オチャサイズのブログ

お茶の効能を運動に取り入れたエクササイズです。

敵は本能寺にあり!

2014年03月01日 | 信長にたずねよ
「本能寺の変」 1582年6月2日、織田信長の家臣である明智光秀が謀反を起こし、京都の本能寺に宿泊していた信長を襲い自害に追い込んだ事件。(寺は焼失)
学校でも習ったように、あまりにも有名な出来事です。

現在の中京区(寺町御池)にある「本能寺」はその後、豊臣秀吉によって移転されたもので、実際にはそこから1Kmほど離れた堀川四条の近くに建っていました。
泊まったホテルが本能寺の近くだったので、散歩がてらその 跡地 に行って見ることにします。


二条城前の堀川通りから1本中へ狭い路地へと入っていきます。
何だかご近所を歩いているような感じがしますが、やはり近づくに連れて少し緊張してきますね。


ここが本来 「本能寺」があった場所で、あの信長が自ら命を絶ったとされる地です。
現在は通り沿いに石碑があるだけで、それを物語るものは何一つ残っていません。

以前と幾分雰囲気がちがうなぁ と思ったら、現在の跡地は、老人施設 になっていたのには驚いた!
早朝ってこともあってか人通りもなく、しばらく目を瞑って妄想に耽る・・・


裏手の角にひっそりと鎮座している石碑です。
こっちのほうが何となく威圧感みたいなものを感じるのは気のせいですかね。

戦国時代、最も有名なクーデターとも言われる「本能寺の変」。
自害し共に焼失した焼跡からは信長の遺体や骨すら発見されていないとう何ともミステリアスな事件。
陰謀説やイロイロな憶測が飛び交うこの地を、信長好きなら必ず訪れておくべきでしょう。

今は静かな住宅街ですが、数百年前ここは火の海だったと思うと、すべては歴史の上に成り立っていることを実感する。
と同時に、歳をとって施設に入るなら、ココがいいなぁ と本気で思ふ・・・ (キモト)

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風雲 「清州城」

2013年10月20日 | 信長にたずねよ

名古屋の帰り道、何気なく車を走らせていると「清州城」の看板が・・・!
ここはあの有名な会議が行われた「城」がある場所です。
「信長好き」にとって、ゆかりの地でもあるので ちょっと立ち寄ってきました。

ちなみに、この赤い橋と奥に見える天守の構図は、あの「千と千尋の神隠し」のモデルになったとか・・・


「清洲城」は、1405年に尾張・遠江・越前守護の斯波義重によって築城されました。
その後、戦国の乱世において 数多くのエピソードが残されています・・・ 特に有名なのは、
信長の名を全国に一気に轟かせた あの「桶狭間の戦い」に出陣したのも、
本能寺の変で信長がたおれ、後継ぎをめぐって会議(清州会議)が行われたのも、この「清洲城」です。
つまり、信長の天下取りの出発点でもあると同時に、その後を継いだ秀吉の重要な拠点となった場所でもあるのです。

 
お城の中は展示スペース(博物館)になっていて、時代を追って この「清州城」の歴史を知ることができます。
大河ドラマの衣装もあった!


この「清州城」は、本来の天守があった場所ではなく 平成元年に隣接する地域に当時を 想像して建てらた模擬天守 なのです。
全体がコンクリなので、城にいる限り歴史の重みはあまり感じられませんが、
400Mほど離れた公園には信長と濃姫の銅像があり、出世パワーにあやかる人の人気を集めているそうです。
何か圧倒されて、そこだけはカメラを向けることは出来ませんでした・・・

「清州城」 歴史の節目となったこの地に来て、「オチャサイズ」再出発に向けての いい英気になったのは間違いありません。
さぁ、金沢へ帰ろう・・・ 皆が待っている。

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信長にたずねよ・・・③

2010年08月08日 | 信長にたずねよ


東海北陸道で岐阜市に入ると、山の頂に「城」が目に入ります。 「岐阜城」です。
かつて「稲葉山城」と呼ばれていた城を信長が攻略し、古代中国の周王朝の文王に因んで城と町の名を「岐阜」と改め、城下町が整備されていくことになります。
この頃から信長は、「天下布武」の朱印を用い本格的に天下統一を目指すことになり、安土城に移るまでの拠点となった城です。
まさに、天下統一の礎になった「お城」ですね。

 

信長が自刀した後、西軍に味方した織田家の家臣は、関ヶ原の戦いで徳川家康(東軍)に攻め落とされ廃城となります。
現在ある天守閣は、昭和31年に復興されたものです。

その山頂にある天守閣には、麓から「金華山ロープウェイ」で向かいます。(登山道もありますが・・・)



ロープウェイや鉄筋コンクリートで再建された近代的?な天守閣ですが、山の斜面のいたるところに当時の面影を残す石垣が残ってます。 (Kumi)は、こんな場所に連れていくと、いつも必ず「足元に死体が埋まっているじゃない・・・?」 ばっか言ってます。・・・(-_-;)



山頂(展望台)からの眺めです。・・・
眼下には長良川が流れ、伊吹、養老、鈴鹿の山系が連なり、濃尾の大平野(日本の中心)を一望におさめることができます。
かつて、ここで信長も天下を見晴らしたように、ここに立つと何だか大きな気分になります。・・・

よっしゃー うちも「オチャサイズ」で・・・  妄想中 妄想中 妄想中

麓にある、岐阜公園の一角には「織田信長居館跡」も発掘されており、信長ファンなら訪れておくべき場所ですね。
お土産コーナーも「信長」っていうか、やっぱ「戦国ブーム」なのかい・・・???



そして、この時期なら以前に紹介した岐阜市にある「赤鰐」のかき氷ですね。 カテゴリー【団子と談合】5月21日投稿 

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信長にたずねよ・・・②

2010年05月12日 | 信長にたずねよ


普段、DVDを購入して家で観るって事を、めったに(ほとんど)しないのですが、このDVDだけは別です。
「火天の城」 織田信長の居城、安土城建築をテーマにした映画です。 戦国時代の映画にもかかわらず、合戦のシーンは無く、信長ではなく宮大工(岡部又右衛門)が主役です。
「火天」とは、真夏に照り付ける太陽を意味しています。 ギラギラと煮えきった太陽が信長のイメージなのです。

http://blog.goo.ne.jp/ochacise/e/3fe372e5b3ea3430616f23819fb0e7e7
↑クリック 〔戻る〕でバックします。

昔から?ブログを見ている人は知っていると思いますが、大の「信長好き」でございます。・・・ 完成後、わずか3年たらずで焼失した幻の城「安土城」・・・ 映画を観ていると「行きたい」衝動に駆られ、数年ぶりに聖地に足を運びます。



滋賀県近江八幡市安土町。 信長は、岐阜と京都の中間で琵琶湖の水運を活用できるこの地に居城を構えました。
現在は、その存在をまったく感じさせないほど、ひっそりと佇んでいます。 言われなければ普通の山です。・・・

  

駐車場の目の前が【大手道】 山頂へと向かう180mの直線的な石段です。 
途中、その両脇には羽柴秀吉(豊臣秀吉)や、金沢にゆかりのある前田利家の屋敷跡があります。
 


敵の侵入を避けるためか、階段は急勾配に加え、一段(一歩)が高い・・・  これでは、敵どころか味方も苦労しそう・・・ 
なんて事を思いながら一歩一歩。 「オチャサイズ」よりも息が上がりますね・・・

  

最後の階段を上ると、安土城天主台の礎石が見えてきます。 礎石がある部分が地階で周囲は石垣で囲われています。

  

当時、その姿は5重6階地下1階で最上階は金色、下階は朱色の八角形をしており、内部は黒漆塗りと、華麗な障壁画で飾られていたといいます。 また、安土山は3方を西湖に囲まれており、眼下まで水がありました。



天守跡からの展望・・・ 遠くには琵琶湖を望むことができ、眼下(内湖)は干拓され埋め立てられて小さくなった西の湖が安土山の西側に残るのみです。
時代が変わっても、見える景色が違えども・・・ ここで、何を想う・・・

天下統一目前、家臣の謀反により自害した信長・・・ その主の後を追うかのように半年後に焼失した幻の安土城・・・ わずか3年の生涯。 
天下統一の礎を築いた要塞は、朽ちても今なお輝きを放ち続けている。・・・(キモト)

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信長にたずねよ・・・①

2009年06月03日 | 信長にたずねよ
今日は、「独り言」を書いてみようと思います。・・・(今日も・・・の間違い?)



写真を見て「安土城」とわかる方は、かなりの「信長好き」か「城好き」です。
昨日、6月2日は、「織田信長」が家臣「明智光秀」の謀反によって自害した日です。・・・
世に言う「本能寺の変」と呼ばれる戦国時代最大のミステリアスな事件です。
何を隠そう、わたくし(キモト)は、大の信長ファンなので、毎年この日は、何とも言えない気持ちになります。・・・天下統一を目の前にして、さぞかし無念だったろうにと・・・
 
その後を継いで、もう一人の家臣だった「豊臣秀吉」が天下統一を果たし、その「豊臣家」を滅ぼし、200年にわたる「江戸幕府」を築いたのが「徳川家康」です。・・・(誰が、いつ敵になるか解らない時代です。) 
「秀吉」も「家康」も、もとは「信長」の家臣だったことを考えたら、天下取りの「おいしいところ」だけを持って行ったようにしか思えませんね・・・ 個人的には、今でも「信長」が天下統一を果たして欲しかった思っています。

「信長」を象徴する詩で有名なのが、「鳴かねば、殺してしまえホトトギス」 彼には残虐なイメージが定着してますが、武器・戦術、装飾にいたるまで、奇抜な発想(アイデア)に目を見張るものがあります。 
写真の安土城も豪華絢爛、色使いといい、一般の「お城」とはセンスが違います。

時代が違うので、彼の行動に対して何も言えませんが、歴史上で一番会って話しをしてみたい人物ですね。

「現代」にも似たような人(心境)がいるような気がします。・・・
サッカーの元日本代表三浦知良こと、カズとダブって見えてしかたがありません・・・

一生懸命に日本サッカーの発展(ワールドカップ出場)ために尽くしてきて、あの「ドーハの悲劇」・・・そして、まさかの予選での日本代表落ち・・・今では連続してワールドカップ出場しているのに「彼」の存在は全くありません。 

何か「織田信長」と「カズ」は似てと想いませんか。・・・? (カズは40歳を過ぎた今でも現役ですが。・・・

ともあれ、全ては歴史の上に成り立っているわけですから、「信長」や「カズ」がいてこそ今の社会が存在し、日本のサッカーがあるのです。



じゃ~ん「ヴェルディ時代」のユニホームです。 (ふ・古っー) もう20年も前のもの・・・
背番号「11」が一番似合うのは「カズ」以外いません。・・・

いつの日か、「日本代表」の監督として、悲願だったワールドカップのピッチに立って欲しいと願っています。・・・ 

今回は、長々と駄文失礼しました。・・・(キモト)

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