12日月曜日から13日火曜日にかけ、1泊2日で主に福島県に行ってくる。
今の仕事の一つとして、地震津波対策は最重要課題。
3.11以降その前から言われていた東海地震が改めて注目され、しかも、それ以降南海、東南海と同一に位置づけられ、それゆえさらに将来の地震規模が格段に大きくなった。
とにかく、3.11のあの光景を目の当たりにし、過去30年近く東海地震を想定した備え、訓練などは一度白紙に戻し、改めて防災計画、地震津波訓練マニュアルなどを見直している。
それにしても、今までの東日本大震災の様子は、マスメディア、国、各種機関からの豊富な情報により大方理解しているように思うが、やはり聞き伝えによるものと、被災の現場を見るものとは、情報量は格段に違う。
現地での風、におい、日差し、光景を体験しなければ、大震災を語れない、その教訓をこれからの私たち地域の地震対策に生かせない、と考え現地入りすることに。
計4名のコンパクトな人数で、単に物見遊山の視察ではなく、レンタカーを乗り回しての結構視察先を濃縮しながらも数をこなすハードスケジュール。
また、震災後この牧之原市から職員を南相馬市へ災害応援に派遣していることもあり、派遣先の市長へのあいさつも兼ねる。
向こうでは、ご丁寧に夜の懇親の場でも、市長、関係部長が来られるようだ。
事前に派遣職員から送られてきた南相馬市の現状を分析する資料を見ると、被災直前の人口は7万人、それが直後はさすがに1万人と6万人が市外に移動した。
それでも、3か月後の6月には、6万5千人が南相馬市に戻り生活を再開した。
ところが注目は、その後徐々に人口が減っている。
内容を分析すると、転出が多くなっているのだ。
南相馬市は、少なからず福島第1原発事故の放射能放出の被害を受けたが、それでも深刻な影響ではない。
それにもかかわらず、ほぼ一旦被災前の人口に戻ったのだが、その後人口の流出が続いているようだ。
国をあげて、いや、私の市から、あるいは全国の自治体から職員を派遣し支援をして復興事業に取り組んでいるにもかかわらず、被災の福島地域から人が遠ざかっていくという現実を、確認しながら、その原因、故郷を絶つ住民の事情を検証しなければならない。
そして、東海地震を今後控えた私たちの地域の地震津波防災に参考としなければならない。
そんな気持ちで月、火と行ってきます。
行く前の今の気持ちはいたって冷静であるが、その気持ちを帰ってきてからも保つことができるか自信がない。
またご報告します。