かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

東日本大震災① 日本人の貴さ

2011-03-15 01:08:18 | 気まぐれな日々
 3月11日、午後2時過ぎに起こった東北地方太平洋沖の巨大地震は、当初気象庁によりマグニチュード8.8と発表されたのち、9.0と訂正された。
 M9.0というと、1900年以降世界で発表された観測史上、4番目に大きな地震ということだ。これは、1995年のM7.3であった阪神・淡路大震災の規模の地震が同時に1000個起こったものと同じだと専門家が説明していた。
 各地の被害の実態が、テレビの映像で徐々に流されだした。地震とともに、さらに恐ろしいのが津波だということが分かる。
 若いとき「北帰行」の、下北半島より八戸、黒崎、宮古、釜石、大船渡と下った三陸海岸の懐かしい旅。その変わり果てた街々が映しだされる。
 何と言葉にしていいのか分からない。
 被害にあわれた方々に、心よりお見舞い申しあげます。

 各国の日本の地震に対する報道も流された。
 哀悼の意に続いて、中国では、日本人は震災に対して冷静に対処している、避難訓練もできていると述べた上で、日本人に学ぶことが多いと言っている。
 韓国では、新聞の一面に「哀悼の意を表します」と、ハングルと一緒に日本語が載った。戦後の日本語に対するアレルギー意識からして、異例の表示といえる。
 アメリカ、ロシアは福島原発事故に対する反応が最も強く、全世界で原発シフトが考え直されることになるようだ。
 多くの国から支援部隊も派遣されている。

 スペインの友人からのメールでも、連日日本の地震について報道されていると書いてきた。フランスの友人も、日本のこの状況に見舞いの言葉とともに、祈っているというメールをくれた。

 連日、こんなに連続してテレビを見続けたのも珍しい。
 報道、それに対する人々の応対、修復活動などで見えてくるものがある。
 日本人は、このような大災害に当たっても、非常に誠実で几帳面だということだ。それは、水や食料の配給にも見てとれるし、被災地で開いている数少ないコンビニでもきちんと並んでいる。
 阿鼻叫喚や強奪・略奪など起こらない。
 福島原発の爆発事故、その後の変化も、専門家により分かりやすく説明がなされる。刻一刻変わり、予断は許さない状況だが。それでも、チェルノブイリのように隠すようなことはしない。
 
 日本が最悪の状況にいる中で、日本人の貴さを知った。

 テレビは、各局CMもなく(14日あたりから少し始まったが)、騒々しいバラエティもなく、ひたすら東北地方の地震状況を、報道もしくは報道に関わる者とはこうありたいという熱意と懸命さをもって、伝え続けている。
 テレビとは、本来こういうものであるというのを思い出させた。
 それに、政治(政治家)は党利党略による利己的な足の引っ張り合いはやめるべきだ、そんな時ではないということを、否が応でも思い知らしめた。
 また、安全だと言われてきた原発の開発・増設は、日本のような地震国では考え直さないといけないことが改めて分かった。

 大きな災害は、原点を見つめさせる。
 
 宮城県仙台市に住む友人は、家の中はぐちゃぐちゃだが元気でいることが分かった。
 しかし、いまだ安否が分からない人が数多くいる。悲しみに耐えている人が数多くいる。
 それらの痛ましい報道は、これから被害状況が判明するにつれ、さらに大きくなるものと思われる。
 何ができるのだろうと考える。個人の無力さを痛感する。
 東京(三多摩)でも、輪番で計画停電が行われるという。被災地の人々を思うと、不便や痛みは少しでも分かちあわなければならない。

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