護岸改修や住宅地の造成、またj常磐線駅周辺の土地改良事業など、力強く復興に向けた動きが進められている。
とにかく、原発による放射能汚染の影響の有無によって、こうも復興の度合いが違うのかと少なからずショックを受けた。
原発は万一の時、その影響がたいへん大きい。
しかし影響を憂いていれば、何も進展はないというかもしれないが、とにかく今の地球の持つ技術の結集をしてみても、放射能を石油や石炭と同じレベルで取り扱うことは、ここしばらくの将来においては無理だということは、だれでも認めるだろう。
ここで原子力発電所を止めたら、原子力技術の向上がストップするという主に政治家や科学者の反論を耳にするが、原子力技術の向上と、原子力発電の稼働、施設の維持管理とは全く視点が違うものである。
原子力技術の向上は、ぜひやるべきで、将来の原子力発電に備えるべきである。
しかし、原子力技術の進展のために原子力発電所が必要であるとは決して考えられない。
また、一方で、原子力発電が本当に生活の一つのアイテムになるまでの当面の間(その当面は数年後ではなく、数十年後、数百年後)の再生エネルギーへの転換を、それこそ原子力技術に傾注した頭脳と技術で早急に進めるべきである。

今回被害を受けた海岸松林では、その数ある松がことごとく津波でなぎ倒された中で、たった1本残った、いわゆる奇跡の1本松が結構ある。

南相馬市でも鹿島の1本松があり、それは、何千本もある中でたった1本残った奇跡と感動するほどのインパクトがある。

日本人は、このような1本の残った松に特別の思いを寄せ、それは当然、もう二度とこのような悲惨なことは起こさないという決意をこの松に託すのである。
しかし、一方、この1本の松を日本人の不屈の精神、奇跡の復活と勝手に解釈し、困難から立ち上がる原発の再展開への原発推進派のシンボルともなりうる。
 原子力エネルギーは今の時代に必要、欠かすことができないものか?と自問自答するが、結局、原発建設当時の原子力ムラの論理がいまだ現代人の心に呪縛のごとくまとわりついていて、必要と言わせているだけのことである。
原子力エネルギー依存の体質(体質ではなく、そう意識づけられている。)と錯覚している現代では、当然原子力エネルギーは欠かすことができないと考えがちであるが、現在のところ処理済み核燃料棒の処理の方法、残留物の保管方法などはまだ未解決であり、まずは発電ありきで、最後までの処理の完結となっていない。

人間はいったい、いつ放射能を自分の手の中でコロコロ回すことができるのだろう。そしてできた時にようやく放射能を人間が自由に操れると、言える時である。
 


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コメント
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