温故知新No2

静岡県の牧之原市から、盆栽、野球審判、蕎麦打ち、おやじバンド、その他徒然なるままに、ブログしています。

2014清流館高校へのステップ

2014-02-05 07:06:10 | 日記・エッセイ・コラム

昨日吉田高校後援会の理事会があった。
来月1日に閉校式を迎える吉田高校の後援会最後の決算などを事前に審議。
いよいよ吉田高校が終わるという、あまり喜ばしくない状況の中、会長であるTA村吉田町長を筆頭に、出席した役員が粛々と議事を審議する。
会の始まる前閉校式の話になり、TA村会長が、閉校式のあいさつは、いわば弔辞と同じようなもの、あいさつしたくないと吐露。
高校の閉校は、地元にとってシンボルの消滅。
地元が活き活きとしているのも、高校生が徒歩で、自転車で、バスで吉田町めざし集まってくるから。
こんな光景も、もう4月からは見られない。
高校の閉校をいわば人にたとえ、閉校式のあいさつは弔辞だと言ったTA村会長の繊細で複雑な気持ちが、こちらにも伝わってきた。
議事の中の決算案の中に、石碑の移設費用が含まれていた。
今後の支出予定であるが、吉田高校に今校歌と英語の碑文の二つの石碑があるが、これを清流館高校に移すということのようだ。
これは、高校、県教育委員会サイドでそのように決めていったようだが、これに対し、吉田高校の設立当初からの経緯を知っている年配役員から異論が唱えられた。
高校本体が大井川高校へ移る、まして石碑までもすべて移すとなると、吉田高校がここに存在していたという証が全くなくなってしまう。
吉田高校は、当時は珍しかった地元誘致型の高校、地元の有志、住民たちが苦労して建設まで漕ぎついた歴史がある。
そんな先人たちの苦労に背く様な吉田高校の痕跡をすべてなくす様な事をしてはならないと役員は力説する。
高校側からは、今の2年生1年生は来年度清流館高校に移り、吉田高校の歴史はそのまま清流館高校に引き継がれるので、石碑はそちらに移すという説明だ。
今回の理事会では結論が出なかったが、後援会としては何らかの吉田高校の存在を示すものを残したいとの希望を伝え、学校側も県教育委員会と協議して、早々に回答するということになった。
吉田高校と大井川高校の統合の話がで始めた当初、県教育委員会からは、新たな高校は、新設校であり、吉田高校でも大井川高校でもないとの説明をした。
なら、吉田高校の歴史を引き継ぐという今の説明をどう受け止めればいいのか。
私たちも今となっては、さかのぼって統廃合の話をぶり返す気はなく、吉田高校閉校は清流館高校へのステップと考えている。

とにかく、吉田町を含め周囲地域住民の意向に添えず大井川高校に吉田高校をもっていったという、事の重要性を今一度考慮し、最後の最後だけは(!?)地元の住民感情に配慮した閉校を考えていただきたいものである。

コメント
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